11月4週目の週末、大阪に出かけた。
連休だったからか、駅は混雑していた。外国人の観光客も多くいる。
滞在したホテルも満室で、どちらかと言えば外国人ばかりと一緒になった。エレベーターや朝食の席で。
フィギュアスケートグランプリシリーズ2023、NHK杯は大阪での開催だった。会場は、東和薬品RACTABドームだ。
各競技はそれぞれ素晴らしく、会場の雰囲気は温かだった、選手ごとに振られる国旗が、いかにも日本の試合らしかった。
試合後、ジャッジの厳しさが云々されていたが、ジャッジが厳しいのは当然だと思う。ただし、試合ごとに基準が異なるのは、競技としてだいぶおかしい。
この件については、十年以上前から「だいぶおかしい」と思い続けている。試合ごとに変わる基準では、選手は戦えないではないか。もっと言えば、まったく公平ではない。
ずっと言い続けてきたが、これからも言う。採点基準は統一しなければならない。数値化の難しい競技だからこそ、そうあるべきだと思う。
男子シングルの優勝者は、鍵山優真だった。彼は2022年中国、北京オリンピック銀メダリストである。
二位になったのは、宇野昌磨。2018年韓国、平昌オリンピックで銀メダル、2022年北京オリンピックで銅メダルを獲得している。
世界選手権は2022年フランスモンペリエ、2023年さいたまを連覇している。押しも押されぬ日本のエースだ。
ふたりの競い合いには、ひりひりした。
彼らは、フィギュアスケートを面白くする。世界を引っ張っている。そういう存在が日本にいてくれて、嬉しい。お礼を言いたいくらいだ。
さて、会場には懐かしい人がいた。鍵山が今シーズンに迎えたカロリーナ・コストナーコーチである。
私は思い出す。彼女はエレガントな選手だった。ずっと観ていたいと思わせるスケートをした。大好きだった。
コストナーを意識したのは、2008年の世界選手権だった気がする。私は現地で取材をしていた。スエーデンのイエテボリが開催地で、彼女は21歳だった。
2005年にロシア、モスクワの世界選手権で銅メダルを獲得し、大いに期待されていたものの、まだ「イタリアの至宝」とは呼ばれていなかった。
イエテボリの女子フリー、最終グループにはコストナー、浅田真央、中野友加里らがいた。優勝したのは浅田で、コストナーは二位だった。中野は四位だった。
コストナーは、
「結果に満足している」
と話していた。
正直に言う。このとき、彼女を熱烈に応援していたとは言いがたい。怪我でフリーを途中棄権した安藤美姫を含めて、私は日本の選手を応援していた。
それでも、覚えている。コストナーのスケートにはスピードがあり、独特の品があった。滑らかで、柔らかだった。
イエテボリの取材ノートに、私は「大歓声」と書いている。彼女は、観衆の支持をたくさん受けていた。
2012年フランス、ニースの世界選手権優勝、2014年ロシア、ソチオリンピックの銅メダルに輝いたものの、彼女の道は平坦ではなかった。
成功を手にしたゆえの紆余曲折は、世の中に少なからずある。要は、そこからどう生きるかだ。
コストナーは問題を多々抱えたが、諦めなかった。リンクに必ず戻ってきた。フィギュアスケートへ深い思いを持っていた。だからこそ、15年以上もハイレベルな戦いの場にいられたのだ。
忘れられないプログラムがある。ソチオリンピックのショートプログラムだ。
コストナーは、それをシューベルトのアヴェマリアで踊った。薄いブルーに白のコスチュームでだ。袖のところが白に近い銀色に光っていた。
ひとかきですーっと伸びる。流れるようなスケーティング。爽快なスピード。指先まで気持ちが込められる。成熟した演技。
賛辞なら、いくつも綴ることができる。つまり私は、彼女が今でも好きなのだ。
大阪でのNHK杯、鍵山優真には緊張が見えた。大きなけがから復帰しての国内戦、緊張があって当然だろう。
一方、気概も漂わせていた。六分間練習のとき、彼は大きく息を吐いた。「ふうっ」と聞こえた。その吐息に、やり遂げようとする意志を思った。
コストナーは、フェンスの前に立っていた。優真の父であり、コーチでもある鍵山正和氏の横であったり、少し後ろだったりにである。
見ていた範囲では、大きな声をあげたりはしていなかった。拍手はしていた。優真が帰ってくると、上着やエッジケースを渡していた。
試合に入ってからも、あまり様子は変わらなかった。試合が終わると微笑みながら、正和コーチの背中をぽんぽんと撫でた。それから手のひらをぽんと合わせた。
結果がよかったのだから当たり前だが、鍵山はすごく嬉しそうにしていた。その両側にいるコーチもそうだ。幸せそうに見えた。
鍵山優真のこれからが楽しみだ。たしかな技術に加えて、表現力がさらに増している。スピードは申し分ないし、スケートは滑らかだ。伸びている。
書いていて、思う。まるで数行前に綴ったコストナーへの賛辞のようではないか。
鍵山はますます輝くに違いない。いつか、その日のことも書こうと思う。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。