その医療情報は本当か 第2回

五月病、HSP、カサンドラ症候群…それは病気なのか?

田近亜蘭

■「五月病」の実態は

私は精神科医ですが、患者さんから、「私、五月病でしょうか?」「僕はHSPです。軽くなる薬はありますか」「カサンドラ症候群ということばをネットで知りました。私はそれでしょうか」といったお悩みの声を聞くことがあります。

この原稿には5月の連休明けに取り組んでいることもあり、今回は主に精神科領域で「五月病」「HSP」「カサンドラ症候群」といった質問が多い用語について、医療の現場での考えを述べます。

まず、「五月病」とはよく知られているように、春の大型連休明けに学校や職場に行く意欲がわかない、気分が落ち込む、不安がつのる、食欲がない、眠れないといったメンタルの不調の総称として使われています。1960年代後半に流行語となったといわれます。

以前は、受験を終えた新入学の大学生や、クラス替えなどで環境が変わった小中高生、また新社会人らが、4月は希望をもっていたものの新しい環境に適応できず、5月の連休明けに意欲が減退することを指していました。

近年では、中高年でも会社での異動や昇進、家族らの状況など環境の変化によって同様の症状がみられることから、年代や職業を問わずに広く一般に用いられるようになっています。

また、5月の連休明けから徐々に気力が低下し、6月になってより症状が強くなってつらい、という人が増えていることから「六月病」と呼ばれることもあるようです。

ここで伝えておきたいのは、「五月病とは俗称であり、医学的な病名ではない」ということです。

連休が明けると、メディアでは盛んに「五月病に注意」という情報が発信されていますが、あたかも病名であるかのような表現もみられます。患者さんの中にも、五月病を病名だととらえている人が多いと感じています。

では、五月病の実態とはどういうことなのでしょうか。

学校や職場、家族、対人トラブルなど明確な原因と考えられるストレスがあり、先述の症状のように無気力や気分の落ち込み、食欲不振、不眠が長く続いて日常生活に支障がある場合、医学的には「適応障害」にあたります。

また、明確な原因の有無に関わらず、症状が2週間以上にわたってほぼ一日中続く場合は「うつ病」のケースもあります。

ただし5月と言わずとも、年末年始や夏休み、秋の連休の後などに、学校や会社に行くのが面倒になる、ああしんどい、もっと寝ていたいと思うことは誰にでもあることです。それが一時的なものであって、いつしか休み前の状態に気力が戻っている場合は五月病ではありません。いわゆる「気分的なもの」であり、誰もが経験する正常な反応です。

■五月病には一年中注意を

五月病に関してわたしがもっとも伝えたいのは、五月病・六月病とは5月や6月といった特定の時期に関わらず、一年中起こりうるものだということです。精神科の現場において実のところ、5月や6月に適応障害やうつ病の患者さんが増えるといった明確な統計データや、医師としての実感もありません。

中高生や大学生の場合、夏休み明けの9月〜10月にこういった症状が強まるケースもあり、特定の時期を示す五月病・六月病という表現には違和感を覚えています。

そもそも、適応障害やうつ病は、花粉症やインフルエンザのように季節性の病気ではありません。メンタルの病気の発症や症状の表れかたに、時期を特定して考えることはできません。

 

画像はイメージです

五月病かもと思われるつらい症状が2週間以上続く場合は、精神科か心療内科を受診しましょう。適応障害やうつ病、またほかの病気ではないかなどを診断します。

■「HSP」は特性を表す

次に、数年前からメディアで見聞きするようになった「HSP」について考えます。

HSPとは「Highly Sensitive Person」の略で、直訳すると「非常に敏感な人」となります。米国の心理学者のエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念といわれ、さまざまな事象への感受性が強い性質を生まれ持った人のことをいうとされています。

その特性は、一般にほかの人が感じないような刺激に過剰に反応する、感情の反応が強い、音・光・においなどの刺激に敏感であるなどで、興奮による疲れが激しいといったことです。

HSPということばはその人の特性を表すものであり、病気ではありません。病気ではないので、医療における病名も存在しません。

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HSPということばが知られるようになった背景には、著名人がSNSやメディアで発言したり、HSPで悩む人たちのコミュニティがネット上で広まったりしたことがあるようです。

