なぜ韓国ドラマ『シスターズ』はベトナムで放送中断になったのか――ベトナム戦争と韓国ドラマ、そして映画
この秋は韓国ドラマ『シスターズ』にどっぷりはまったという声を、日本でも韓国でもよく聞いた。韓国語の原題は『チャグン・アッシドゥル』(若草物語)。作家が悩んだ末に決めたタイトルだという。ドラマには4姉妹ならぬ3姉妹が登場する。貧困家庭で育った3人は、性格も将来の夢も異なるのだが、力を合わせて巨悪と戦う。と言うと、さすがにシンプルすぎるが、最近の韓国ドラマが得意とするワクワクドキドキの社会派ミステリーであり、また凝った舞台アートと俳優たちの美しさなどが大評判となった。
特に3姉妹の長女を演じたキム・ゴウンの変化は、見ているものをワクワクさせる。短大卒の経理担当だった自信のない彼女と、シンガポールの高級ホテルでオークションにのぞむ望むキリリとした姿のコントラスト。人は光の受け入れ方で、こんなに何種類もの表情を持つのだ、ブラボー! 平たく表情に乏しいと言われてきた東アジア人の、ある意味その典型的ともいえるキム・ゴウンが美しすぎる。また次女役のナム・ジヒョンもよかった。テレビ局をクビになった若きジャーナリスト。正義感が強く猪突猛進型の彼女と、そこを懸命に応援するボーイフレンドの愛がうらやましい。
これは間違いなくアジアの女性たちを虜にするだろうなと思っていたら、案の定9月20日の時点で、シンガポール、インドネシア、マレーシア、ベトナム、日本など5カ国のネットフリックスTV番組部門で1位を記録。さらに10月5日には台湾や香港なども隊列に加わり、アジアではダントツ人気となった。
楽しみな展開だと思っていた矢先、不思議なニュースが飛び込んできた。
「『シスターズ、戦争を歪曲した』ベトナム、ネットフリックスに放映中断を要請」
https://www.news1.kr/articles/4823494
まだ見てない回を慌ててダウンロードした。記事には「ベトナム当局がネットフリックスに対して、自国内での放映中断を要求した」とある。「特に歪曲が目立った」と指摘されたのは「第8話」だというが、まだ見ていなかった。
あくまでも「ベトナム国内」という限定的な中断要請だったが、ひょっとして問題が大きくなって見られなくなるかもしれない。韓国とベトナムの関係はとてもデリケートだから。そう思って急いで保存しておこうと思ったのだ。
「歴史歪曲」という批判と謝罪、「青い蘭」の秘密
ネットフリックス・ベトナムは政府当局の要請に従い、10月6日の正午(現地時間)頃に『シスターズ』を「電撃削除」してしまった。「ドラマがベトナムの歴史を歪曲しており、映画法違反にあたるから」だという。判断を下したのはベトナム政府情報通信省だが、端を発したのはネット上に広がった一般視聴者からの抗議の声だったという。
韓国の制作会社スタジオ・ドラゴンは、すぐさま謝罪コメントを発表した。
「問題を起こして申し訳ない。今後はコンテンツを制作する際に、社会·文化的感受性を考慮し、より一層細心の注意を払う」
さらにシナリオ作家のチョン・ソギョンさんも、韓国メディアのインタビューに答える形で、「グローバルな環境でドラマを執筆する際には、視聴者に対する細やかな配慮が必要だった」と反省の弁を述べた。
「お金の起源を説明する出発点としてベトナム戦争を考えた。韓国がベトナム戦で外貨を稼ぎ、それが経済発展の土台となったことを描きたかった」、「ベトナム戦争についての事実関係を語るとか、定義するとかの意図はなかったため、ベトナム現地の反応は想定していなかった……」。
https://star.ytn.co.kr/_sn/0117_202210180800210930
「歴史歪曲」という指摘をされた箇所には特に言及せずに、問題を起こしたことや配慮が足りなかったことを反省するという、いわゆる「謝罪構文」的なものだった。
作家自身の発言にあるように、『シスターズ』はベトナム戦争そのものに踏み込んだドラマではない。ただ、物語の鍵を握るのはベトナム原産の青い蘭と、ウォン・ギソン将軍という人物。彼はベトナム参戦軍人であり、彼と仲間のベトナム帰還兵たちが結成した秘密グループが「情蘭会」である。作家の意図はこのグループと韓国経済発展の闇を結びつけたいということだった。
ベトナム側の抗議はその部分ではない。ベトナムの人々が反応したのは、第8話に登場する帰還兵のセリフだった。
