「スポーツとは、正々堂々とフェアに戦うものです。したがって、いわゆる『暴力』からは、いちばん遠いものでなければならない」
「スポーツとは、同じルールを共有して対等な立場で戦うものです。したがって、指導者だから、先輩だから……という理由で、理不尽な行為が許されていいはずがない」
「スポーツの世界は、どんどん進化しています。競技自体のレベルも進化しているし、スポーツ医科学の知見も進化しているし、道具も進化している。唯一、進化していないのが、指導者が若い選手に接する際の指導理念なのではないかと思います」
これらはすべて、2013年に集英社新書から刊行した『スポーツの品格』(桑田真澄・佐山和夫著)で桑田真澄氏が述べている言葉である。
2018年春、日大アメフト部の悪質タックル事件が大きな社会問題となった。同書で桑田氏が指摘した危惧が、具体的な実例となって世の中に露呈してしまったのである。
いま表面化している問題を、桑田氏はどう考えるのか。なぜ、スポーツ界は変われないのか。5年前に同書を刊行したときの思いを含めて、あらためて、桑田氏に話を聞いた。
「絶対服従」というキーワード
――桑田さん、佐山さんと5年前に『スポーツの品格』をつくったのは、当時、高校バスケット部での体罰事件が社会問題になったことがきっかけでした。今回の日大アメフト部の件は、いわゆる「体罰」ではありませんが、暴力の対象が身内か相手か、という違いで、根底にあるものは同じではないかと思います。
僕は当時、「体罰はよくない。必要ない」とはっきり主張したのですが、多くのスポーツ関係者から「そんなのは理想論だ。桑田は甘いよ」と否定されたんです。だから、そういう人たちや、スポーツを楽しみたいと思っている一般の人たちに、僕の真意を伝えたかったのです。
その後、体罰については否定論が主流になって、ようやく議論も落ち着いてきたんですが、そんなタイミングで今回の事件が起こりました。アマチュアスポーツ界のコーチのあり方があれだけ大きな社会問題になったのに、残念ながら自らの指導法を変えられないコーチがいたということになりますね。
――日大アメフト部の事件が世の中を驚かせたのは、指導者が、理不尽で卑怯な行為を選手に強要しているという事実でした。
この本で、僕は日本の野球界の歴史を振り返りながら、“誤解された野球道”がどうして日本のアマチュア野球界に広まったのかについて詳しく述べたのですが、その中に、指導者や先輩への「絶対服従」というキーワードがありました。そこに「勝利至上主義」が重なって暴力行為が蔓延するようになった。それは野球のみならず、日本のスポーツ界に広く共通するものだと思います。日大アメフト部でも、同じ図式で事件が起こってしまったのでしょう。
――悪質タックルがあった試合(5月6日)から20日以上経って(5月29日)アメフト部員が発表した声明文には「監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました」という一節がありました。
彼ら(他の部員たち)がこのタイミングまで声をあげられなかったことからして、監督が選手たちに対してどれだけ強く絶対服従を強いていたのか分かります。同じチームでプレイする仲間として、彼らも苦しい思いがあったのだろうと察します。
この本では、佐山さんが「目的は手段を正当化する(The end justifies the means)」という言葉を紹介されています。この対談以来、僕は常に、その言葉を自らに対する戒めとして頭の中に置いています。人間は、目的のためならどんな手段を使ってもいいんだ、という考えに陥ってしまうことがある。日大アメフト部の場合もそうで、勝利という目的のために、相手をケガさせるという手段を使ってしまった。でも、当然ながら、良くない手段を正当化してはいけないのです。指導者がそんな指示をしてはならないし、仮に指導者から命令されても、選手が「そんな手段を使ってはいけない」と言える環境をつくらないといけない。指導者の日々の言動を通して、若い選手にフェアプレイやスポーツマンシップの価値観を育ませることこそ、アマチュアスポーツの意義だと思います。
プロフィール
1968年生まれ。PL学園高校で甲子園通算20勝。86年、読売ジャイアンツ入団。2007年、ピッツバーグ・パイレーツ入団。08年、現役引退。プロ通算173勝。2010年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。現在は東京大学大学院総合文化研究科で特任研究員として研究を続