『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』 危険地報道を考えるジャーナリストの会著

安田純平のために、ページを空けて待っていた

綿井健陽

様々な人々が、「解放」のために動き続けた

 

 安田の拘束直後から、彼と親しいジャーナリスト仲間らが動き出した。前述の高世仁のほかに、常岡浩介、藤原亮司らだ。さらに常岡からの依頼を受けて、安田が拘束されていたシリアのイドリブにいるウイグル人とネットワークをもつ水谷尚子(中国現代史研究者)も加わり、水面下で、拘束グループに対して安田の解放を呼びかけ続けた。

 拘束当初は、安田の友人である彼らが働きかけることによって、何とか早期に無事解放されることを、私はただ祈っていた。「危険地報道の会」の間でも、まずは彼らの働きかけや動きを静観することにした。

 ところが、それから1カ月、2カ月、3カ月と過ぎても、一向に安田は解放されない。かつ、徐々に厄介な事態が解放交渉を巡って起きていた。人質の「仲介人」「交渉人」を名乗るスウェーデン人やシリア人、さらには別の日本人ジャーナリストも安田の拘束に介入し始めたのだ。

 解放後の安田の会見で明らかになった、2015年段階での拘束組織と日本政府の「交渉」だが、実際には直接、日本政府と交渉したわけではなく、拘束組織の人質ビジネスの間に入る、自称「仲介人」「交渉人」とのやり取りだった可能性が高い。

 安田の拘束中の写真や映像が初めて公開されたのが、16年3月と5月だったが、その後、18年7月までの間、写真や映像は公開されなかった。その間にも、彼の断片的な「生存情報」は何度かもたらされたが、映像や写真が何も公開されていない時期に、安田は大規模収容所の独房生活と虐待を、たった一人で耐え忍んでいたことになる。

「危険地報道の会」は、安田の写真や映像が公開された時期から、それまでの静観をやめ、解放に向けて具体的に自分たちができることを独自に探し始めた。

 当時、解放された他の外国人の人質の経過から、日本政府の積極的な関与と、トルコやカタールの協力が安田の解放に向けて不可欠ではないかというアピールを公表したのが、2016年7月だった。下記がアピール全文である。

 http://www.kikenchisyuzai.org/2016/07/29/201607291015/

 

 また、外務省の「邦人テロ対策室」の担当者とも、16年と18年に面会した。安田の安否情報や解放交渉、周辺国への協力要請の状況などを聞いたが、彼らは「事案の性質上お答えすることはできません」と返答するばかりだった。

 解放に向けた動きが全く見えない18年の年明け、「危険地報道の会」は、独自の現地調査活動も開始した。中東取材経験の長い川上泰徳が、イスタンブールに住む旧知のアラブ人ジャーナリスト(川上は仮名で彼をMと呼ぶ)に指示して、トルコ南部で安田の安否や解放にいたる手掛かりを探し始めた。Mを使って関係者や関係組織に接触させ、調査と情報収集を続けた。

 9月下旬、アサド政権軍によるイドリブ総攻撃があるかもしれないという状況で、川上はMに、あらためてトルコ南部での情報収集を指示した。そこで思わぬ「朗報」がMから届いた。「安田純平の解放交渉が進んでいて、他の外国人も含めて、9月下旬から10月にかけて解放される可能性がある」という情報だった。しかも、解放交渉に携わっているとみられるルートからの直接情報で、信頼できるものだった。さらに10月に入ると、「危険地報道の会」は別ルートからも「解放交渉が進展している」という情報を得て、それらの情報の大元は一致した。

 当然、解放にいたる交渉は水面下で行なわれるため、私たちは、これらの情報に大きな期待を寄せつつも、本当に解放されるかどうかについては半信半疑のまま、イドリブ情勢の進展を見守った。

 そして10月23日、ようやく念願の「吉報」がもたらされた。

 私自身は、安田の帰国直後は、彼の尋常ではない精神力と忍耐力、そして観察力や洞察力に、ただただ驚愕するばかりだった。その一方で、なぜこれほど長く解放されなかったのか、もっと早く解放される機会は無かったのか、という思いも徐々に募ってきた。

 特に、日本政府がいつから、どんな形で、どのような働きかけや交渉をしたのか、しなかったのか、それらは政府の「邦人保護」の「説明責任」として、日本社会に今後明らかにされるべきだと考えている。

 また、我々「危険地報道の会」を含めて、安田の「解放」に向けて3年4カ月の間に取った行動が、それで良かったのか。何かほかにできたことは無いか、あるとすれば何をするべきだったか、何をするべきでなかったのか。そうした周りの対応や経過も、落ち着いた時期に議論して検証したい。

 

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プロフィール

綿井健陽

綿井健陽(わたい・たけはる)

1971年大阪府生まれ。映像ジャーナリスト・映画監督。 日本大学芸術学部放送学科卒業後、98年からフリージャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に参加。これまでに、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃などを取材。イラク戦争では、2003年から空爆下のバグダッドや陸上自衛隊が派遣されたサマワから映像報告・テレビ中継リポートを行い、それらの報道活動で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞(報道活動部門)優秀賞」などを受賞。05年に公開したドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』は、05年ロカルノ国際映画祭「人権部門最優秀賞」、毎日映画コンクール「ドキュメンタリー部門賞」)、「JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞」大賞などを受賞。最新作のドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』は、14年から各地で上映中。「2015フランス・FIPA国際映像祭」で特別賞を受賞。 著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に『フォトジャーナリスト13人の眼』(集英社新書)など。

 
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