カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第6回

私にとっての梨泰院(後編)

伊東順子

25年前の梨泰院、アフリカン・パブ

 初めてその店を訪れたのは1990年代半ば、カメルーン人の友人に誘われた。その頃、私の職場は安国洞の雑居ビルにあり、エレベーターで毎朝顔を合わせる外国人が彼だった。当時の韓国で街中のビルにアフリカ系の人がいるのは珍しく、すぐに顔を覚えた。挨拶するようになったら、ランチに誘われた。そのノリで飲みに行こうという話になった。彼が待ち合わせに指定したのは梨泰院だった。

 梨泰院に行くのは久しぶりだった。その頃は飲みに行くといえばもっぱら弘大。友人たちが次々に面白い空間をオープンさせていた。伝説となったクラブ「明月館」、「発電所」、「コンパンイ」…。軍事政権時代を引きずる夜間営業禁止がようやく解除され、韓国は若者が正々堂々と夜遊びできる時代に突入、また外国人にとって居心地がいいミックスカルチャー的空間も出来てはじめていた。それまで「仕方なく梨泰院」に行っていた英会話教師らも弘大に拠点を移し、当時の韓国としては珍しいレゲエバーなどに入り浸っていた。

 「もう梨泰院はいいよ。あそこで☓☓☓なGIを見るよりも、こっちで遊んだ方がいい」とか、米国人内の差別意識もひどいなと思った記憶がある。

 彼らの中でも梨泰院は「米兵の街」だった。近年トランスジェンダーを象徴するエリアとなった消防署の裏手、あの界隈は1990年代初頭まで完全に米兵御用達の雰囲気で、バーやクラブの入口には「内国人立入禁止」と書かれていた。女性はフリーパスだったが、その代わり道行く人に「ヤンコンジュ」(洋公主=米兵相手の性接待業に従事する女性への蔑称)と言われた。日本の小説に出てくる1950年代の佐世保や横須賀基地を思い出した。

 ところが久しぶりに行った夜の梨泰院は、以前とは随分違う雰囲気になっていた。米兵の姿は明らかに減り、道路脇を埋めていたアリランタクシー(基地専用タクシー)もまばら、路地裏にもかつての活況はなく、またあの独特の危険な雰囲気も消えていた。

 ハミルトンホテルの向かいで待ち合わせた友人が案内してくれた店は外から見たら普通の食堂、しかしドアを開けると中は「アフリカ」だった。ナイジェリア、カメルーン…、彼らは英語で話していたが、突然、韓国語が聞こえてきた。

 「オンニ…」

 まだ学生のように見える韓国人女性が二人いた。彼女たちは「オンニ」が日本人だと知ると少し驚いたが、びっくりしたのは私の方だった。あまりにも梨泰院に不似合いな子たちだったからだ。韓国語が通じるとわかるとホッとした表情で隣に移動してきた。不慣れな英語での会話に疲れたのか、韓国語になったら一気に多弁になった。二人にはナイジェリア人の恋人がいた。

 「彼と結婚したい」、「真剣につきあっている」、「でも親は絶対に許してくれないと思う」。

 二人はとても真面目だった。特にそのうちの一人はすでに決意したような表情をしていた。最初は英語の勉強のつもりで梨泰院に来てみたとも言っていた。そういえば新聞か雑誌で、英語の実地学習のために梨泰院に出入りする若い女性が増えており心配だという記事を読んだことがあった。

 1990年代の韓国では「梨泰院には行くような若者はジャンキーか不良」みたいなイメージだった。日本人の友人の中には、2000年代になってからでも「梨泰院に遊びに行く」と言って韓国人の夫にドン引きされた人たちもいる。

 それくらいかつて梨泰院は韓国人にとって近づきがたい場所だった。そこで知り合ったナイジェリア人との結婚を韓国人の親が大歓迎するとはとても思えなかった。『梨泰院クラス』のトニーを見た時、その四半世紀前の記憶が蘇ってきたのだ。あの子たちはどうなっただろう?

 ふと思い立って、「ナイジェリア 梨泰院」で検索して見た。すると見たことのあるモデルの写真が出てきた。記事を読んで驚いた。どうして今まで気づかなかったのか……。日本語の記事もあった。

 「ナイジェリア出身の父親と韓国人の母親の間で生まれたモデル「ハン・ヒョンミン」君(16)は、このような差別を克服して、最近、米時事週刊誌「タイム」が公開した「2017の最も影響力のある10代の30人」のうち、韓国人ではただ一人選ばれた」(2017年11月6日付、東亜日報)。

 記事には「彼は梨泰院で生まれた」とあった。

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター。編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房、斎藤真理子訳)の解説を担当。

 
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