カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第11回

『賢い医師生活』で知る、韓国の人々の幸福感や倫理観

伊東順子

2019年の韓国、「あしながおじさん」の存在  

 

 ドラマはシーズン1の初回からいきなり、「子どもの手術費が出せない」というエピソードから始まる。

 

 「エクモではもうもたないから、左心室の減圧には人工心臓の方が。今日明日のうちに手術をしないといけません」

 「どうしよう…、先生、今すぐには手術費を用意できません」「どこで工面すればいいのか」「先生、1週間待ってくだされば、私が何とかして手術費を作ります」「先生、どうかうちのウナをなんとか助けて下さい」

 「時間がないんです。すぐ、手術しないと。じゃないと死んでしまう可能性もあります」

 「先生、どうしたら…」

 「お母さん、大丈夫です。病院には支援方法がいろいろありますから。ウナは手術できないことはありません」

 

 「病院での支援方法」について語っているのは5人の医師のうちの一人、大学病院の胸部外科准教授キム・ジュンワンである。彼の頭の中にあるのは「公的支援」のようなものではなく「あしながおじさん」。

 「あしながおじさん」とはアメリカの児童文学のタイトルであり、孤児院で育った主人公の少女を支援してくれる資産家のおじさんのニックネーム。この古典作品によって「あしながおじさん」は貧しい子どもたちを助ける匿名の支援者の世界的な代名詞となった。日本でも交通遺児の支援団体である「あしなが育英会」などが知られている。

 このドラマの中でも「あしながおじさん」は匿名の支援者であり、その実体は当初は明らかにされていない。ネタバレになってしまうので、ここでは詳しくはふれないが、重要なのはそれがドラマの初回から登場することだ。

 ドラマに登場する5人の医師たちは、もれなく優秀なエリート外科医であり、韓国の最先端医療の担い手でもある。しかし、その高度な医療の恩恵を、誰もが手軽に受けられるわけではない。その厳しい現実を問題提起することから、ドラマはスタートする。

 

韓国の医療サービスにおける格差

 

 「お金がなくて手術が受けられない」という状況は、すでに経済発展を遂げた韓国の現実としては違和感があるかもしれない。ただ、そこが今の韓国の医療制度における重要な課題であり、ドラマ全体を通して「みんなで考えるべき課題」となっている。

 韓国は日本と同じく「国民皆保険制」の国である。医療へのアクセスは欧米諸国などに比べても手軽で、日本と同じく「ちょっと熱が出たぐらいでも医者にかかる国」である。ソウルや釜山などの大都市はもちろん、地方の中小都市でも病院はたくさんあり、個人クリニック(医院)なら予約なしでも診察が受けられる。発熱や腹痛程度なら保険適用で医療費も安いが、問題はその先である。

 個人クリニックで対応が難しい病気は、その上の「総合病院」や大学病院などの「上級総合病院」に送られるのだが、そこでの診療費は高額な場合が多い。健康保険でカバーされる範囲は狭く、また日本にはない「混合診療」(保険適用と非適用の混合)が認められており、そうなると患者の自費負担が大きくなってしまう。そのために、韓国では自費負担分をカバーする民間の「実費保険」が発達している。

 さらに、韓国では病院のランクによって、外来診療の自費負担率が異なり、上級病院クラスになると6割負担と高率になる。

 「みんな上級病院が好きなのです。韓国には、軽症でも遠方からでも、ソウルの有名病院で診てもらいたいという人が多い。それを防ぐためです」

 病院関係者の説明はシンプルだが、実際に上級病院での診察が必要な人にも敷居が高くなってしまう。

 ちなみに韓国の医療機関は、医院、病院、総合病院、上級病院というランク別に分かれている。現在、韓国政府が指定する上級病院は全国46ヶ所。うちソウル市内には14ヶ所が集中しており、その多くは大学の医学部と財閥系企業が提携している。

 ドラマの舞台となっている「ユルジェ病院」も財閥系の財団を運営する上級病院であり、医師たちは提携大学の教授たちという設定だ。上級病院の多くは医療設備も最新なだけではなく、建物や内装も立派だ。病院内のレストランやカフェや売店なども充実しており、恋愛の背景としても十分だ。さらにゴージャスなVIPルームは韓国の富裕層だけではなく、海外の富裕層にも利用されている。

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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『賢い医師生活』で知る、韓国の人々の幸福感や倫理観