フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。
あなたの隣にも魔女はいる
「私は魔女です」
この言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。黒い尖った帽子をかぶり、大釜の前でぶつぶつと呪文を唱える老婆の姿だろうか。それとも、ハリウッド映画に登場する、魔法の杖を振りかざす美しい魔女たちだろうか。あるいは、その美貌によって権力を持った男性の心をかどわかし、世界を意のままに操ろうとする魔性の女だろうか。
実を言うと、21世紀の現代にも「魔女」たちは存在する。そして、現代の「魔女」たちは、決して空想の世界だけの存在ではない。彼女たち、そして彼らは、私たちの隣人かもしれない。スーパーで出会うかもしれないし、オフィスで一緒に働いているかもしれない。現代の魔女たちは、私たちの日常に溶け込みながら、しかし確かに、そこに存在している。
現代の魔女たち―「現代魔女」たちは今日、さまざまな社会運動や文化運動とも接続している。20世紀の社会運動史において、とりわけ反戦運動や反核運動において彼ら彼女らが果たした役割はとても大きい。1960年代から70年代にかけて花開いたヒッピームーブメントはイギリスから入ってきたウイッカ文化に豊かな土壌を用意した。現代魔女文化のカウンターカルチャーとしての側面も見逃せない。そしてまた、女性の権利獲得を目指す20世紀最大の社会運動の一つ―フェミニズム運動と混ざりあいながら女神運動の担い手たちや現代魔女達は政治活動とスピリチュアリティの融合を探求してきた。
本連載「現代魔女」は、そんな複雑かつ多様で、どこか得体の知れない「魔女」という存在の実像について、歴史や社会運動、宗教、民話、芸術など様々な角度から考察し、その輪郭を描き出そうとする試みである。そのためにも私たちはここで、歴史の闇の中で不当にも迫害されてきた人々から、今日自らを誇らしげに「魔女」と名乗る人々に至るまで、「魔女」という言葉がこれまで内包してきた多様な意味と、その変遷を追わなければならない。もちろん、その追跡は決して容易なものではないだろう。魔女の空飛ぶホウキが描き出す軌跡に直線はなく、至るところで分岐しながら混線と断線を繰り返す、撹乱的なものだからだ。
かくゆう私も魔女の一人である。2018年に現代魔女の世界に足を踏み入れて以来、アメリカ、オーストラリア、そしてインターネットを介して世界中の魔女たちとの交流を重ねてきた。現代魔女の領域は実際に参入し、儀式を執り行い、魔術を実践してはじめて理解できる事ばかりである。魔女の共同体は本質的に閉鎖的かつ秘匿性を帯び、メンバーの安全とプライバシーを尊重するがゆえに、儀式は写真撮影も動画記録も禁じられていることが少なくない。それゆえに、書物によって知り得ることにも限界があり、私が開示できることにも自ずと制約が生じる。本連載は私が魔女としての実践をはじめたころに知りたかったことを可能な限り記述し、初めて現代魔女の世界を知る人にとって有用な情報源になるように努めた。
魔女とは誰か?
さて、早速だが、まずは次の問いから始めてみたい。
そもそも、魔女とは誰のことで、どこからやってきたのだろうか?
