カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第1回

『82年生まれ、キム・ジヨン』――原作と映画、それぞれの凄絶

伊東順子
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 ソウルで暮らし始めたのは1990年のことだ。その頃に知り合った日本の友人から「最近、東京の映画館で『はちどり』という映画を見て、あの頃のことを思い出した」というメールをもらった。映画の舞台は1994年のソウル。たしかに高層ビルが立ち並ぶ、今のきらびやかな韓国とは街の色が違う、人々の歩く速度が違う。

 あの頃は延世大学で働いていた。在学生には映画『パラサイト 半地下の家族』(2020年)でアカデミー賞に輝いたポン・ジュノ監督がいた。個人的な接点はなかったが、授賞式の彼を見ていたら懐かしい気持ちになった。ダブダブのズボンにメガネをかけて、「イケてなかった」当時の男子学生たち。今のKpopスターたちのキラキラ感とは全くの別世界、でも気さくでいい兄ちゃんたち、ポン・ジュノ監督みたいな風貌の学生がたくさんいた。

 過去の記憶は小説や映画、ドラマの世界で一生懸命再現されている。そうしないと、つながりが失われてしまうからだ。最近、公開された映画『82年生まれ、キム・ジヨン』もそんな過去の風景を手繰り寄せ、現在につなぐ物語だ。祖母の人生、母の人生、女たちの物語。

 原作小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著・斎藤真理子訳)は、韓国で2016年の秋に出版され、その3年後の2019年の秋に映画が公開された。縁あって、その日本語版の解説を書かせてもらった。おかげで、原作はかなり何度も読み込み、また映画も韓国と日本で2回見た。そこで、周囲で話題になっている『82年生まれ、キム・ジヨン』について、特に原作と映画の差異について極私的な感想を書いてみたいと思う。

キム・ジヨンはなぜ秋夕の日に憑依したか?

 

キム・ジヨン氏は今年で三十三歳になる。三年前に結婚し、去年、女の子を出産した。出産を機に退職し、夫は帰宅時間が遅く、実家にも頼れないために一人で子育てをしている。

 

キム・ジヨン氏に初めて異常な症状が見られたのは九月八日のことだった。突然、自分の母親が憑依したような身振りと口調で振る舞い始めるが、夫は冗談だと思い、あまり気にしない。(中略)

 

そして秋夕の連休、夫の実家へ行ったとき、事件は起きた。

                  (筑摩書房ホームページより)

 

 この「事件」の場面から映画はスタートする。 

 秋夕(チュソク)というのは旧暦の8月15日の中秋節のことだ。韓国でこの日は旧正月とともに1年でもっとも重要な「名節」であり、通常はこの日と前後の3日間が連休となる。人々は1日かけて帰省し、先祖と家族のための料理を作り、親族が集まって儀式や食事をし、さらに1日かけて家に戻る。とても忙しい。

 ただ、今年2020年の秋夕は他の祝日や土日が重なって5連休となった。それはラッキー、しかし新型コロナも重なった。政府を代表して国務総理が、お得意の哀願表情で訴えた

「チュソクの帰省はなるべく自粛願いたい」

 その瞬間、心の中で「よっしゃ!」と喝采したのは全国の妻たち連合だった。まあ全員ではないだろうが、私の友人たちはそんな感じだった。最近は簡略化されたといえ、「先祖を祀る仕事」は韓国人にとって重要であり、そこは男性中心の明確な儒教世界だ。女性は裏方、ひたすら「飯炊き」。映画でもキム・ジヨン氏はずっと台所に立ち続け、夫がそれをチラ見している。

「でも、立っているだけいいじゃん。私なんかしゃがんだまま、ずっとチヂミ焼かされた」

 韓国の友人たちはこの作品に厳しいが、そこらへんのドロドロっとした話は後にまとめる。とにかく女性の負担は大きく、「名節シンドローム」「名節離婚」という言葉まであるほどだ。したがって、キム・ジヨン氏がその日に「憑依」したのは、韓国的にはまず、リアリティがある。「名節憑依」という言葉は聞いたことないが。ただ、その日にキム・ジヨン氏に起きたことは、韓国で見聞きしてきた一般的な「憑依」とは少し違っているようだった。

 韓国で暮していると、「憑依」は意外と身近である。実際に憑依(降霊)を経験して、その職業(ムーダン)についた知り合いもいる。日本でも恐山を始め、各地方に死者の口寄せする人々(シャーマン)はいると思うが、韓国の方がその数は多いのだろう、日常的にもそんなシーンに出会うことがある。

 今も印象に残っているのは10年ほど前、ソウル市内のお寺の一角で遭遇した、男性なのに女性の着物を次から次に着替えながら踊るムーダンだ。その前には男が一人ひざまずき、涙を流しながらずっと謝っていた。二人の会話を聞きながら、そのムーダンには彼の亡くなったお母さんのりうつっているのがわかった。

「親不孝な息子さんだったんでしょうね。亡くなったお母さんはさぞかしハンの多い人生だったんでしょう」

 一緒にいた友人の説明はスタンダードだった。「ハン」は漢字では「恨」と書くが、日本語の恨みという意味ではなく「無念さ」のような感情である。

 でもキム・ジヨン氏の場合は先輩や母親など現実にいる人々に憑依する。これは韓国でいうところの伝統的な憑依、特に降霊ではない。映画になって視覚化されてからはキム・ジヨン氏の表情なども加わり、その印象はさらに強まった。

 ところが1か所だけ、ゾクッと震えがきた場面があった。それは映画で追加された部分、キム・ジヨン氏が祖母に憑依し、その娘(つまりキム・ジヨン氏の母オ・ミスク氏)に語る場面だ。

 このシーンの凄まじさは、おそらく役者たち、とくに母親役のキム・ミギョンの演技力によるものだと思う。母親はそこに本来の憑依、そしてハンを見た。

映画と原作の違い

 このシーンだけでも、映画は原作とは別の作品として成功していると思うが、その他にもいろいろな違いがある。ところで原作を見てから映画を見る人はどのくらいの割合なのだろう? 日本での公開にあたり、福岡での記念トークショーに招待されたので聞いてみた。

 「この中に、原作を読んだ方はいらっしゃいますか?」

 ほぼ半数の方が手をあげてくれた。

 さて、すでに多くの人が書いているように、原作と映画ではなんと「結末」が違う。原作が突き落とすような絶望なら、映画はあふれる希望。それをファンタジーだと批判する人もいたが、実際に執筆された2015年と映画が製作された2019年では、韓国社会が大きく変化しており、その結果と思えば合点はいく。原作者のチョ・ナムジュさんもインタビューなどで「映画は、より希望のある結末でした」と満足気に語っていた。チョさんは映画の制作過程に一切関わってないそうで、「脚本家や監督を信頼していたから」と言っていた。清々しくていいなと思った。それに比べて韓国にいる私の友人たち評価はドロドロ。同じ韓国で暮していても、やはり人の思いはいろいろだ。

 韓国で小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の発売が始まった2016年の秋は、朴槿恵元大統領の不正追及が始まった時期とちょうど重なる。そこから「ロウソク革命」を経て、新政権への平和的移行が実現する。新しく政権の座についた文在寅大統領はフェミニストを自認し、女性のために積極的に働く姿勢を見せていた。

「わかった、あなたを信じるから~(裏切らないでね!)」

 つまり映画ではコン・ユだが、フェミニズム運動家の目には、それが文在寅大統領に見えている? ってことは、ないと思うが。

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター。編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房、斎藤真理子訳)の解説を担当。

 
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