韓国が羨ましい? 恥ずかしいですよ
2024年12月3日の深夜に始まった「韓国の政変」は衝撃だった。「今の時代に戒厳令!?」――韓国の人にとってもそれはまさに「寝耳に水」だったが、その後の行動は素早かった。深夜のうちにも国会に人々が集まり、翌日からは大規模な市民集会がもたれた。
「日本では考えられない」
日本のメディアやSNSでは、そんな声をよく聞いた。「何十万という人がデモに集まって、しかも若者の政治意識が高くて羨ましい」と人がいれば、「そもそも大統領が内乱罪とかあり得んだろう」という人もいる。立場は違うとはいえ、驚きは同じだ。市民が積極的に行動する韓国を「民主主義の先進国」として称賛する人もいれば、逆に「韓国民主主義の未熟さが露呈した」と批判的にとらえる人もいる。
韓国を巡って日本国内の評価が真っ二つに割れるのは今に始まったことではないが、今回のことについては、それぞれ理想とする「民主主義の形」が違うのかもしれない。そもそも日本と韓国では民主主義の歴史が随分と違う。戦後(韓国では日本の植民地からの解放後)においても、米占領軍から優先的に民主主義のパッケージを与えられた日本と、東西冷戦の最前線で軍事優先の体制を強いられた韓国では、米国を中心とした地域での役割が異なっていた。
「今回は韓国の悪いところと良いところが一気に出ましたね」
長年、韓国関係の仕事をしてきた友人たちはそう言う人が多いが、私自身もそう思う。かたや韓国人の友人たちは、まずは「ため息」だった。
「なんであんな人が大統領なんでしょう」
「韓国が羨ましい? 恥ずかしいですよ」
「韓国は情けない国になってしまった」
飲んでいるうちに、思いがこみ上げてきて泣く人もいた。
「でも、議会がちゃんと止めたからよかったじゃないですか。国会議員も市民も頑張ったし。韓国人はすごいと感心している人は世界中にいます」
それはお世辞ではなく本当だった。韓国は様々な意味で世界の人々に影響を与える国なっている。ここは「日本と比べて云々」よりも韓国民主主義の文脈で、同時に世界の民主主義の現状の中で、今回の出来事を考える必要があるのだと思う。そのうえで、兎にも角にも「戒厳令を止めた国会」の動きは素晴らしかったと思う。
国会へ、塀を乗り越えてでも
韓国の現行法で、大統領の非常戒厳宣布を無効にできるのは国会である。あの夜、尹大統領の突然の「非常戒厳宣布」に多くの人が思考停止になっていた時、すでに国会議事堂のある汝矣島には議員たちが集結を始めていた。それを阻むために軍隊が国会を封鎖する。
「塀を乗り越えてでも、議場に入ってください」
すでに国会内に入っていた曺国(チョ・グク)ら野党議員らは仲間に呼びかける。「寝耳に水」で飛び起きたのは与党議員も同じだった。こちらも一斉に汝矣島に向かう。
「非常戒厳宣布は間違っている。国民と共に止めなければ」
与党代表韓東勲(ハンドンフン)が真っ白な顔で訴える。国会の上空にはヘリコプター、議場を制圧しようとする軍人、SNSには戦車の動画まで現れている。何だこれ?