「韓国軍が快進撃の時のキル・デス比は20対1。つまり韓国兵一人当たりベトコン20人を殺した。精鋭部隊は100対1だった」
ためしにツイッターで検索してみたら、当該画面のキャプチャーをあげて「Netflix の映画『シスターズ』は、見ないでください。この汚い目」というベトナム語のツイートがあった。これは放映直後の10月1日の書き込みであり、その下には視聴ボイコットを訴えるコメントがあった。また日本との関係から「韓国のダブルスタンダード」を批判する内容もあった。
韓国メディアによれば、ベトナム現地の反発として「韓国兵はベトコンではなく民間人を殺したこと」「彼らを英雄と表現している」などがあったという。
https://news.mt.co.kr/mtview.php?no=2022100710361614582
想定外だったベトナム視聴者の反発。韓国の制作者にとって、これは初めての体験だった。ちなみに「ベトコン」とはベトナムの共産主義者という意味であり、解放民族戦線の兵士などを指す。
アメリカなどとは違い韓国では、これまで「ベトナム帰還兵」がドラマや映画で取り上げられることはあまりなかった。一昨年、同じくスタジオ・ドラゴン制作の『サイコだけど大丈夫』にはベトナム戦争のトラウマに悩む元兵士が登場していたが、彼のような「敗残兵」的な描かれ方はベトナムの歴史観の中では正しいといえる。ベトナムの立場からすれば、戦争の正義も勝利も自らの側にあり、アメリカ軍も韓国軍も侵略軍であるとともに完全な敗者である。
現在のベトナム社会主義共和国で「英雄」は国父ホーチミンであり、かつての北ベトナム軍や解放民族戦線の兵士たちである。その栄光を傷つけたり歪曲することは放送法にも触れる。放映中断は法的根拠をもって行われた措置だった。
なぜ韓国軍がベトナム戦争に参加したのか?
『サイコだけど大丈夫』の時もそうだったが、韓国とベトナム戦争の関係を知らなかったという声も聞いた。そもそも、なぜ韓国軍はベトナム戦争に参加したのか? ベトナム戦争とはフランスやアメリカとの戦争ではなかったのか?
第2次世界大戦末期、ベトナムを含む「仏領インドシナ」は日本軍の占領下にあった。その頃から独立運動を組織していたホーチミンは、日本の敗戦と同時にベトナムの独立を宣言した。
ところが旧宗主国であるフランスはこれを認めず、再植民地化を目指して軍隊を派遣。しかし1954年のディエンビエンフーの戦いに大敗してしまう。休戦協定はで北緯17度線を境に南北が分断。北はホーチミン率いる社会主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)、南には資本主義のベトナム共和国(南ベトナム)となった。
これは前年度に38度線で休戦した朝鮮半島と同じ構図だった。すでに中国大陸では共産党政権が成立しており、アジアにおける共産主義の拡大を恐れるアメリカは、南ベトナムに強力なテコ入れを開始、それは北ベトナムとの戦争に発展した。1964年から1973年までの10年間にアメリカが派遣した兵力はのべ870万人超という、文字通りの泥沼化した長期戦となった。
アメリカは「共産主義と戦う自由ベトナムの支援」を他国にも呼びかけた。それに最も積極的な反応を示したのが朴正煕政権下の韓国だった。当初は医療部隊とテコンドーの教官らに始まり、やがて猛虎、白馬、青龍という勇ましい名前を持つ韓国軍の精鋭部隊が次々に派遣された。その数はのべ約32万人。米軍以外の外国軍としては破格の規模だった。
そもそも派兵は「韓国の側からの提案」が最初だったという。1961年5月にクーデターで政権を握った朴正煕は、何よりもアメリカによる承認と援助を必要としていた。直後に訪米した朴正煕は、その時点ですでに派兵を申し出ていたのだという。
派兵の目的は「朝鮮戦争で共に戦ってくれた米国への恩返し」とか、「共産主義という共通の敵をやっつける」などの大義とともに、経済的な意味も大きかった。兵士たちの外貨建ての給料ともに重要だったのは、ベトナムでの利権を得て後方にある国内産業を発展させることだった。モデルとなったのは、朝鮮戦争で経済復興を果たした日本である。実際に今の韓国で「財閥」とよばれる企業グループの多くが、この時期を経て発展的に飛躍したことは、先に引用した作家の言葉にある通りだ。