「自分はHSPだ」と言って受診された場合、そのこと自体が治療の対象にはなりませんが、背後にうつ病などの病気が隠れているケースもあります。

冒頭で紹介した「僕はHSPです。軽くなる薬はありますか」という質問の場合、医師はまず、メンタルと体の両面から病気ではないかを診断することになります。

刺激に敏感な性質や体質というと、誰しも「自分はそういう面がある」と思うのではないでしょうか。とくに、人間関係など何らかの悩みごとがあるときや体のどこかが不調なときには、周囲の人の言動や社会のできごとに過敏に反応し、同じ悩みの人に強く共感したり、音や光、においにも敏感になったりすることはあるでしょう。

しかしながら、悩みや不調が取り除かれたときには過敏ではなくなることも多いと思われます。その場合は生体の自然な反応であり、病気ではありません。

自分はHSPだと悩み、それが日常生活に支障を来たすほどつらい場合は、HSPではなくメンタルや体の病気かもしれません。

■「カサンドラ症候群」でつらいときは

近ごろ、患者さんから耳にすることばのひとつに、「カサンドラ症候群」があります。「私はカサンドラ症候群です。とても憂うつで将来には不安しかない」「カサンドラ症候群は病気ではないそうですが、病院を受診してはだめですか」といった声です。

カサンドラ症候群とは、発達障害のひとつである「アスペルガー症候群」(※)のパートナーや家族、同僚ら身近な人とのコミュニケーションにストレスがつのり、心身に多様な不調が表れることをいいます。カサンドラはギリシャ神話に登場するトロイの王女の名で、神の呪いで苦しんだ境遇に見立ててその名が付けられたといわれます。

※アスペルガー症候群という病気は現在(2013年のアメリカ精神医学会の診断基準『DSM-5』の発表以降)、「自閉スペクトラム症」(ASD:autistic spectrum disorder)のひとつに分類されています。

カサンドラ症候群も、病名や病気ではありません。ただし、パートナーや家族などへの対応の方法について知識を得たり、専門機関に相談したりすることは重要でしょう。

また、五月病やHSPと同様に、そのことで悩んで心身の不調が長引き、日常生活に差し支える場合は、適応障害やうつ病といったメンタルの病気である可能性もあります。気分の落ち込みが続いてつらいときは、早めに精神科か心療内科を受診してください。

■情報選択、高額治療やカウンセリングビジネスに注意

医学的に病名ではないことばが社会に広く知られるようになり、ひとり歩きすることは古今東西、よくある現象といえます。ただ、現在のネット社会では情報の拡散スピードがすこぶる速く、それに比例するように医療情報の内容が変わっていき、病気の本質が誤って伝わりがちということに問題があります。

五月病、HSP、カサンドラ症候群はどの場合も、メンタルの不調に基づくことばですが、その本質的な意味、概念は適切に伝わっているでしょうか。「この悩みは性質なのか病気なのか」と迷う人も多いと思われますが、迷うときこそ、ネット上で見つけた不適切ながら刺激的な意見や情報に注目してしまうことがあるかもしれません。

ネット上、テレビ番組、雑誌にも、これらのチェックリストや克服の方法といった情報があふれています。そのリストや克服法は、医学的なエビデンス(根拠)に基づいた確かな情報なのでしょうか。病気や病名ではないのだからと、メディアや企業、団体、個人がどのように表現しようと自由だという考えや方法は大変危険です。

流行していることばを用いて、自費診療で高額な費用をとるクリニックや、専門家ではない人によるカウンセリングといったビジネスも急増していると聞きます。

くり返し述べますが、つらい不調が続く場合、メンタルと体に何らかの病気が隠れている可能性もあります。

病名ではないけれど、健康を害しているような意味合いのことばに接するとき、第1回で触れた「医療リテラシー」が重要になってくるのです。

構成:阪河朝美/ユンブル

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その医療情報は本当か

医療リテラシーの定義は「医療や健康情報を入手・理解・評価・活用するための知識、意欲、能力」とされている。その実践法として、医療の定説やメディアで見聞きする医療情報の読み取りかたを数字、グラフ、情報の質を中心に説明し、また適切な情報を見分ける方法とその活用法を紹介する。

プロフィール

田近亜蘭

たぢか・あらん 京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻 健康増進・行動学分野准教授。医学博士。精神科専門医・指導医。精神保健指定医。京都大学大学院医学研究科博士課程医学専攻修了。関西医科大学精神神経科・医局長、京都大学医学部附属病院精神科神経科・外来医長などを歴任 。

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