ウルトラマン不滅の10大決戦 完全解説 第7回

黒澤時代劇を受け継ぎ、あの格闘映画に影響を与えた一戦

古谷敏×やくみつる

ホシノ そのジラースのエリ巻きなんですけども。

古谷 ええ。

ホシノ 最後の最後、絶命したジラースにウルトラマンが敬意を払うようにエリ巻きをかけてあげるじゃないですか。

監督の満田かずほ氏は「ゴジラの状態で東宝に返却する条件だったため、劇中で意図的に元に戻した」とエリ巻きを剥ぎ取った演出について、こう語っている。そんな大人の事情を知らない、気にしない子供たちはやっぱり、突然のゴジラ出現に大喜び

古谷 ああ、はいはい。

ホシノ そのシーンについて、大変興味深い記述を発見したんです。

古谷・やく ん?

ホシノ 僕はですね、ちょっと病的なまでのブルース・リーのファンでして。各作品はすべて映画館で50回以上は観ているという……。

古谷 それは凄いですねえ。

ホシノ 当時はまだ、VHSなどが普及されていない時代で、彼の勇姿を拝むには映画館に足を運ばなければいけなかったという……。

古谷 それでも映画館で50回以上も観ていて飽きませんか(笑)。

ホシノ 例えば『燃えよドラゴン』(1973年製作・同年日本公開)が封切られると、1日に4回は上映されるので、その4回分を同じ席で鑑賞します。まずは小学校を休み、1週間続けて4回鑑賞行為を続けます。途中、すでにストーリーが頭の中に入っていますから、格闘シーンが始まるまでは寝ています。それで格闘が始まると、なぜか自然にムクッと起き出し、スクリーンを見つめるんです。そこで彼が繰り出す技のバリエーションなどをひとつひとつチェックしたり……。

やく なんとまあ、マニアックな。

ホシノ 昭和歌謡、大相撲、昆虫などなど、ご自分が好きなジャンルに関しては“マニアック・キング”なお人に言われたかあないですっ!

やく (笑)。

ホシノ ええっと、そんな僕ですから、ヒマさえあれば、今でもちょくちょくブルース・リー関連のサイトなどを覗いていて。それである香港のサイトに彼の1971年頃の活動記録が掲載されているのを発見したんです。

 1971年というと、彼が何度目かの失意のどん底を味わっていた時期なんですよ。というのも、自分が出演するために作り上げた連続ドラマの脚本『燃えよ!カンフー』がようやくアメリカのABCテレビに認められ放送されることになったのですが、クランクイン寸前に局の上層部の判断で、主演を彼ではなくデヴィッド・キャラダインというアメリカの俳優に勝手に変更しちゃったんですね。カンフードラマなのに、主人公がアメリカ人のほうが視聴者にわかりやすいとの理由だけで。だから『燃えよ!カンフー』のクレジットには「原案/ブルース―・リー』と記されているんです。

やく そりゃヒドい。

ホシノ その変更にショックを受けた彼は、今でいうひきこもり状態になり、毎日家で世界中のいろんな映像作品を取り寄せ観ていたようなんです。そんな状況のある日、彼はあるひとつの作品に感銘を受け、こんな言葉を残しているんですよね。

「日本の子供向け特撮番組なのだが、最後のシーンに武士道が描かれていて衝撃を受けた。敗者にも敬意を捧げる。日本では子供の頃から映像でこんな胸に迫るシーンを観ているのだから、礼儀正しくなるのもうなずける。強き者同士が戦い、どちらかが負けても、勝ったほうがリスペクトを持ち続けていれば、その戦いはいつまでも光りを放つ」

古谷 ブルース・リーらしいですね。

ホシノ 本題はここからで、彼が当時、自宅で観たのは『謎の恐竜基地』の回だったのではないかと推測されるんです。

やく なぜに?

ホシノ 名作『ドラゴンへの道』(1972年製作・1975年日本公開)のクライマックス・シーン。ローマのコロッセオで強敵チャック・ノリスとの決闘の果てに勝利を収めたブルース・リーは、ノリスの胴着をそっと顔にかけるんですね。それはウルトラマンが剥ぎ取ったエリ巻きをジラースにかけてあげるシーンとまったく同じなんですよ。カメラアングルまで一緒。彼は『ドラゴンへの道』でウルトラマンにオマージュを捧げたんだと思います。

古谷 そうであれば、嬉しいですね。

映画関係者、専門家、また実際に攻防を繰り広げたチャック・ノリスの証言を集約すると、この『ドラゴンへの道』でのブルース・リーが肉体的にも精神的にもベストの状態だったらしい。その後、徐々に病魔が彼を蝕んでいったのである。 Distributing / Photofest / ユニフォトプレス

ホシノ 実は1997年にブルース・リーの3作品『ドラゴン危機一髪』(1971年製作・1974年日本公開)『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年製作・1974年日本公開)『ドラゴンへの道』がVHS化されることになりまして。

古谷 ほうほう。

ホシノ 当時、週刊プレイボーイのライターだった私は発売を記念して、シアトルの彼の自宅でリンダ夫人にインタビューするチャンスを与えられましてね。

やく マニアックであり続けると、たまに奇跡を呼び寄せます(笑)。

ホシノ そうなんですよ。そのときに、リンダ夫人がありがたいことに彼の書斎を見せてくれたんです。その書斎の本棚の隅にあったんです、ウルトラマンのソフビ人形がっ! あのときはどうして彼の本棚にウルトラマンのソフビがちょこんと置かれていたのか謎でしたけど、1本の線に繋がりました。

古谷 凄い話ですね、それは。

ホシノ どうですか、古谷さん。天下のブルース・リーの創作活動にウルトラマンが多大なる影響を与えていたんですよ。

古谷 なにかこう、胸が熱くなりますよね。ウルトラマンという作品がブルース・リーの作品に何かしらのパワーを与えていたのであれば、とても光栄ですし、素晴らしいことだと思います。

(第4位は12月15日に発表予定)

司会・構成/ホシノ中年こと佐々木徹

撮影/五十嵐和博

©円谷プロ

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プロフィール

古谷敏×やくみつる

 

古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。

 

やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。

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