それは企業だけではなかった。国民もまた「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」という合言葉のもとに浮足立った。映画『国際市場で逢いましょう』(2014年、ユン・ジェギュン監督)は韓国現代史を庶民の目線で描いて大ヒットした映画だが、主人公がベトナムに向かう目的は純粋に「お金のため」だった。
「1ヶ月40ドル」
「すごい! だったら、私の結婚費用も問題ないわね」
妹は喜んだが、本当の理由は国際市場にある小さな店を買い戻すためだった。庶民たちも小さな夢の実現のために、戦火のベトナムに向かったのである。
タブーとなった、ベトナム戦争
ベトナム戦争は1975年4月のサイゴン陥落で終わり、勝利したホーチミンのベトナムは社会主義国としての歩みを進めていくことになる。日本軍の占領、フランス軍との戦い、そしてアメリカ軍と韓国軍の介入。長く続いた戦争は多くの人命を奪い、戦場となった国土は傷だらけ、まさに満身創痍の状態だった。
一方、アメリカにとっても、ベトナム戦争は大きな挫折となった。北ベトナム軍や解放戦線の決死の抵抗に加え、世界に広がったベトナム反戦運動はもれなくアメリカ政府の軍事行動を批判するものだった。アメリカ国内でも多くの若者が反戦運動に加わり、徴兵を拒否する人々も出ていた。社会は分断され、心に傷を負った人も多かった。なかでも参戦兵士たちのトラウマは、アメリカ社会にとって大きな問題となった。彼らが戦場で見た地獄は、どんな地獄だったのか。
このことは、私たちもわりとよく知っている。アメリカ映画は繰り返しベトナム戦争をテーマにしており、ハリウッドの名優たちが代わる代わる傷ついた帰還兵の役を演じてきたからだ。
思い出すのはトム・クルーズ演じる帰還兵ロンだろうか? あるいはスタローンのランボー? メッセージが明確なのは、自身もベトナム帰還兵であるオリバー・ストーン監督の『7月4日に生まれて』(1989年)だろう。これに先立つ『プラトーン』(1986年)と後に制作された『天と地』(1993年)を合わせて、ストーン監督の「ベトナム三部作」は明確な反戦映画である。
ただ帰還兵の寂寥感ということでは、1982年に公開された最初の『ランボー』(テッド・コッチェフ監督)あたりのほうが色濃く、明らかにシリーズの後続作品とはトーンが異なる。『シスターズ』第8話に登場する韓国人帰還兵は、こちらのイメージに近い。英雄になれなかった兵士たちのやりきれなさ。
世界中に広がった反戦運動があり、また命を落としながら戦争の悲惨さを伝えた戦場ジャーナリストもいた。そのおかげで世界中で同時代に、あるいが少し後からでも、私たちはベトナム戦争についてかなりのことを知っていた。
ところが韓国ではそれができなかった。ベトナム戦争の時期、韓国はまさに朴正煕による軍事独裁政権の時代であり、あらゆる表現の自由が抑圧されていた。バリバリの反共国家においては、ホーチミンの軍隊と戦う韓国軍人は英雄と讃えられ、それを批判することは許されなかった。
ホーチミンやハノイの博物館には、世界中の大都市で繰り広げられたベトナム反戦運動の写真が展示されている。ニューヨーク、パリ、ロンドン、コペンハーゲン、アムステルダム、東京……。
「ソウルの写真はないんだよね」
90年代後半、一緒にベトナム取材をした韓国人カメラマンが寂しそうにつぶやいたのを覚えている。彼の母親は取材でベトナムに行くと言ったら、「銃を担いで行くのか?」と真顔で聞いたと言っていた。
ベトナム戦争終結から4年後に朴正煕は暗殺されてしまうが、後に続いた全斗煥と盧泰愚という二人の大統領もまた軍部出身であり、しかもベトナム参戦将校だった。武勇伝以外は許されなかった。
唯一のベトナム戦争映画、『ホワイト・バッジ』
そのタブーを破ったのは、1992年に公開された映画『ホワイト・バッジ』である。おそらく韓国でベトナム戦争と帰還兵の問題を正面から扱った長編映画は、後にも先にもこれだけだと思う。民主化から5年目、チョン・ジヨン監督にとっては前作『南部軍』(1990年)に続く、現代史のタブーへの挑戦だった。
主人公のベトナム帰還兵を演じたのは当代のトップスターであるアン・ソンギ、同じ部隊にいた後輩役にはイ・ギョンヨン。当時はまだ若手と言われた彼の、戦場のトラウマで精神を病む一兵卒の演技は凄まじく、この年の演技賞を総なめにした。
