拍手が沸いている。
ぱらぱらと重なって、雨音のようにも聞こえる。リンクはまだ薄暗い。ライトが放つ光りが綺麗だ。光芒のようだ。
私はそれを映画館で見ている。会場には行けなかった。くじ運が悪いせいだ。
だけど、フィギュアスケートを映画館で観るのはぜんぜん悪くないと思う。迫力が半端ない。
後方の席は満席になっている。どこかで、小さく声がする。
「たまアリ、行きたかったね」
「まだ横浜もあるから」
そう。来年一月には佐賀市で、二月には横浜市で同じアイスショーが観られる(チケットが手に入ればの話だが)。
羽生結弦、日本人、男性、二八歳。
さいたまスーパーアリーナに一四〇〇〇人の観客を集める。全国の映画館で、ライブビューイングを行う。CSのテレビ局で生中継される。こんなすごいことを、たったひとりで成し遂げる。
時刻は午後五時を回ったところだ。彼の新しいツアー「RE_PRAY」が始まろうとしている。
「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」は羽生が制作総指揮を執り、演出振付家のMIKIKO氏がプロデュースする。ゲームを真ん中に置き、その進行に人生のさまざまが重ねられていく。
プロジェクションマッピングを使った演出に、「GIFT」を思う。羽生が語り、歩く。それだけで、私は泣きたくなる。
語りは胸に響く。彼はそれまで、人の心に響くような生き方をしてきた。だから、多くの人を惹きつけるのだと思う。
羽生は、白いシンプルな衣装で現れた。フードを被っている。聖歌を歌う少年みたいな装いだ。無垢な印象を受ける。
彼が肩を広げ、腕を揺らすと、映像の中で羽根が舞う。「RE_PRAY」は、そんなふうに始まった。
前半は「いつか終わる夢-original-」、「鶏と蛇と豚」、「Hope & Legacy」、「Megalovania」、「破滅への使者」という流れだ。
興味深い構成である。夢はどこかで終わりを迎える。持ち続けるのは自由だが、叶わないのを知る日は来る。それが人生だ。
私は羽生を詳しくは知らない。取材で見かけることはあっても、それ以上を知る術がない。
ただ、前半の演技を観ていて、進化を強く思わされた。具体的に言うと、精悍さが増した。表現がさらに深くなった。覚悟を感じさせる。私見だが、「スケートと生きる」姿勢をとことん見せつけられた気がする。
「Megalovania」のリンクを荒々しく蹴る、削る演技には魅せられる。
けっこう風変わりだ。リンクを蹴るたびに、細かく氷が飛ぶ。空気が尖る。傷を感じる。痛みを思う。
ノイジーなエッジが新鮮だ。粗暴な羽生結弦のなんて素敵なことか。黒の衣装も似合っている。
「破滅への使者」は、高難度のプログラムだ。細い軸のジャンプを跳ぶ。四回転のサルコウとトーループも、だ。構成を精査すれば、試合で十分に戦えるだろう。
試合の際、彼はいつだって輝いていた。幸せにしてくれた。今も同じだ。きらっきっらに光っている。
会場にいなくても、熱さは伝わる。幸せな気分だ。
休憩は三〇分だった。その間、映画館のスクリーンはリンクを映していなかった。あちらこちらで話し声がする。興奮が、声を少し大きくしていた。
後半は「いつか終わる夢 Re;」で始まり、「天と地のレクイエム」、「あの夏へ」、「春よ、来い」と続いた。
いつも思うのは、変わり続ける彼の中にある「変わらない」部分だ。たとえば、東日本大震災への思い。悲しみに寄り添い続ける姿勢に胸が打たれる。
羽生結弦は、世界的なアスリートである。多くの人に愛されている。その彼が発信し続ける「表現」は、これからも人々を勇気づけるだろう。
演技を観ていて、指を組みたい思いがした。私も祈る。出来ることをする。季節は巡る。いつか春は来る。必ず、だ
アンコールは「Let Me Entertain You」、「SEIMEI」、「序奏とロンド・カプリチオーソ」という流れになった。
会場は万雷の拍手のようだ。映画館にも拍手をする人がいた。拍手をしたい場面が続いている。
驚かされるのは、羽生の鉄人ぶりだ。ショーは言うまでもなく、非常に完成度が高い。最高だ。これを単独で二時間強、滑りきるのだから、「すごい」としか言いようがないではないか。
私がいちばんすごいと思うのは、彼が過去を壊さないところだ。
競技者であったときの栄光を、彼はまったく壊さない。なんなく超えて、新しく美しく光ってみせる。王者のまま、そこに君臨している。
「RE_PRAY」は、そんなショーだ。羽生結弦が、唯一無二だと教えてくれるショーだと思う。
終盤、リンクの中央辺りに立ち、彼は言った。
「皆さんの中に、ちょっとでも刺さるものがあったらいいなと思っています」
ちょっとどころではない。少なくとも、私には刺さりまくって痛いくらいだ。
生きていられて幸せ。
そんな気分になって、私は映画館を出る。土曜の夜、街には大勢の人が歩いていた。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。