「これはフェイクです」
いつもながらお騒がせな人々が情報を混乱させる。どれが事実で、どれがフェイクなのか。こういう時に頼りになるのは、やはりちゃんとしたメディアのニュースである。国会内には内外の記者が入っており、時々刻々の状況が映像で伝えられる。そこに登場する「戒厳軍司令官」「空挺部隊」「令状なしの逮捕」……、40年前の悪夢が蘇った人もいたし、そんな昔に生まれていなかった人もいるし、いずれにしても「2024年の今の現実とは思えない」と、多くの人が思った。
「とにかく国会だ!」
議員やメディアだけでなく、一般市民も国会に向かった。「我々が議会を守らなければいけない」という思い。市民たちは盾になる覚悟だった。彼らには光州事件など独裁政権時代の記憶があった。ここで止めないと大変なことになる。こういう時の彼らの行動力には感服する。韓国の人たちは本当に勇敢だ。
幸いなことに無血で深夜の国会は開かれ、そこに集まった191人の国会議員によって、戒厳令解除の要求決議議案は可決された。壁を乗り越えて国会内に突入した禹元植(ウ・ウォンシク)議長の議事進行は完璧だった。
「お見事!」
可決の時に思わず歓声をあげたら、一緒に見ていた家族は拍手をしていた。大統領による突然の「非常戒厳宣布」から約2時間。韓国国会は見事にそれを止めた。 美しかった。議会制民主主義の真骨頂を見る思いだった。
民主主義国家の国会議員としての誇り
戒厳令を解除させ、民主主義の守護神となった191人の国会議員のうち、インターネット上で一躍ヒーローとなったのは朴智元(パク・チウォン)議員だった。深夜の国会でそのまま寝てしまった姿が世界中に拡散された。御年82歳、さすがにお疲れだった様子だ。同世代はほとんどが眠りについている深夜に、彼は国会に駆けつけてその職務を果たした。「戒厳6回目の翁」の安堵した寝顔に人々は思わず微笑んだ。
故金大中大統領の腹心と言われた彼だが、その人生は波乱万丈だった。1942年、日本の植民地時代に生まれ、その後に朝鮮戦争、そして独裁政権時代が続く。70年代に米国に移住してビジネスで成功した頃、米国亡命の身の上となった金大中に出会い、彼の志に深く共鳴にして祖国の民主化と南北統一に生涯を捧げる決意をする。金大中なき後も、彼は「進歩派」の重鎮として常に最前線に立ってきた。
また、この日、国会に駆けつけながら、議場に入れなかった与党議員がいたことを後で知った。キム・イェジ議員は韓国では女性としては初の視覚障害者議員として知られている。彼女も壁を越えて国会内に入ろうとした。
「後ろから秘書官に押してもらって壁を越えます」
国会内にいた与党代表はそんな彼女を止めるしかなかった。
「何を言っているんですか。ダメです、危なすぎる」。
たしかに盲目の彼女が付き添いなしで、議場までたどり着くのは難しかったかもしれない。彼女が壁を越えようとしたのは、民主主義国家の国会議員としての自覚であり、障害者として生きてきたプライドであったと思う。
「いつもバリアフリーの重要性を訴えていた私が、まさに物理的な『バリア』を感じて暗澹となった瞬間でした。体は障壁に阻まれ本会議場に届きませんでしたが、非常戒厳解除決議に対する気持ちは、すでに賛成ボタンを百万回以上に押していたと思います」(12月4日のキム・イェジ議員のFacebookより)
この時の悔しさは、彼女のその後の勇気ある行動につながっていく。
12月7日、野党が提出した大統領弾劾訴追案に対して、与党はボイコットを決めていた。議場から一斉に退場する与党議員に怒号が飛び交う中、キム・イェジ議員は議場に戻ってきた。付添人に介助されながら投票する彼女の姿に多くの国民が涙した。
この日、投票に参加した与党議員は彼女を含めて3名にとどまった。その結果、採決に必要な200票に満たず、弾劾追訴は翌週に持ち越された。
中国人留学生たちが見た、「議会制民主主義の姿」
そこまでの経過を東京から見ていた私は、12月10日にソウルに移動した。「このタイミングで?」と言われたが、毎月のことである。「すわ戒厳令の韓国」への渡航を控える向きもあるといい(特に欧米からのキャンセルが多いと報道されていた)、私も友人から「今、韓国に行っても大丈夫か?」と聞かれた。
「あのまま戒厳令だったらやばかったけど、食い止めたから大丈夫ですよ。これまでと何も変わらない」