原作は同名小説であり、著者であるアン・ジョンヒョ(安正孝)は1966年から67年まで「白馬師団」の一員としてベトナムでの戦闘に参加していた。原作の約8割が彼が直接体験したことだという。原作小説の日本語版は1993年に金利光訳で光文社から刊行されている。映画版は1992年の東京国際映画祭でグランプリを受賞しており、日本語字幕のDVDも出ていたので見た人もいると思う。
爆撃とヘリコプターの音から映画は始まる。主人公のハン・キジュ(アン・ソンギ)は作家であり、自らが体験したベトナム戦争のついての小説を書こうとしている。時代は1978年11月、朝刊の1面にはその翌年に朴正煕を暗殺することになる金載圭と、日本の総裁選で再選が決まった大平正芳の顔写真が見える。
主人公のハンはベトナム戦争後に無気力となり、妻とも離婚して退廃的な生活を送っていた。雑誌社の依頼でベトナム戦争の体験小説を書き始めるのだが、毎夜、戦争の悪夢にさいなまれるようになる。そんなある日、かつて同じ部隊にいた戦友ピョン・ジンス(イ・ギョンヨン)から電話がかかってくる。ジンスの言行はあきらかに異常であり、それはやがてとんでもない結末を迎える。
映画はベトナム現地の回想シーンと韓国帰国後の物語を行き来する。
二人がいた部隊は当初は大した戦闘もなく平和だったが、時が経つうちに「本物のベトナム戦争」に巻き込まれていった。敵と誤認して民間人を殺してしまった下士官は自らの失態を誤魔化すために、部下にも民間人の殺戮を命じる。理性のタガは外れ、全員は狂気の中に突入していく。
映画にはベトナム参戦兵士たちの揺れる心情が描かれている。戦火の中を生きるベトナムの人々は、20年前の朝鮮戦争の時の自分たちの姿であり、外国軍からチョコレートねだる子どもは幼い日の主人公自身だった。
ベトナムと韓国の共通点は多かった。第2次世界大戦後に南北が分断されたこと、外国軍隊の介入と内戦、第二次世界大戦後で最大といわれた犠牲者の数。韓国映画『ホワイト・バッジ』はアメリカ映画とは違う視点をもつ、もう一つの当事者によるベトナム戦争映画となった。
チョン・ジヨン監督は1946年生まれで、従軍兵士たちと同世代である。1952年生まれのアン・ソンギは少し年下だが、彼がベトナム戦争中に自ら外国語大学に入学してベトナム語を学んだことはよく知られている。同時代の監督と俳優たちが作り出した映画は非常にリアリティのあるものだった。しかもアメリカ映画ができなかったベトナム現地でのロケも敢行している。韓国初のベトナム戦争映画は手応え十分だったはずだが、なぜかその後にこれをテーマにした映画が作られることはなかった。
韓国とベトナムの国交正常化、民間人虐殺問題と帰還兵
この映画が公開された1992年に、韓国とベトナムは国交を結んだ。ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦は終結したといわれた。韓国もそれまで対立していた「共産圏」と矢継ぎ早に国交を結んでいった。ロシア、中国、そしてベトナムやカンボジア等々。
ベトナム戦争終結から四半世紀、国交が樹立されると、韓国企業は再び我先にとベトナム進出に乗り出した。「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」は過去の話ではなかった。
その結果、今やベトナムにとって韓国はもっとも重要な国の一つになった。多くの企業が進出し、その投資額は日本の約2倍、ベトナム在住の韓国人は日本人の約10倍で20万人にもなるという。ハノイやホーチミンシティには韓国人居住地区があり、高級マンションが立ち並んでいる。
ベトナム政府は過去の戦争について、一貫して不問の立場をとっている。「過去には蓋をする」というのが政府方針であり、それは韓国に限らずフランスや日本、アメリカに対しても同様である。それよりも「未来を見つめよう」という。そんなベトナムで今回韓国ドラマが放送中止になったことは、関係者にとって寝耳に水だった。ただ「想定外」の出来事に対して韓国側がすぐに謝罪できたのは、韓国社会が過去の歴史問題について、それなりのコンセンサスを共有していたからである。
ベトナム政府の公式的立場は「過去に蓋をする」ことであっても、実際のベトナム人は多くの痛みを抱えていた。また韓国の側には、過去を反省することこそが健全な国家関係への第一歩になると考える人たちも多い。なかでもベトナム戦争中の韓国軍による民間人虐殺については、1990年代末から学者やジャーナリスト、市民グループなどが真相究明と謝罪活動に一生懸命取り組んできた。
