日本犯罪史上まれに見る猟奇的な大量殺人「座間事件」。白石隆浩被告が死刑判決を受けるまで、計24回の公判をすべて記録した記者たちによる詳細なレポート。
「被告人を死刑に処する」。裁判長が宣告した死刑判決を、白石隆浩被告は淡々と受け入れた。予想はしていたものの、まるで人ごとのような態度のまま「白石劇場」は幕を閉じた。日本の犯罪史に残る凶悪事件を起こした被告は結局、何者だったのか。
※白石隆浩被告は2021年1月5日に死刑判決が確定し、呼称は「白石隆浩死刑囚」に変わりましたが、この連載では変わらず「被告」と表記します。
2020年12月15日の判決日。午後2時からの言い渡しを前に、東京地裁立川支部では午前中から傍聴券を求める大勢の人が列をなした。
判決は死刑以外にないだろうというのが、当初からの私たちの共通認識だった。なんといっても9人も殺害している。「9人は殺されることを承諾していた」と弁護側は一貫して主張し、より刑罰が軽い承諾殺人の適用を求めていたが、裁判員と裁判官が認めることはないと思っていた。理由は、この連載でこれまで書いてきた通り、被害者それぞれが生きづらさを抱えながらも、なんとか生きていこうとしていた様子がうかがえたからだ。弁護側の主張の根拠は、9人が「死にたい」とSNSなどで表明していたことだが、死にたいとつぶやくことと、自殺願望・希死念慮はイコールではない。たまたま心が弱っていただけという場合も十分にある。
一方で、弁護側にとって有利な材料もある。9人が殺害される直前の言動を示す証拠は、白石被告の供述以外にはほとんどない点だ。白石被告自身は「本当に死にたいと思っている人はいなかった」と供述したが、公判の時点で事件から3年以上が経過し、しかも「流れ作業」のように犯行を繰り返していたため、記憶が混同し、詳細な内容を覚えていない。公判の中でも、事件直後の供述と、法廷での説明がさまざまな点で食い違っており、被告の言っていることがまるごと信用できるとは言えず、有罪の証拠にならない可能性がある。
果たして裁判官3人と裁判員6人は、何を根拠にして9人殺害の承諾がなかったと認定するのだろう。
▽市民感覚
午後2時前、記者や一般傍聴人が法廷に入ると、白石被告は既に着席していた。淡い緑色の服とズボン、黒縁眼鏡に白いマスク姿は、初公判の当時から全く変わっていない。「拘置所が寒いから」という理由で伸ばしたボサボサの髪は、背中に達している。椅子に背中を預け、気だるげにしていた。判決日でも、これまでの公判と変わらない様子だ。
やがて裁判員と補充裁判員、裁判長が入廷し、弁護人や検察官らが起立して一礼をしても、被告はいつも通り頭を下げない。
矢野直邦裁判長が開廷を告げた。正面に立つよう促された被告が法廷中央に移動した後で、判決が宣告される。普通は「懲役○年」など、結論に当たる「主文」から言い渡されるが、死刑の場合は主文が後回しになり、判決理由から先に読み上げられるケースが多い。被告がショックを受け、理由を聞かなくなってしまうのを防ぐためと一般に言われるが、定かではない。
矢野裁判長は、主文を後回しにして理由から述べ始めた。死刑の可能性が高まる。速報を担当する記者たちが足早に法廷を出て行った。だが、着席して理由を聞く白石被告に動揺した様子はうかがえない。
裁判長は、まず9人の殺害事件について、AさんからIさんまですべて白石被告が実行したと一つ一つ認定。続いて、争点となっている承諾の有無に入った。予想どおり、白石被告の供述の信用性をどう考えたかという説明が述べられた。長いので要約すると、次の通りになる。
「法廷での白石被告は、記憶している部分と、記憶がなくて推察している部分を明確に分けて話している。事件から3年もたっているのだから、覚えていないことがあっても不思議ではない。不自然で不合理な供述内容とは言えない」として、一定程度の信用性はあると認めた。
その上で、9人のうち、被告の供述以外の証拠が比較的多いAさん、Bさん、Cさんについては、証拠にもとづいて「殺害の承諾はなかった」と認定。一方で、証拠がほぼ被告の供述しかないD~Iさんの6人については、少し変わった方法で「こちらも承諾はなかった」と結論付けた。
少し変わった方法とは、裁判員の「市民感覚」と言い換えられるかもしれない。この部分が判決理由の核心部分であり、かみ砕いていうと次のようになる。
「被告の供述以外に証拠がないから分からないが、6人は弁護側が言うように、ひょっとしたら自分の命を絶とうとしていたのかもしれない。ただ、仮にそうだったとしても、命を絶つのは自分にとって重大な事であり、どうやって死ぬか、どのタイミングで死ぬかはそれぞれ希望があったはず。苦しみながら死ぬことを希望する人は、普通はいないはずだ。そう考えると、突然背後から襲われ、失神するまで首をしめつけられるという驚愕や恐怖、苦痛を伴う方法は、被害者の想定とかけはなれていたはずであり、それを承諾していたとは言えない」
