なぜ、ドラマ『SKYキャッスル』が韓国を知るうえで重要と言われるのか?
めざすはソウル大学医学部
物語は、そのSKYキャッスルで暮らす医学部教授の一人息子が、ソウル大学の医学部に見事合格したところから始まる。(キャッスル住民である教授たちの在籍する私大は架空だが、ソウル大学だけは実名で登場する。ここらへんは日本の東大と同じく、ソウル大は単なる固有名詞ではない)
「祝ソウル大医学部合格」のパーティーを主催したのは、同じキャッスルに住む隣家の主婦である。彼女の娘もソウル大医学部を狙っている。
パーティーはゴージャズだ。高級ホテルのパーティルームでのフルコース、バイオリンやチェロなどの音楽家たちの演奏も特別にオーダーしてある。凄まじくお金がかかったであろうパーティーの費用は、この主婦が全て払っている。
「いくらかかったんだ?」
夫はこういうパーティに反対だが、妻はその夫を「時代遅れだ」と罵る。
「今は昔とは違うのよ。あなたのように勉強だけしていれば、ソウル大学に入れたような時代ではないの」
ドラマ『SKYキャッスル』では、韓国の受験制度の変化に鈍感な父親と、過剰なほど敏感な母親(父親もいる)との対立も、見どころの一つとなっている。ちなみに時代設定が2018年現在ということから推定すると、親たちは1970年ぐらいの生まれ。しがって軍事独裁政権時代に生まれ、学生時代に民主化を経験した世代である。
日本語字幕では別の言葉になっていたが、「お父さんだって、若い頃は火炎瓶を投げたりもしたけど……」という台詞があり、そんなリベラルだった人間が今は現実主義者となって、子どもをソウル大に入れるために必死になっているという話である。
なぜ、パーティーが大学受験に必要なのか?
さて、このドラマのプロローグである「豪華なパーティ」こそが、韓国の受験制度の壮絶さを解説するうえで実に重要な意味を持つのだが、その前にドラマの見どころに少しふれておきたい。
このパーティーの場面は韓国における「一般富裕層の浅さ」を上手に皮肉っており、スタートから演出家の意図が明確に示されている。例えば、パーティーでせっかくの生演奏のワルツを酔っ払って演歌に変えてしまう医学部教授など、このドラマには優れたブラック・コメディがあちこちに仕込まれている、その狂言回し役を演ずるのが大学教授である父親たちなのだが、これが凄まじく面白い。まさに『愛の不時着』の北朝鮮兵士グループと双璧をなす、素晴らしい演技力である。
そして、このゴージャスなパーティが、まずは「韓国あるある」。受験生をもった親たちなら、この裏事情がよくわかる。日本人が見ると気づかないかもしれないが、重要なのは「このパーティの主役が誰なのか」ということだ。それは合格した受験生本人ではなく、彼の母親なのである。合格パーティのコンセプトは「頑張った母親を慰労する会」であり、その主催者が隣家のお母さん(ママ友)という設定だ。ここが実に韓国らしい。
世の中には、ともに闘う「戦友」でありながら「ライバル」というシチュエーションは多い。学校でも、スポーツでも、会社なども皆そうだろう。ところで韓国における受験は、当事者である生徒だけではなく、母親たちにもそんな同志的一体感が生じる。
母親同士の集まりは頻繁にもたれ、親睦会や食事会、あるいは子どもたちの試験後には「みんな頑張ったよね、お疲れー!」という打ち上げなども。それは素直にお互いを慰労し合う意味もあるのだが、実際にはそこから「何かの情報をとる」という目的もある。
「それは塾とか、家庭教師の情報ですよね?」
日本人でも教育熱心な親たちなら、そのくらいの想像力は持つと思う。でも、韓国の場合はそれだけではすまない。
ドラマでは、パーティを主催した母親の狙いはすぐに明らかにされる。遅れをとった他の母親も、合格した子の母親にプレゼント攻勢などをして、なんとか手に入れようと必死になるシーンが出ている。母親たちが全力で欲しがっているものは何なのか?
「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。