実は魔女という言葉によって指し示されてきた人たちは時代とともに変化している。また、世界中に存在するため一概に魔女の起源を特定するようなことは難しいのだが、その上でもここでまず書いておくべき大事なことは、魔女という言葉が、長らく「他者化(アザリング)」のための言葉として使われてきたということだ。その言葉は、少なくとも20世紀に至るまでは、ある誰かが自分自身を定義するために用いるものではなく、ある社会や共同体において、指さされ、排除するために、つまり自分たちからある人たちを区別するために用いられてきた。そして、その名指しの背景には、それぞれの社会や共同体における、女性(的なもの)への恐怖や畏怖があった。
しかし、女性への恐怖や畏怖を背景に持つ他者化のための呼称というだけでは、魔女の輪郭はあまりにも曖昧なものになってしまう。では、他にどのような説明ができるだろうか。
異教主義研究の第一人者である歴史家のロナルド・ハットンによれば、現在使われる「魔女」という言葉は主に4つの意味で使用されているという。
- 超自然的な力をもち害悪魔術をおこなう人物
- 善い魔術であれ悪い魔術であれ、魔術を使う人物
- ペイガン宗教の実践者であり、自然崇拝を行う実践者
- 独立した女性に関連するフェミニズムの象徴
こう見てみると「魔女」という語彙は、その使用される時代と地域によって多様な意味合いを持っており、その解釈は極めて文脈依存的なものとなっていることがわかる。この語の多義性ゆえに、個々人がそれぞれ異なる意味や概念を「魔女」という言葉に投影している事実が、この主題に関する対話や議論を複雑化させる一因となっている。だが、その語彙には、あるいはその語彙によって指し示され、はたまた自らをその語彙において名乗ってきた多様な人たちの足下には、たしかにあるひとつの通奏低音が流れている。
ではあらためて、「魔女とは誰か?」。
あくまでも個人的な見解としてその定義を示すのだとすれば、私にとって魔女とは、「境界を跨ぐ存在」である。
「魔女」を意味するドイツ語の「Hexe」の語源は、境界に立つ存在としての魔女の本質を表すものになっている。「Hexe」は古高ドイツ語の「hagazussa」に由来し、これは「hag」(生垣、柵)と「zussa」(乗る、跨ぐ)という2つの語根から成り立っている。つまり、「hagazussa」は文字通り「生垣を跨ぐ者」を意味する。中世ヨーロッパでは、生垣や柵は文明世界と野生の世界、現世と異界の境界と見なされていた。そのため、「生垣を跨ぐ者」とは、現世と異界を行き来する存在を指すものだったと考えられるのだ。
現代の魔女たちもまた、生者の世界と死者の世界、現実と夢、既存の秩序と新たな可能性の間、自然と文明の境界、そして様々な二項対立の狭間を跨ぎ、行き来する存在として自らを位置づけている。もちろん、それだけでは不十分であるとはいえ、「境界を跨ぐ存在」であるということが魔女の重要な定義の一つであるとは言うことができるように思う。
ところで、境界を跨いで存在することによって、魔女は一体。どのような存在たり得ているのだろうか。端的に言うなら、魔女とはそうすることによって世界を変わった見方で見る存在なのだ。中央にいる人々とは異なる視界を持つことで、魔女は周縁に立ち、現実を曲げ、シェイプし、曲がりくねった道を歩む。歌舞伎役者の尾上菊五郎の言葉にもあるように、「間は魔に通ず」るのである。
現代魔女はなにをしているのか?
20世紀に興った現代魔女術復興運動とは、キリスト教以前の多神教、自然崇拝、アニミズムを復興させようとするモダンペイガンの一部だ。現代魔女もペイガンも民俗学的な研究、資料から古くから存在するとされる異教の儀式、あるいは民間魔術をパッチワークのように現代に蘇らせ、実践している。しかし、ペイガンであることと、魔女と名乗ることはニュアンスが異なる。現代魔女術復興運動とはこの「魔女」という侮蔑的称号をあえて積極的に名乗り、意味をずらし、魔女をポジティブないし、反抗のシンボルとして使用する一連の運動のことだ。現代の魔女たちの活動は一言では言い表せない。地域や流派、背景によっても全く違い、それぞれの魔女によっても考え方が大きく異なるからだ。