それは本当だ。週末はデモに多くの人が集まるが、それ以外の日常はいつもと同じだ。街のレストランにはよく飲みよく食べよく笑う人々がいるし、学生は勉強を、大人は仕事、みんな相変わらず勤勉だ。それにつけても思うのは、あの大統領はいったい何を考えていたのだろう。世界中から「憧れのKコンテンツの国」を訪れる人がいる時代に、なぜ「戒厳令」などという時代錯誤のアイディアを思いついたのだろう? 野党の態度、妻の問題、親北勢力等々、理由はいろいろ推測されているが、それを全部足しても「戒厳令」という答えは出てこないだろう。最近の報道では「占い師」の存在が急浮上しているが、それは韓国社会にとって宿痾のような問題なので稿を改めたい。
「日常はいつも同じ」と言っても、当然ながら人々の話題は戒厳令と弾劾の話になる。その中で中国人の友人の話は印象的だった。彼女も90年代初頭から韓国で暮らしていて、私とは30年余りのつきあいだ。あの3日の深夜から、彼女のWeChatのグループには、戒厳令についての在韓中国人の投稿が次々に上がっていたという。その中には弾劾を求める集会に参加している留学生などもいる。
「大統領の横暴を議会がきちんと止める。そして弾劾の手続きは国会から司法へと引き継がれる。この民主主義の仕組みを留学生たちが実際に体験できるのは、素晴らしいことだと思うのです。残念ながら今の中国には、それがありませんから」
それはたしかにそうだった。韓国の民主主義といえばデモとか集会のことを真っ先に思い浮かべてしまうけれど、今回、大統領の暴走を寸前で止めたのは「国会」だった。そのことは中国だけでなく、アジア全体にとって意義深いだろう。まだまだ権威主義的な政権が多いアジアにおいて、韓国が見せた議会制民主主義の手続きは大きな学びになるはずだ。
アジアにおける民主主義の先進国である日韓
韓国で学ぶ外国人留学生は11月基準で約18万人であり、そのうちアジアからの留学生が9割を占める。そのうちでも最も多いのが中国人留学生(68,145人)であり、ベトナム(41,283人)やウズベキスタン(13,123人)などが続く。軍政から続くミャンマーからの留学生(3,220人)もいる(ちなみに日本人留学生は3,088人である)。
彼ら留学生にとって韓国は憧れのKコンテンツの国であり、また民主主義のお手本ともいえるだろう。軍事独裁政権から民主化を勝ち取った後も、何度も激しいバックラッシュを体験した。アジアには韓国と同じような経験をした国も少なくない。
韓国メディアは大学院に通うミャンマー人留学生の感想を掲載していた。
「ミャンマーは2021年の軍事クーデター以後、春を完全に失うことになった。私のように歴史に痛みを持つ国から来た外国人たちは、韓国の戒厳令により不安になったと思います」(2024年12月23日付「ヘラルド経済」)
https://biz.heraldcorp.com/article/10021540?ref=naver
アジアの留学生たちは日本にもたくさんいる。彼らにとって韓国や日本は、外国人としての生きづらさはあるにしても、やはり民主主義の先進国だと考える人が多いだろう。何よりも私たちの国には言論の自由がある。韓国と日本には様々な共通点と違いがある。
弾劾国会の前日、友人の家に行ったら、ちょうど軍隊に行っていた息子が休暇で戻っていた。彼も「明日はデモに参加するつもり」と言っていた。あと半年で兵役が終わる彼に「除隊後、まずは何がしたいか?」と聞いたら、彼の顔がパッと明るくなった。
「大谷翔平を見にアメリカに行きます!」
そのために軍隊内で貯金もしているという(韓国軍の給料は日本円に換算して約10万円。そのうち4万円までは100%という特別利息で貯金できる。頑張れば除隊時に200万円ぐらいが貯められるという)。そういえば彼は日本びいきだった。日頃から「日本は文化的な多様性がある。いろいろな楽しみがある日本が羨ましい」と言っていた。
そう韓国人にとって「日本が羨ましい」と感じるところもあるのだ。今回の件でも韓国人の中には米国や韓国のような変化の激しい大統領制よりも、日本のような議院内閣制のほうがいいのではないかという意見も出ている。互いの民主主義の形を学びあう必要があるのだと思う。
12月14日、韓国国会は尹大統領の弾劾追訴を議決し、判断は憲法裁判所に委ねられることになった。大統領は裁判所からの通知を無視し続け、市民たちは今日も厳寒の中で広場に集まっている。
2024年12月に突然出された韓国の非常戒厳令。いまだ韓国社会は揺らいでいるが、市民が積極的に行動する韓国を「民主主義の先進国」として称賛する人もいれば、「韓国民主主義の未熟さが露呈した」と批判的にとらえる人もいる。韓国を巡って日本国内の評価が真っ二つに割れるのは今に始まったことではないが、それぞれが理想とする「民主主義の形」はいったい何だろうか。韓国のリアルをレポートしながら、アジア全体の民主主義を考える。