宇都宮直子 スケートを語る 第30回

心に刺さる。

宇都宮直子

 拍手が沸いている。

 ぱらぱらと重なって、雨音のようにも聞こえる。リンクはまだ薄暗い。ライトが放つ光りが綺麗だ。光芒のようだ。

 私はそれを映画館で見ている。会場には行けなかった。くじ運が悪いせいだ。

 だけど、フィギュアスケートを映画館で観るのはぜんぜん悪くないと思う。迫力が半端ない。

 後方の席は満席になっている。どこかで、小さく声がする。

「たまアリ、行きたかったね」

「まだ横浜もあるから」

 そう。来年一月には佐賀市で、二月には横浜市で同じアイスショーが観られる(チケットが手に入ればの話だが)。

 羽生結弦、日本人、男性、二八歳。

 さいたまスーパーアリーナに一四〇〇〇人の観客を集める。全国の映画館で、ライブビューイングを行う。CSのテレビ局で生中継される。こんなすごいことを、たったひとりで成し遂げる。

 時刻は午後五時を回ったところだ。彼の新しいツアー「RE_PRAY」が始まろうとしている。

 

「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」は羽生が制作総指揮を執り、演出振付家のMIKIKO氏がプロデュースする。ゲームを真ん中に置き、その進行に人生のさまざまが重ねられていく。

 プロジェクションマッピングを使った演出に、「GIFT」を思う。羽生が語り、歩く。それだけで、私は泣きたくなる。

 語りは胸に響く。彼はそれまで、人の心に響くような生き方をしてきた。だから、多くの人を惹きつけるのだと思う。

 羽生は、白いシンプルな衣装で現れた。フードを被っている。聖歌を歌う少年みたいな装いだ。無垢な印象を受ける。

 彼が肩を広げ、腕を揺らすと、映像の中で羽根が舞う。「RE_PRAY」は、そんなふうに始まった。

 前半は「いつか終わる夢-original-」、「鶏と蛇と豚」、「Hope & Legacy」、「Megalovania」、「破滅への使者」という流れだ。

 興味深い構成である。夢はどこかで終わりを迎える。持ち続けるのは自由だが、叶わないのを知る日は来る。それが人生だ。

 私は羽生を詳しくは知らない。取材で見かけることはあっても、それ以上を知る術がない。

 ただ、前半の演技を観ていて、進化を強く思わされた。具体的に言うと、精悍さが増した。表現がさらに深くなった。覚悟を感じさせる。私見だが、「スケートと生きる」姿勢をとことん見せつけられた気がする。

「Megalovania」のリンクを荒々しく蹴る、削る演技には魅せられる。

 けっこう風変わりだ。リンクを蹴るたびに、細かく氷が飛ぶ。空気が尖る。傷を感じる。痛みを思う。

 ノイジーなエッジが新鮮だ。粗暴な羽生結弦のなんて素敵なことか。黒の衣装も似合っている。

「破滅への使者」は、高難度のプログラムだ。細い軸のジャンプを跳ぶ。四回転のサルコウとトーループも、だ。構成を精査すれば、試合で十分に戦えるだろう。

 試合の際、彼はいつだって輝いていた。幸せにしてくれた。今も同じだ。きらっきっらに光っている。

 会場にいなくても、熱さは伝わる。幸せな気分だ。

 休憩は三〇分だった。その間、映画館のスクリーンはリンクを映していなかった。あちらこちらで話し声がする。興奮が、声を少し大きくしていた。

 後半は「いつか終わる夢 Re;」で始まり、「天と地のレクイエム」、「あの夏へ」、「春よ、来い」と続いた。

 いつも思うのは、変わり続ける彼の中にある「変わらない」部分だ。たとえば、東日本大震災への思い。悲しみに寄り添い続ける姿勢に胸が打たれる。

 羽生結弦は、世界的なアスリートである。多くの人に愛されている。その彼が発信し続ける「表現」は、これからも人々を勇気づけるだろう。

 演技を観ていて、指を組みたい思いがした。私も祈る。出来ることをする。季節は巡る。いつか春は来る。必ず、だ

 アンコールは「Let Me Entertain You」、「SEIMEI」、「序奏とロンド・カプリチオーソ」という流れになった。

 会場は万雷の拍手のようだ。映画館にも拍手をする人がいた。拍手をしたい場面が続いている。

 驚かされるのは、羽生の鉄人ぶりだ。ショーは言うまでもなく、非常に完成度が高い。最高だ。これを単独で二時間強、滑りきるのだから、「すごい」としか言いようがないではないか。

 

 私がいちばんすごいと思うのは、彼が過去を壊さないところだ。

 競技者であったときの栄光を、彼はまったく壊さない。なんなく超えて、新しく美しく光ってみせる。王者のまま、そこに君臨している。

「RE_PRAY」は、そんなショーだ。羽生結弦が、唯一無二だと教えてくれるショーだと思う。

 終盤、リンクの中央辺りに立ち、彼は言った。

「皆さんの中に、ちょっとでも刺さるものがあったらいいなと思っています」

 ちょっとどころではない。少なくとも、私には刺さりまくって痛いくらいだ。

 生きていられて幸せ。

 そんな気分になって、私は映画館を出る。土曜の夜、街には大勢の人が歩いていた。

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宇都宮直子 スケートを語る

ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。

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プロフィール

宇都宮直子
ノンフィクション作家、エッセイスト。医療、人物、教育、スポーツ、ペットと人間の関わりなど、幅広いジャンルで活動。フィギュアスケートの取材・執筆は20年以上におよび、スポーツ誌、文芸誌などでルポルタージュ、エッセイを発表している。著書に『人間らしい死を迎えるために』『ペットと日本人』『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』『スケートは人生だ!』『三國連太郎、彷徨う魂へ』ほか多数。2020年1月に『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』を、また2022年12月には『アイスダンスを踊る』(ともに集英社新書)を刊行。
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