遺魂伝 第2回 角川春樹

僕の人生は、流されながら自殺しようとしていたんでしょうね

佐々木徹

今の日本人は生きることへの飢餓感を失っている

──獄中での理不尽な経験などを乗り越えてきた角川さんからすると、この2年半のコロナ禍は〝たかが新型コロナウイルスじゃねえか〟となりませんか。

「そのとおり。〝たかがコロナ〟ですよ」

──ウヒヒヒ。その一言を待っておりました。

「あんなウイルス、たかが知れているじゃないですか」

──ブッハハハハハ。

「思い返してください。例えば、戦時中の日本を。私自身は戦闘に参加していないけれども、巻き添えに遭っていた側の人間でした。子供の頃は毎日のように防空壕に避難していたんです。そして、終戦間もない頃は食料危機と戦っていたわけですよ。上野とかね、繁華街には戦争孤児が溢れ返っていてね。GHQがチョコの欠片でも取り出そうものなら、一斉に群がり取り囲んで口に入れようとしていた。日本全体がどん詰まりの状況でしたよね。そういう時に人間というのは……」

──ええ。

「死ぬことなんか考えない。つまり、自殺を考える人間なんていないんです。人は精神的に追い詰められると、自ら死を選択したりしますが、食べるものがないといった追い込まれ方をした場合、本能的に生き延びなきゃいけないと必死になる。ま、よっぽど変わった人間以外は(笑)」

──生きることに飢えている状態?

「そういうことです。生き抜くことへの飢餓感が逆に、力を与えてくれます。それなのに、1回目の緊急事態宣言下の東京はひどかったね。やみくもにコロナを怖がるばかりで、しかも政府の言いなりになって、生きることへの本能の凄み、強さなんてものは微塵も感じられなかった。あの時期、東京は死んでいたでしょう? 夕飯を食べたくても、どこも閉まっていましたし」

──でも、角川さんのことだから、無理やり懇意の店を開けさせたんでしょ?

「そう(笑)。そこで夕食を食べ、街に出ると灯りがない。本屋がテナントとして入っているビルも真っ暗。こういう状況だからこそ、知恵や勇気を与え続けていかなければいけない本屋が閉店している。本屋の使命さえ放棄してしまっていた。そんなシャッターが降ろされている本屋を見やりながら、日本人はなんと脆くなったんだろうか、と思いました。これは私だけが抱いていた感情ではなかったはず。戦争体験者はみなさん、今の日本人は脆弱になりすぎていると呆れているんじゃないですか。戦時中、戦後間もない頃の日本人は死が身近にあったぶん、生きることに敏感だったし、貪欲でもありましたよね」

──繰り返しになりますが、生きることに飢えていたという。

「そうです。それがかりそめの平和が訪れ、死というものが疎遠になった時、日本人は生きることに鈍感になり、惰眠を貪り、すぐに不平不満を募らせ、結局は何も考えなくなった」

──あの時期、例えば、家での自粛がストレスだとか、たまには仲間うちでパーッと騒ぎたいとか、いろんな不平不満の声が上がりましたけど。

「自粛生活? 天国ですね。何の苦労があるっていうんです? なんにせよ、コロナに関しては大騒ぎがすぎた。中世に流行したペストじゃあるまいし。あれでヨーロッパの人口の4分の1以上が死んでいますから。当時は医療も進んでいませんし、感染が収まるまでに時間がかかったりした。コロナはその点、中国の武漢で発症したウイルスだとわかっていたし、現代の医学をもってすれば、それほど長くかからず、収束への道筋もつけられる。ウイルスの変異にしても、十分に対応できる力を私たちは備えている。日頃の生活に少し注意を払えば、ビクついたりせずにやりすごすことができるんです」

──いきなり宇宙から飛んできた未知のウイルスじゃないですしね。えっと、話を戻しますが、角川さんが獄中で放った〝たかが刑務所、たかが胃がんじゃないか〟で思い出したことがあります。元プロレスラーで、格闘家の前田日明という男がいましてね。

「知っていますよ、前田日明。彼、私に脅かされているから(笑)」

──うわっ、なかなかいないですよ、あの前田日明を脅す人って。

「あれはいつだったか、苫米地英人さんのトークライブが開催された時のことです。結婚する前のうちの女房が歌って、その後、苫米地さんと前田のトークがあり、最後に私とのトークという流れでした。それで女房が控え室にいる前田に挨拶に行ったらビビッてね」

──私は彼の自伝『無冠 前田日明』(集英社)を上梓しているから擁護するわけではないんですが、前田の場合、引退後に体重が急激に増え出し、座ると、お腹が邪魔してふんぞり返っているように見え、さらに葉巻を覚えちゃったから、危ない人に映っちゃう。ただ、基本的に悪い男ではないです。それなりに礼節をわきまえているし。

「私も女房から怖かったと聞かされ、なんだ、そいつは、と思い、トークライブで披露する予定だった愛用の木刀を片手に、前田の控え室に乗り込んだわけです。で、前田の姿を見つけた瞬間、木刀を投げつけました。そうしたら、前田が木刀をキャッチして。すかさず、お前が前田日明か? と言うと、彼が〝はい〟と答えて」

──そういう素直なところもある男なんです、前田は。

「まあ、そうだね、基本的に悪い人間ではない。あのトークライブ以降、何度か会ってます。彼の結婚式にも出席していますし。彼がおっぱいフェチだってことも知ってる(笑)」

──ええっと、ですからね、話を戻します。前田は第二次UWFを設立、一大ブームを巻き起こしますが、結局は3つのグループに分かれてしまうんです。それで第二次UWF時代にデビューした垣原賢人というレスラーがいましてね。いわゆる前田の後輩にあたる男です。その垣原が悪性リンパ腫を発症。一時は危険な状態だったらしいです。そんな垣原を応援しようと2015年8月18日に後楽園ホールで『Moving on~カッキーエイド』が開催され、先輩後輩のレスラーたちが試合をし、ゲストとして前田が招かれたんですよ。

「うん」

──ロープをまたぎ、リングに上がった前田はマイクを握り締め、真正面から垣原の目を見据え、こう言ったんです。

「みなさん、心配しないでください。レスラーはがんなんかでは死にません。だから、垣原ぁぁ、たかががんくらいでオタオタすんじゃねえ!」

──その瞬間、後楽園ホールは前田コールの大爆発。不思議だったのは、私も含め、多くの観客が前田の名前を叫びながら、自然と背筋が伸びていたんですよね。もしかしたら、あの前田の激で〝スイッチ〟が入ったのかも知れません。さきほど〝生きることへの飢餓感〟の話になりましたが、あの時、垣原を始め、居合わせた多くの人たちは改めて死を身近に意識し、その上で生きたい、自分の知恵と力で生き抜くんだという〝スイッチ〟が入ったのだと思います。その覚悟がひとりひとりの背筋を伸ばしたのでしょう。

「垣原選手のその後は?」

──角川さんのように闘病に耐えて、耐えて、耐え続け、乗り越えました。2017年には師匠の藤原喜明さんとシングル戦を行えるまでに快復しています。

「それはよかった。そんなもんですよ、たかが癌なんです。リングの上で前田が言ったことは間違っていない、正しいんです」

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プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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