ただ韓国にはそれに反発する勢力もある。特に元軍人たちの感情は微妙であり、彼らの中には民間人虐殺を否定したり、市民グループやジャーナリストを攻撃するグループもある。『シスターズ』の第8話にも元軍人らのデモの様子が、スマホ画面を通して出ていた。そこで「情蘭会」のオリジナル・メンバーの一人であるベトナム帰還兵はこう発言していた。
「なぜ俺がデモに参加したと? 悔しいからだ。誰も俺たちに謝罪しない。ベトナムの民間人はもちろん、ベトコンにまで謝罪したのに、我々にはしないんだ。このもどかしさを知ってほしかったんだ。」
ここでいうベトコンとは、現在のベトナム政府(共産党政権)のことだろう。韓国政府は過去の戦争と民間人虐殺について、金大中権時代にベトナム政府に対して正式に謝罪をしている。また帰還兵たちの中には自分たちもまた戦争の「被害者」であり、さらに韓国政府からもアメリカ政府からも見捨てられた存在だという悔しさを抱える人がいる。
ベトナム戦争で命を失った韓国軍兵士は約5000人にのぼるが、韓国政府は長らくそれを公表すらしなかった。また約2万人が後遺症に悩むという枯葉剤被害についても90年代まで放置されてきた。
映画『あなたは遠いところに』
最後にもう一つ、ベトナム戦争を舞台にした映画を紹介しておく。2008年に公開された『あなたは遠いところに』(イ・ジュニク監督)は、1971年の韓国とベトナムが舞台となっている。
『ホワイト・バッジ』は実話ベースだったが、こちらは完全なフィクションである。
田舎のそれなりの富農の家に嫁いだ女性が、跡継ぎを待ち望む姑の命令で、ベトナムに派兵された夫を訪ねて戦地に赴く。どうやったら夫のもとに行けるか思いあぐねる女性の前に現れたのは、借金を抱えたバンドマスター。ベトナム行きに起死回生をかけた彼の誘いで女性は釜山港から船に乗り、やがて激戦が続くベトナム中部の最前線まで行くという「あり得ない物語」。あまりにも荒唐無稽な設定は失笑も買ったが、映画としての評価は高かった。
主演のスエの透明感あふれる演技が素晴らしい。透明すぎで何を考えているのかわからない。「夫に会う」という目的は不変なのだが、それがなんのためなのか。何が彼女を突き動かしているのか、そのわからなさが物語をリードしていく。夫役のオム・テウン、バンドマスター役のチョン・ジニョンの好演もあり、非常によくできたエンターテイメント作品として、韓国国内の映画祭では多くの賞を受賞した。
『ホワイト・バッジ』と並べるには作品のタイプが違いすぎるが、韓国映画でベトナム戦争を舞台にした映画はこの2本しかない。韓国初のベトナム戦争映画から16年目につくられた「2作目」のテーマは、戦争そのものではない。それでもあの戦争を韓国の人々がどうふり返るのかという、その思いは作品のいたるところに散りばめられている。映画には解放民族戦線のキャンプの様子も登場する。捕らえられたバンドメンバーたちの目を通して描かれる、ジャングルの中の解放区。そこでの、やりとりは印象的だった。
「俺たちは軍人じゃない。韓国のバンドだ」
「韓国軍は俺たちの敵だ」
「俺たちは金を稼ぎに来ただけだ」
「つまり目的は、パク・チョンヒ(朴正煕)の軍隊と同じというわけだな」
「違う、俺たちは金儲け、韓国軍は平和のために来たんだ」
「平和とは何だ?」
そこに続くシーンはあまりにも重い。
韓国のドラマや映画を見ながら韓国現代史をふり返る。物語は韓国だけの物語ではなく、世界につながっている。
ベトナム戦争における韓国軍の問題については、日本でも参考になる本が出ているので、代表的なものを紹介しておく。
『武器の影』(黄晳暎著/高崎宗司・佐藤久・林 裔訳 1989年 岩波書店)
『戦争の記憶 記憶の戦争 韓国人のベトナム戦争』(金 賢娥著/安田敏朗訳 2009年三元社)
『戦争記憶の政治学 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』(伊藤正子著 2013年 平凡社)
『ベトナム戦争と韓国、そして1968 』(コ ギョンテ著/平井一臣・姜 信一・木村貴・ 山田良介訳 2021年 人文書院)
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。