「~はずだ」という記述が多いのは、裁判員や裁判官が「自分がもし被害者だったら、こういう気持ちだったに違いない」と想像を働かせて判断したことを意味している。被告の供述以外の証拠が不足している部分を裁判員らの推認で補い、最大の争点を乗り切った。
もう一つの争点だった刑事責任能力については「責任能力がなかったと疑わせる事情は見当たらない」と指摘し、弁護側の主張を一蹴した。
判決文の読み上げは、最終段階である量刑の理由に移った。「狡猾、巧妙で卑劣」、「欲望の充足あるいは自己の都合のみを目的とした身勝手な犯行」、「犯罪史上稀に見る悪質な犯行」…。ありとあらゆる表現で白石被告の犯行を非難している。
被告は太ももに手を置き、体を椅子の背に預けたままだ。落ち着いた様子に見える。
判決はさらに「SNSの利用が当たり前になっている社会に大きな衝撃や不安感を与えた」と、社会的な影響にも言及した。
ここまでで朗読が1時間を超えた。午後3時20分ごろ、裁判長は白石被告を起立させ、主文を読み上げた。
「被告人を死刑に処する」
白石被告は立ったまま、身じろぎもしなかった。裁判所という国家機関から「死ね」と言われたにしては、リアクションが乏しすぎる。裁判長が「聞こえましたか」と被告に問いかけた。
「はい、聞こえました」
いつも通り、落ち着いた声色だった。
最後に裁判長から控訴手続きの説明を受けると、うなずいて自席へ戻った。裁判官と裁判員らが退廷していく。被告も起立はしたが、弁護人や検察官ら周囲の人々が一礼して見送った一方で、被告は今回も頭を下げなかった。淡々とした様子が最後まで変わらないまま、9月末から2カ月半にわたった公判が終わった。
▽最後の疑問
24回の公判を傍聴した結果、判明したことをもう一度振り返ってみる。
まず、真の動機は裁判で明確になった。白石被告は事件発覚直後から犯行の動機を「性欲とカネ」と言っていたが、真相はそんな単純なものではなかった。
一連の犯行前は「ヒモ」として、当面暮らせる金さえあれば良かったのかもしれない。最初の被害者となるAさんのヒモに首尾よくなれそうだったが、性行為を断られたこともあり「そのうち捨てられるのでは」と疑念を抱いた被告は、受け取った51万円を返せとAさんが言い出すのを恐れ、首をしめた。ところが、失神しているAさんを見て異常な興奮を覚え、レイプする。殺害して遺体を解体した後も、そのときの異常な興奮が忘れられず、女性を失神させた状態でレイプしたい、そのために失神させたいと考えるようになり、次の犯行からはそれが真の目的となった。異常な欲望を満たすために女性を襲い、殺害を繰り返していった。
白石被告に初めて会った女性たちが、そのまま被告のアパートに入っていった原因は、被告の高いコミュニケーション能力にあった。悩みを抱える女性に対しては聞き役に徹し、努めて優しく振る舞いながら質問を重ね、彼女たちの悩みを「深掘り」していった。引き出した話に合わせて、「自分も引きこもりだった」「自殺未遂を繰り返した」などと嘘の経験を並べ、女性たちに徹底的に同調することで信用させた。SNSのやりとりや会話の方向をうまく誘導し、自分のアパートに来させていた。こうしたノウハウは、女性を風俗店に紹介するスカウト時代に身につけたと法廷で述べた。
最後まで分からなかったこともある。子ども時代の友人、知人が語る被告は、目立たず、印象に残らない「普通」の人間だった。成人後、確かに前科はあるが、それはスカウト時代に違法な風俗店に女性を紹介したという罪であり、連続殺人との落差は大きい。公判で紹介された母親の供述調書にも、後に凶悪犯につながる萌芽は読み取れなかった。そんな被告が豹変し、あっさりと「殺人」のハードルを越え、突如として日本犯罪史に残る凶悪事件を起こしたのはなぜなのか。当初から抱いていた謎は残った。
公判では被告側の家族や友人知人の証人尋問はなかった。例えば父親や母親が法廷で直接、質疑応答を受けていれば、豹変の手がかりや被告の心理面に迫れる情報が出た可能性もあった。
事件の概要は分かったものの、これほど凶悪で残虐な事件を起こしながら公判で平然としていた白石隆浩被告は、あまりにも特異な存在に映った。専門家がこの裁判をつぶさに見ていたら、どう思っただろう。私たちは最後に疑問をぶつけるべく、専門家を訪ねた。
▽異例な男
「白石被告はサイコパスの可能性が極めて高いです」。
筑波大の原田隆之教授はこう説明した。犯罪心理学の専門家で、公認心理師でもあり、臨床心理士の資格も持つ原田教授に、私たちが法廷でとり続けた膨大な公判の取材メモを渡し、分析してもらった。