魔女たちは季節の祝祭を「サバト」として祝う。ある魔女は大地や動植物、時には目に見えない存在と対話することを試み、別の魔女たちは政治的な活動に参加し、帝国主義、植民地主義を批判する。都会で大きなペイガン(異教徒)たちのフェスティバルが開催されることもあれば、山の中で集まって、大きな焚火をして儀式やキャンプをしたりすることもある。田舎に籠って一人で魔女術を実践している魔女もいれば、ヒーラーや職業占い師として働いている魔女もいる。テック企業で働いていたり、セックスワーカーであったり、看護士であったり、学校の先生をしていたり、その暮らしぶりは様々だ。
本書において、私は魔女と魔女という語彙の変遷を追うことにあわせて、20世紀以降の現代魔女の実践を、その複雑性と多様性を認識しつつ描写することを試みる。現代魔女は、ヨーロッパ、北米、南米、オーストラリア、そして日本など、欧米と欧米の文化に影響を受けた地域を中心に存在し、その姿は千差万別である。彼らは多様な年齢層、人種、ジェンダー、文化的背景、思想を有しており、彼らの活動を一律に定義することもまた難しい。
それゆえに、本書では現代魔女の文化に対して深い敬意を払いつつ、この独特な世界観が形成された歴史的経緯や重要な出来事を丹念に紐解いていきたいと思う。とはいえ、この広大で多面的な文化の全容を捉えることは非常に困難であり、本書はあくまでもその一端を示すに過ぎないことをはじめにことわっておきたい。
私は、この文化が持つ多様性、そして様々な魔女たちとの邂逅、彼らの思想について、先行研究から得た学知、そして私自身が現代魔女のひとりとして自身の視座において経験した世界を、可能な限り正確かつ忠実に記述することを目指す。それは、現代魔女の世界の一側面を照らし出す試みであり、決して全体像を網羅するものではないものの、きっと現代魔女という今世紀最大のヌエの輪郭を掴むための、一つの道標にはなるはずだ。
現代の魔女たちが実践するウィッチクラフトは、時に洗練されたユーモアを内包しつつ、傷ついた地球と共に生きる芸術的実践としての側面を持つ。この実践は、内在の宗教、あるいは大地に根ざしたスピリチュアリティとして捉えられる一方で、ある人々にとっては技術であり、人生の道筋でもある。現代魔女術は極めて多元的な文化であり、多様な背景や価値観に根ざした無数の実践方法が存在している。現代魔女術は包摂的かつ柔軟な性質を持ち、広い受容力を備えた文化的実践だと考えられる。
現代の魔女たちは、太陽と月の周期に従って集会を催し、魔術や占星術を探求し、多神教的、あるいは女神崇拝の伝統を継承している。しかし、この文化的現象は単なるサブカルチャーの枠を超え、エコロジカルな宗教性や、フェミニストたちによるスピリチュアリティの探求として発展を遂げてきた重要な歴史的側面がある。
本書では、1940年代に端を発する現代魔女術復興運動の約70年に及ぶ歴史を丹念に紐解きながら、ウイッカをはじめとする現代の魔女たちの多様な実践について詳述する。興味深いことに、日本人の多くは既にアニミズムや自然崇拝的な要素を持っているにもかかわらず、現代魔女文化はまだあまり浸透していない。彼らが執り行うサバトと呼ばれる季節の祝祭、天体の運行に呼応した儀式、そして魔術や占術、女神信仰の探求などは、日本が歴史のなかで形成してきた独自の祭祀や儀礼をはじめとする日本的霊性の文脈とも呼応するところがあるはずだ。実際に私が海外で現代魔女の人々に会ってきた経験では、彼らはジブリのアニメが好きで、そのような映画を通じて日本のペイガン的な世界に多くの人々が関心を持っている。日本語で現代の魔女について書くことは、日本の文化の理解を深めるうえでも意義があるはずだ。
そして、本連載においては、「魔術とは何か」という、根本的な問いにも取り組みたいと思う。魔術、宗教、科学、芸術は簡単には分けることができない。むしろ、魔術とは技術であり、テクノロジーそのものであり、科学とも対立するものではない。あるいは21世紀を生きる私たちの日常習慣の中にも、魔術や儀式的な要素は多く含まれている。脱魔術化も再魔術化もない。私たちはずっと昔から、いまもなお、魔術的世界を生き続けているのだ。
なぜ魔女について書くのか?
