脳腸相関 第1回

腸は自主的に動く…「第二の脳」の正体は?

菊池志乃

便秘、下痢、腹痛、おなかが張る、ゴロゴロ鳴るなどおなかの不調が続くとき、気分も悪くなる、イライラするといった経験はだれもがあるでしょう。一方で、緊張や憂うつ、無気力、不安、ストレスが続くとき、おなかが痛い、吐き気がする、下痢が止まらない、便秘が続くこともあります。

おなかの症状が胃腸の検査をしても異常が見られないのに慢性的にあるとき、その原因は実は、腸ではなく「脳」にあるのかもしれません。一方で、メンタルの問題の原因には、「腸」の状態が深く関与しているのかもしれないのです。

私は消化器病専門医ですが、前任の京都大学大学院医学研究科の特定助教であった2022年、同大で過敏性腸症候群に対する認知行動療法の研究開発にて、「日本で初めての過敏性腸症候群に対する集団認知行動療法の『大規模ランダム化比較試験』(後の回で説明します)を実施し、有効性を報告」しました(※1)。

現時点(2023年04月)では、日本において類似の大規模臨床試験や論文報告はまだありません。そして現在は名古屋市立大学大学院医学研究科で助教として、全国から患者さんが参加できるオンラインでの治療研究を準備中です。これらの結果や、近年めまぐるしく研究が進む腸の実態について、「脳腸相関」というキーワードを軸に伝えていきます。

■脳➡腸だけではなく、腸➡脳にも指令する「脳腸相関

古くから「断腸の思い」や「腸(はらわた)が煮えくり返る」、「腑(ふ)に落ちる」といった言葉があるように、脳と腸に関係があることは経験的に知られていました。

この脳と腸の関係について、科学的な報告がされ始めたのが1800年代です。ロシアのパブロフ博士らは犬を使った実験で、「脳への刺激によって、神経を介した情報伝達で胃酸の分泌が増えること」を1890年代に報告しました。この研究はよく知られている、犬がベルの音に反応して唾液を分泌する条件付けを示した『パブロフの犬』に先立つ実験であり、パブロフ博士にノーベル生理学・医学賞をもたらしました。1904年のことです。

この報告から100年以上が経過し、現在では脳と腸の情報伝達に、神経のネットワークや、腸で作られるホルモン、免疫細胞から分泌される「サイトカイン」と呼ばれる物質のやりとり、腸内細菌の働きなどが関わっていることが、分子レベルでわかってきました。

このように、脳と腸が互いに情報をやり取りすることで体を管理するしくみを「脳腸相関」といいます。この言葉、耳にすることが増えてきたのではないでしょうか。

冒頭で不調の例を示したように、「脳の状態(ストレス)➡便秘や下痢などおなかに影響する」ことの逆に、「腸の状態➡脳に伝わって憂うつ感、イライラなど、メンタルに影響を及ぼす」というわけです。

脳腸相関はいま、腸のありようはもちろん、メンタルの健康を考えるうえで重要なキーワードであると言えます。

■「腸管神経系」は脳の指令なしで自主的に動く

脳腸相関の「腸」とは小腸や大腸だけでなく、口から食道、胃、腸(小腸・大腸)、肛門までをつなぐ消化管、もしくは胆道系やすい臓も含めた消化器官を指す場合もあります。

では、脳と腸は日ごろ、いったいどのように情報を交換しているのでしょうか。脳にはおよそ1000億といわれる神経細胞が、また腸には1億ともいわれる数の神経細胞があるとされています(※2)。ここで押さえておいて欲しいのは、腸のその数は脳、せき髄に次いで多いということと、脳と腸は神経線維でつながっているということです。

その伝達経路には次の「神経系」「内分泌系」「免疫系」があり、最近では「腸内細菌叢(そう)」もさまざまな形で関係していることが科学的に明らかになってきました。

① 腸管神経系のネットワーク
② ホルモンによる内分泌系のネットワーク
③ 免疫細胞による免疫系のネットワーク
④ 腸内細菌叢

順にわかりやすく紹介していきますが、今回は「①腸管神経系のネットワーク」の特殊性と腸管神経のつくりについて見てみましょう。

体を会社に例えると、脳は本社、腸などほかの臓器は支社に相当します。腸は支社の中でも大きく、役割も多いため、「腸管神経系」(Enteric Nervous System:ENS)と呼ばれる独自の情報システムを構築し、自主的に動く機能も持っています。

この「腸の自主性」とは何か。また、腸管神経系はどのようなつくりになっていてどう働いているのか。それらが脳腸相関を理解するポイントとなります。

まずは腸の自主性について簡潔に述べると、「腸管神経系により、腸は本社である脳の指令を待たなくても、食べ物の消化や内容物を先へ送り出すための蠕動(ぜんどう)運動、また消化液、ホルモンなどの分泌、血流の調整、腸管の免疫応答、体全体を守るバリア機能の管理を行っている」ということです。

