『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』 危険地報道を考えるジャーナリストの会著

安田純平のために、ページを空けて待っていた

綿井健陽

「まさか、シリアに入らないだろうね?」「入れないですよ」

 

 同年4月下旬のゴールデンウィークに入る直前、渋谷のホテルの会議室での編集会議を終えて、エレベーターに乗り込んだ時のことだった。

 安田が5月に入ってからトルコに取材に行くことを知っていたので、他の世話人が、彼にそれとなく問いかけた。「帰国したら原稿をよろしく」という話の後に、「まさか、今回はシリアに入らないだろうね?」。

 すると、安田は苦笑しつつも、「いや今は国境も塞がっているから無理でしょう。入れないですよ」と答えた。

 今にして思えば、彼のその言葉は確かに、「入れない」だった。「入らない」ではない。

 つまり、状況や条件が整えば、その時点ですでに「シリアに入る」つもりだったのかもしれない。実際のところ、安田と親しいジャーナリストは、彼がシリア取材を画策していると聞いていたようだ。ただ、「今回は難しい」とも漏らしていたという。

 同年5月中旬に安田は日本を出国、シリア国境に近いトルコ南部での取材を終えた6月中旬に帰国すると思われた。

 ところが、彼の取材予定や内容を把握していた番組製作会社代表の高世仁(ジンネット)に対して、安田は「シリアに入れる」と、当初の帰国予定の変更を伝えたという。そして、同年6月22日の深夜、トルコ国境からシリアに入ったところで、何者かに拘束された。そこから3年4カ月に及ぶ、過酷な拘束・人質の日々が続く。

 安田がシリアで拘束されたことを最初に知ったのは、それから約2週間が経過した7月中旬だった。私は、安田と公私ともに親しい共同通信カメラマンの原田浩司に電話をした。「どうやらヌスラ戦線に拘束されたらしい」「スパイ容疑をかけられているようだ」という。

 私はそれを聞いたとき、正直「良かった」と少し安堵した。なぜならば、これがもし、後藤健二らを拘束したISならば、また後藤らと同じ結末を迎えることになると思ったからだ。当時シリアで活動していたアルカイダ系の反政府武装組織「ヌスラ戦線」は、少なくとも民間人の外国人を殺害したケースは無いとされていた。

 それもあって、私は原田に対して、「その容疑が晴れれば解放されますね」「1カ月ぐらいは(ヌスラ戦線の)従軍取材ということでしょう」と楽観的に話した。

 しかし、そこからまさか3年以上の月日が流れるとは、そして拘束中に虐待や独房生活が続いていたとは、その時点では全く想像できなかった。

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プロフィール

綿井健陽

綿井健陽(わたい・たけはる)

1971年大阪府生まれ。映像ジャーナリスト・映画監督。 日本大学芸術学部放送学科卒業後、98年からフリージャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に参加。これまでに、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃などを取材。イラク戦争では、2003年から空爆下のバグダッドや陸上自衛隊が派遣されたサマワから映像報告・テレビ中継リポートを行い、それらの報道活動で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞(報道活動部門)優秀賞」などを受賞。05年に公開したドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』は、05年ロカルノ国際映画祭「人権部門最優秀賞」、毎日映画コンクール「ドキュメンタリー部門賞」)、「JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞」大賞などを受賞。最新作のドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』は、14年から各地で上映中。「2015フランス・FIPA国際映像祭」で特別賞を受賞。 著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に『フォトジャーナリスト13人の眼』(集英社新書)など。

 
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