本連載では魔女をめぐる様々なテーマを扱っていくのだが、特に私が重点的に取り扱うのは、現代魔女運動が社会変革のためのユニークな視点と実践のありかたを提供しているという点だ。モダンペイガンたちは、フェミニズムやエコロジー運動、脱植民地化、クィア達のコミュニティと結びつきながら、独自の表現と実践を生み出してきた。そしてまた、彼らは自分たちのつくりあげた文化に対して常に自己批判的に向き合うことも欠かさなかった。この文化が時代とともに有機的に変化し続けることができたのは、数世代を通して異世代間で新旧の考え方をぶつけ合い、上手に棲み分けを行なってきたからだろう。そうでなければこのような複雑な文化は生まれえなかった。あるいはこう言ってよければ、現代魔女運動と一口に呼ばれている多様な運動体の複雑怪奇なあり方そのものが、すでに魔術的なのだ。
もう一つ、執筆の主たる動機としては、我が国における現代魔女文化に関する情報の更新と、それに伴う誤解の解消がある。日本では、現代魔女に関する文献の翻訳が極めて限られており、その結果、1990年代までの情報がいまだ主流を占めている状況が続いている。このような情報の停滞は、現代魔女文化に対する種々の誤解を生み出す一因となっている。
この情報の空白を埋め、最新の知見を提供することで、日本において現代魔女の実践に関心を持つ方々の一助となることを本連載は企図している。しかしながら、一方で本書は、現代魔女への勧誘や布教を目的として書かれるものでは、断じてない。
そもそも現代魔女たちの多くは、自分たちの実践を広めようとする意識が薄く、他者を積極的に誘うことはほとんどない。これは、ウィッチクラフトという実践が、自発的な探究心と実践、知識の収集によって深められるべきものだという考えに基づいている。多くの魔女たちは、尋ねられない限り自分たちの実践について語ることはないのだ。私自身もその立場を共有している。
しかし、先述したように日本では現代魔女に関する文献が極めて限られており、そうした限定的な情報から得た拙い知識で魔女文化全体が解釈され、誤解に晒されるようなケースも見られた。有難いことに、私はこの文化について知りたいという方々から、教育機関やギャラリー、インターネットなど様々な場所でお話や交流する機会を多くいただいてきたが、同じような質問に何度も答える中で、基本的な知識や情報を書籍というかたちでまとめることができれば、この文化に関心を持つ方々の助けになるのではないかと考えるようになった。
それが、本連載の執筆を引き受けた理由である。
また私があえて「現代魔女文化」という言葉を使うのは本連載がこれまで日本で紹介されてきた魔女の宗教「現代魔女宗(ウイッカ)」よりも広い範囲で、ウイッカではない魔女たちの実践を多く取り扱うからである。
読者の皆さんには、「魔女」という言葉が喚起するイメージを超えて、その奥に潜む豊かな思想と実践の世界を覗いていただきたい。そこには、私たちの社会が忘れかけている知恵や、未来を切り開くためのヒントが隠されているかもしれない。現代魔女文化の中の矛盾に満ちているように思える事象の一つ一つを、歴史を紐解きながら丁寧に探求していくことで、現代魔女文化がさまざまな境界線を跨いで形成されてきた経緯への理解も、きっと深まるはずだ。
魔女たちの小さな集まりは、互いを励まし、鼓舞し合う場だ。そこでは、蜘蛛が繊細な糸を紡ぐように、人々の間に精緻なつながりが編まれていく。このウェブを通じて、彼らは世界に変化をもたらす力を引き出そうとする。それは、既存の枠組みにとらわれない、しなやかで力強い実践であるように私は思っている。
21世紀の魔女たちの世界へ、一緒にこの曲がりくねった道に踏み出してみよう。
(次回へ続く)

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。
プロフィール

まどか
現代魔女。アーティスト。留学先のLAでスターホークの共同設立したリクレイミングの魔女達に出会い、クラフトを本格的に学びはじめる。現在はモダンウィッチクラフトの歴史や文化を日本に紹介している。未来魔女会議主宰。『文藝』『エトセトラ』『ムー』『Vogue』『WIRED』などに現代魔女に関するインタビューや記事を掲載。2023年から逆卷しとねとキメラ化し、まどかしとね名義でZINE『サイボーグ魔女宣言』を発売。笠間書院にて『Hello Witches! ! ~21世紀の魔女たちと~』を連載中。