この働きは、「腸は第二の脳」といわれるゆえんでもあります。

■腸管と腸管神経系のつくり

次に、腸管神経系がどうなっているのか、そのつくりをのぞいてみましょう。

腸管神経系とは、主に食道から直腸(大腸の一部で肛門の直前にある)までつながる消化器官の壁の内側に網目状に張りめぐらされた神経ネットワークの総称です。

これは、「筋層間神経叢」と「粘膜下神経叢」と呼ぶ2つの「神経叢」でできています。漢字が込み入っていますが、よく見ると文字通りの名称です。「叢」は草が群がっているところという意味で、神経叢とは神経が網目状につながった構造を指します。

それぞれの神経叢を理解するためにまず、消化管のつくりについても触れておきます。

図を見てください。消化管は筒状の臓器で、その壁はバームクーヘンのように何層にも重なっています。そのつくりは臓器によって少し違いますが、多くは筒の内側から外側に向かって、「粘膜」、「粘膜下層」、「筋層(内側の輪状筋、外側の縦走筋)」、「しょう膜」の順に重なっています。

腸の働きにとって重要な先述の蠕動運動とは、筋層の輪状筋と縦走筋が交互に伸び縮みすることで生じています。

そして、腸管神経系のつくりはこうです。その2つの筋肉の間に存在しているのが筋層間神経叢で、発見者の名前にちなんで「アウエルバッハ神経叢」とも呼ばれます。働きは「蠕動運動をコントロールすること」であり、食道から肛門の腸管全体に存在しています。

もうひとつの粘膜下神経叢は粘膜下の組織に存在し、同様に「マイスナー(マイスネル)神経叢」とも呼ばれています。働きは「粘膜の血流や分泌、吸収などをコントロールすること」で、主に小腸と大腸に存在します。

図1 消化管と腸管神経系の構造

腸管神経系のひとつの「筋層間神経叢」は、文字通り筋層の間に存在して食道から直腸までに、もうひとつの「粘膜下神経叢」は粘膜の下に存在して小腸と大腸に張りめぐらされています。交感神経や迷走神経(副交感神経の代表的な神経で、胃腸では消化・吸収をコントロールする)は、消化管の外側から神経の枝を伸ばして2つの神経叢と連絡しています。 画像:菊池志乃(転載禁止)

図2 消化管の断層

しょう膜は腸やおなかの壁を包む膜で、「腹膜」とも呼ばれます。臓器側の腹膜と壁側の腹膜が重なった部位を間膜とも呼び、間膜があることで腸などはほかの臓器より自由におなかの中を動くことができます。 画像:菊池志乃(転載禁止)

実はこの2つの神経叢の発見も1800年代です。腸管神経系ネットワークによる脳と腸の情報交換は100年以上前から知られてきた、いわば脳腸相関を考えるうえでの元祖の知識といえるかもしれません。

「腸は第二の脳」と言ったとされるコロンビア大学の神経生物学者のマイケル・D・ガーションは、著書の中で「腸にも脳がある」とも述べています。腸管神経系の働きや構造から、腸の中にも一種の脳があるとイメージすると、脳腸相関の意味が理解しやすいのでは、と私は考えています。

では、これらの神経叢を持つ腸管神経系は、脳とどのようにつながっているのでしょうか。次回に続きます。

※1 Kikuchi S, Oe Y, Ito Y, Sozu T, Sasaki Y, Sakata M, et al. Group Cognitive-Behavioral Therapy With Interoceptive Exposure for Drug-Refractory Irritable Bowel Syndrome: A Randomized Controlled Trial. American Journal of Gastroenterology. 2022;117(4):668-77.

※2 Rao M, Gershon MD. The bowel and beyond: the enteric nervous system in neurological disorders. Nature Reviews Gastroenterology & Hepatology. 2016;13(9):517-28.

構成:阪河朝美/ユンブル

第2回  
脳腸相関

「腸は第二の脳」という言葉が知られてきたが、最近の研究でそのメカニズムが医学的に説明できるようになってきた。そのエビデンスをもとに、ストレス関連消化管疾患の治療に、精神神経系疾患のうつ病や不安障害ケアの心理療法「認知行動療法」を取り入れる治療が始まっている。同治療法の研究者である消化器病専門医の著者によるこの研究成果と治療法、セルフケア法を一般に分かりやすく伝える。

プロフィール

菊池志乃

菊池志乃

きくち・しの 名古屋市立大学大学院医学研究科共同研究教育センター助教。京都大学大学院医学研究科・健康増進・行動学分野・客員研究員。医学博士。消化器病専門医。消化器内視鏡専門医。京都大学大学院医学研究科博士課程医学専攻修了。高知大学・医学部医学科卒。岸和田徳洲会病院、天理よろづ相談所病院、高槻赤十字病院、京都大学医学部付属病院、京都大学大学院医学研究科特定助教を歴任。専門は過敏性腸症候群と認知行動療法。2022年、日本初の過敏性腸症候群に対する集団認知行動療法の大規模ランダム化比較試験を実施し、有効性を報告した。現在、名古屋市立大学にて過敏性腸症候群の臨床試験を実施中(https://suciri.localinfo.jp/)。

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