では、『テネット』における「主人公」もまたノーラン自身なのだろうか? 答えはノーだ。あまりにも直接的で笑ってしまうのだが、『テネット』の劇中には「主人公」が何度か自分の立場について言及するシーンがある。まず、中盤も過ぎてから突然、ムンバイの女性武器商人プリヤに「俺は主人公じゃないのか?」と問うシーン。プリヤはその問いに「あなたはたくさんいる主人公の一人に過ぎない」と答える。そしてラストシーンでは、その時のプリヤの発言を打ち消すように、主人公自らが「俺は主人公だ」と宣言する。『テネット』の物語は基本的に「主人公」の視点から語られていて、当然のようにスクリーンに最も登場するのも「主人公」なわけだから、そんなやりとり自体が不要にも思えるが、そのくらいはっきりと台詞で念押しをしておかないと作品全体の構造が揺らいでしまうほど、ある別のキャラクターに物語上の仕掛けが集約されている。
そのキャラクターは、神出鬼没、冒頭のキエフのオペラハウスにおけるテロの現場をはじめとして、「主人公」を絶体絶命のピンチから何度も救うことになる、ロバート・パティンソン演じるニールだ。
観客にこれ見よがしに注意を促す、繰り返される「オレンジの紐で結ばれたコインのお守り」のクローズアップ。「顔出し」での初登場となるムンバイのシーンにおける、ただ「主人公」と話をしているだけなのに謎にけたたましく盛り上がるルドウィグ・ゴランソンのスコア(トラックタイトルは「Meeting Neil」)。『カサブランカ』の超有名なラストシーンに恥ずかしげもなくオマージュを捧げた「主人公」との別れのシーン。観客を置いてきぼりにすることを厭わず、作品内のロジックを押し通して強引に物語が進んでいく『テネット』にあって、ニールだけはやたらと使い勝手がいいキャラクターとして、演出上も特別扱いされている。人知れず時間の順行と逆行を繰り返して、『テネット』の作品内全体を俯瞰しているだけでなく、作品の外側に広がる過去や未来にも精通している彼は、『インセプション』におけるコブ同様、「映画監督」の役割そのものだ。それをふまえて『テネット』を見直せば、オスロ空港での作戦について「主人公」とニールが交わす次の会話は、完全に楽屋落ちのギャグとしか思えないだろう。
主人公「飛行機を墜落させるつもりなのか?」(You wanna crash a plane?)
ニール「まぁ、空中からではないけどね。そこまでドラマティックじゃないよ」(Well, not from the air. Don’t be so dramatic.)
主人公「どのくらいの大きさの飛行機を使うんだ?」(Well, how big a plane?)
ニール「そこはこの計画(映画)のちょっとドラマティックなパートだね」(That part is a little dramatic.)
実は『テネット』においてニールにはもう一つの物語上の仕掛けが課せられている。ケネス・ブラナー演じるセイターの母国語であるエストニア語に通じているという設定。エリザベス・デベッキ演じるキャットとの奇妙な親密さ。母親だから当然ではあるものの、わざわざ台詞で不自然なほど何度も強調されるキャットの息子マックスへの執着。そのマックスには決して寄らない思わせぶりなカメラワーク。ニールはマックスと同じ金髪(パティンソンは役のためにわざわざ髪を染めている)。そして、マックス(Max)の正称であるMaximilienの最後の4文字を逆さから読むとーー。
デビュー作『フォロウィング』で自身を「the young man」とコブの2人に分散して投影させたノーランは、今度は『テネット』でニール=マックスという最大のスポイラーの中に自身を投影するキャラクターを隠してみせた(全然隠れていないが)とするのが妥当だろう。では、そのニールが避けることができない死を覚悟しながらも時間(時代)を逆行し、「黄昏の世界」で「友達」を失うことになったとしても、最後まで守り通そうとしている「主人公」は誰なのか? もうおわかりだろう。「主人公」は映画そのものだ。
(次回へ続く)
トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく。
プロフィール
1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(共著:くるり、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(共著:レジ―、ソルメディア)、『2010’s』(共著:田中宗一郎、新潮社)。