サイコパスというと、欧米のシリアルキラーのような凶悪殺人犯が思い浮かぶ。ショッキングなイメージがあるが、原田教授によると、国際的にも通用する学術用語であり、多少難しいが「反社会的なパーソナリティー障害の一種」とされている。
海外の研究によると、人口の1%から数パーセント程度はいるとされ、多くは社会に順応して平和的に暮らしているという。白石被告ほどの危険性を持ち合わせたサイコパスは、実は極めて異例なのだそうだ。
サイコパスの特徴は、学術的に次の4点(①対人面、②情緒面、③ライフスタイル、④反社会性)で説明できるという。
まず最初の「対人面」では、浅薄な魅力、操作性、病的な虚言、無責任、性的放縦、短い婚姻関係という特徴がある。
白石被告と見比べると、確かにいずれも当てはまる。「浅薄な魅力」は、被告自身が「好かれるのも早いが、飽きられるのも早い」と法廷で明かしていた。「操作性」については、法廷で「悩みを抱え、弱っている女性は操作しやすい」と言い放っていた。被害者に話を合わせるため嘘ばかりついており、「病的な虚言」も合致する。「無責任」「性的放縦」は被告そのもの。「短い婚姻関係」は未婚のためなんとも言えないが、少なくとも長く交際した女性の存在は明らかになっていない。
次に「情緒面」では、「残虐性」「感情の浅薄さ」「共感性欠如」「罪悪感欠如」などがサイコパスで、これらもすべて被告の特徴と一致する。生きようと抵抗した被害者を容赦なく殺害し、遺体を切断して遺棄する残虐さ。公判中一貫していた淡々とした態度や、被害者や遺族に対して「何も思わない」と言い、反省もしなかった点からは、共感性や罪悪感の欠如、感情の浅薄さが伝わる。
3番目の「ライフスタイル」は「現実的・長期的目標の欠如」「衝動性」「刺激希求性」が特徴。白石被告は高校卒業後、短期間に職を転々とし「楽して生きたいからヒモになりたい」と短絡的に行動した。犯行の隠蔽工作も最初の3人までは入念に施していたのに、途中でやめた。女性を失神させ、レイプしたいという刺激に忠実で、被害者の中には「必ずしも殺す必要はなかった」と被告自身が振り返った女性もいたのに、衝動的に襲っていた。
最後の「反社会性」は「攻撃性」「規範の無視」「少年期の非行」。白石被告の攻撃性や規範意識のなさは例示するまでもない。問題は、最後に残った「少年期の非行」であり、この点は前述したように確認できていない。
こうやって見ていくと、白石被告はサイコパスの特徴にぴったり重なる。法廷ですさまじい犯行の様子が再現され、遺族から怒りの感情を思い切りぶつけられても、死刑判決を受けても、終始淡々としていた白石被告の特異な姿は、サイコパスであればそれほど不思議ではないことになる。
原田教授は、被告の特殊なこの人格が事件の原因の一つになっていると指摘した。
「悔やむとか申し訳ないとか、共感する部分が白石被告は壊れている。相手が悲しんでいることもよく分からない。謝罪という言葉は知っていても、本心から相手に申し訳ないと思っているわけではない。逆にそれが分かれば、こんな残忍なことはできない。感情の欠落は被告自身にも向けられ、死刑に対する恐怖心が沸かない。行く末に不安を感じる部分も壊れている。裁判のような面倒なことは早く終わらせ、全部幕引きにしたかったのだと思う」
▽死刑囚
判決から3日後の12月18日、弁護人は判決を不服として控訴した。しかし、白石被告は21日、この弁護人の控訴を取り下げた。
年が明け、控訴期限を迎えた2021年1月5日午前0時、死刑が確定し、白石被告は死刑囚に。高裁や最高裁での審理はなくなり、今後は面会できる人間もごく限られる。取材の道は閉ざされた。
白石隆浩死刑囚は東京拘置所で死刑執行を待つだけの存在になった。いつ執行されるのかは、本人に知らされない。公判では「簡潔で速やかな刑の執行」を求めていた。関係者によると、落ち着いた様子で過ごしているという。(完)
プロフィール
※この連載は、2020年9~12月の座間事件公判を取材した共同通信社会部の記者らによる記録です。新聞を始め、テレビ、ラジオなどに記事を配信している共同通信は、事件に関連する地域の各地方紙の要請に応えるべく、他のメディアと比較しても多くの記者の手で詳細に報道してきました。記者は多い時で7人、通常は3人が交代で記録し、その都度記事化してニュース配信をしました。配信記事には裁判で判明した重要なエッセンスを盛り込みましたが、紙面には限りがあります。記者がとり続けた膨大で詳細な記録をここに残すことで、この事件についてより考えていただければと思い、今回の連載を思い立ちました。担当するのは社会部記者の武知司、鈴木拓野、平林未彩、デスクの斉藤友彦です。