きっかけは「後藤健二、湯川遥菜事件」
今から3年前、2015年のことだった。
年明け早々の1月から、ジャーナリストの後藤健二と民間軍事会社を経営する湯川遥菜が、シリアで過激派組織「イスラム国(IS)」によって人質とされている映像が流れた。そして、2人は惨殺された。
それを受けて、紛争・戦争取材に携わる旧知のジャーナリストやカメラマンたちは、後藤健二らの事件を考えるシンポジウムや報告会で話す機会が増え、顔を合わすことが多かった。後に正式に立ち上げた「危険地報道を考えるジャーナリストの会」の世話人(土井敏邦、川上泰徳、石丸次郎、綿井健陽=発足当時。17年から五十嵐浩司、高橋弘司も加わる)は、同年3月から4月にかけて、何度も直接会って話をしていた。
そもそもなぜ、この「危険地報道を考えるジャーナリストの会」(略称:危険地報道の会)を立ち上げたか、何を目指しているのか、その詳細は以下の公式HPの「設立趣旨」を参照してほしい。
http://www.kikenchisyuzai.org/2016/09/10/establishment/
それと連動して、集英社新書の編集者から「具体的な取材体験を通じて、なぜ日本人ジャーナリストが世界の紛争や戦争を取材する必要があるのか、書いてみませんか」という打診を受けた。早速、編集会議を行なうこととなり、そこには、上記「危険地報道の会」世話人に加えて、安田純平に参加してもらった。
当時、安田は書籍の方向性や執筆者について積極的に意見を出し、私たちと議論を重ねていた。内容についても、「取材現場での失敗ギリギリのところでの体験談が面白いのでは」と話していたことを、私は覚えている。
一方で、「危険地報道の会の世話人に参加しないか」という誘いに対しては、やんわりとではあるが、安田は固辞していた。他の世話人たちと共に安田を誘いつつ、私自身も「おそらく彼は引き受けないだろう」と思っていた。安田のそれまでの取材スタイルや交友関係を見ても、こうした会に直接加わるとは考えにくい。
だが、会に直接加わらなくても、彼のイラクやシリアでの取材には、世話人の誰もが注目していた。40代の中堅クラスで取材経験豊富な彼の意見や姿勢は真摯なもので、この本の執筆者の一人として欠かせない存在だった。
プロフィール
綿井健陽(わたい・たけはる)
1971年大阪府生まれ。映像ジャーナリスト・映画監督。 日本大学芸術学部放送学科卒業後、98年からフリージャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に参加。これまでに、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃などを取材。イラク戦争では、2003年から空爆下のバグダッドや陸上自衛隊が派遣されたサマワから映像報告・テレビ中継リポートを行い、それらの報道活動で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞(報道活動部門)優秀賞」などを受賞。05年に公開したドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』は、05年ロカルノ国際映画祭「人権部門最優秀賞」、毎日映画コンクール「ドキュメンタリー部門賞」)、「JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞」大賞などを受賞。最新作のドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』は、14年から各地で上映中。「2015フランス・FIPA国際映像祭」で特別賞を受賞。 著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に『フォトジャーナリスト13人の眼』(集英社新書)など。