執拗に差し入れを要求
「野菜ジュースが欲しいんですよ。差し入れくれませんか」
2020年7月、東京都立川市にある立川拘置所。訪れた記者の平林未彩と面会室で向かい合った白石被告はこの言葉を繰り返した。
勾留中の被告が着せられる黄緑色のつなぎに白いマスク姿。黒い髪が肩まで伸びていた。「来てくれてありがとうございます」と頭を下げ、目尻にしわを寄せてほほえむ様子は、一見すると、どこにでもいる優しそうな青年に見えた。間もなく、「コロナで痩せたんですよ。面会停止で差し入れがなくて。くれませんか」と切り出してきた。
拘置所では朝昼晩の3食こそ保障されるものの、それ以外は何も出ない。それでも、菓子などの飲食物や雑誌などが欲しければ、所内の売店にあれば購入することができる。ただ、「ヒモになりたい」という動機で犯行を繰り返した被告が金を持ち合わせているはずがない。差し入れをする人として真っ先に思い浮かぶ家族も一度も面会に来ていないという。このため、面会する記者らに差し入れを求め、差し入れを断れば、取材どころか面会にも応じないとも聞かされていた。
一方、私たちが取材の対価に差し入れという便宜供与をすることは原則的にはない。便宜供与の対価として聞き出した話には、信憑性に疑問が残り、報道の正確性を担保できない可能性があるからだ。便宜供与を受けるために、記者が好みそうなネタを作られたり、誇張されたりしたくなってもおかしくない。
さらに今回は、それ以前の問題とも言える。自身の欲求を満たすために凶悪な犯行を続けたとされている白石被告から話を聞くために差し入れをすることは、被告の欲求に応えることになる。そこに心理的な抵抗を感じた。
かといって、ここで明確に拒否すればすぐに追い払われかねない。とりあえず「検討してみます」とだけ言い、会話を続けた。
「もうすぐ公判が始まりますね」
と話を向けると、「それは…差し入れがあれば。野菜ジュースを飲みたいです」と返してきた。目尻にしわを寄せている。
やっぱり答えない。それでも「面会は多いんですか?」と続けた。
白石「週に2、3回ですかね」
この質問には答えた。
記者「ご家族も来られるんですか」
白石「それはもう、野菜ジュースですね」(笑)
記者「これまでに書かれた記事は読んでますか」
白石「読んだり、読まなかったり」
記者「どう思いました? 腹が立ったりとか」
白石「こんなこと言ってないのにって思うことはあります」
記者「たとえば?」
白石「たとえば、野菜ジュースが飲みたいです」(笑)「ほんとにめっちゃ飲みたいんですよ」
記者「野菜ジュース以外で今ほしいものは」
白石「おつまみ系とかっすね、ラジオとかの特集でラーメンとか、酒のつまみとかやってるともう。酒飲みにいきてえ、おつまみ食べてえ~ってなります」
そう言って、ものすごく悔しそうな顔を見せた。少し楽しそうにさえしている。
雑談には応じるものの、事件に少しでも絡みそうになると野菜ジュースとしか言わない。「その線引き」を間違えないのか聞いてみると、「分かるんですよ。何を記事としてほしいかが」と笑い、自信を見せた。
しばらく雑談を続けてみる。
最近は何をしているのかと聞くと、将棋、筋トレ、漫画の模写という。独房に将棋の対戦相手はいない。どうやっているのか尋ねると、独りで紙に書いては消してを繰り返しているらしい。
「毎日やることがなくて。とにかく暇なんで、朝から晩まで将棋のこと考えています」
筋トレも同じ理由で、暇だからという。差し入れをしようとしない記者とこうして雑談を続けるのも、要は暇だからなのか。話を向けてみると
「今日面会を受けたのは、名前見て名前がかわいかったからなんですよ。これが男だったら即終了ですよ」と言って、また笑った。
話を続けていると、以前に面会に訪れた女性記者の中に、好みの美人がいたらしい。
「その人には、差し入れなくてもちょっとしゃべっちゃいました。だから絶世の美女を連れてきてくれれば話します」
白石被告はこの調子でしゃべり続けた。刑務官から「時間です」と告げられると「今日はありがとうございました。野菜ジュースお願いしますね」と丁寧に頭を下げ、面会室を出て行った。
その後、差し入れをしないまま何度も面会を申し込んだが、応じられることは一度もなかった。
振り返ると、面会で話した内容のほとんどは、差し入れと女性についてだけだ。それは事件の動機とされている「カネと女」そのものと言える。白石にとって重要なのは,結局その二つと確認できた点で意味はあったかもしれないが、本当に知りたかった「飛躍」の手がかりはまったくつかめなかった。
一方で、被害者の9人がなぜ、初めて会った被告の家に迎え入れられてしまったのかは、少しだけ分かる気がした。面会中、女性である記者の容姿を褒めたり、仕事をねぎらったりする言葉を何度も発していた。へりくだったり、おどけたりしながら会話を途切れさせず、気を遣っているようにさえ見えた。
9人を殺害し、遺体を解体した男に会うという、面会前に抱いていた重い緊張感が、少し和らいでいたのは確かだ。自分が悩みを抱え、誰かと話したいと切実に思っている時に、殺人犯という取材相手ではない白石被告と巡り会っていたら。そう思うとぞっとした。
プロフィール
※この連載は、2020年9~12月の座間事件公判を取材した共同通信社会部の記者らによる記録です。新聞を始め、テレビ、ラジオなどに記事を配信している共同通信は、事件に関連する地域の各地方紙の要請に応えるべく、他のメディアと比較しても多くの記者の手で詳細に報道してきました。記者は多い時で7人、通常は3人が交代で記録し、その都度記事化してニュース配信をしました。配信記事には裁判で判明した重要なエッセンスを盛り込みましたが、紙面には限りがあります。記者がとり続けた膨大で詳細な記録をここに残すことで、この事件についてより考えていただければと思い、今回の連載を思い立ちました。担当するのは社会部記者の武知司、鈴木拓野、平林未彩、デスクの斉藤友彦です。