130年目の映画革命 第1回

『テネット』の「主人公」とは誰なのか?

宇野維正
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トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく新連載「130年目の映画革命」。第1回は、未だカリフォルニア州やニューヨーク州で劇場閉鎖が続く中、「映画と劇場の救世主」を果敢に買って出たクリストファー・ノーランの新作『テネット』。

© 2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

本稿は作品の内容に関する重大な記述を含みます。鑑賞前の方はご注意ください。

 

 「我々は黄昏の世界に生きている」

    (We live in a twilight world)

 「そして、夕暮れになると友達はいなくなる」

   (And there are no friends at dusk)

 

 ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』から引用された、『テネット』の劇中で繰り返される特殊部隊の合言葉。しかし、2014年(つまり『インターステラー』を完成させて『ダンケルク』のディベロップに本格的に入る前)、クリストファー・ノーランが『テネット』の脚本に着手した時点で、映画界がここまで早く、ここまで深く、「黄昏の世界」に沈んでしまうことを予測できた人はいなかっただろう。

 

 2010年代の半ば以降、NetflixやAmazonの台頭によって「劇場から配信へ」という時代の大きな流れは決定的なものとなっていたが、それでも劇場で観る映画には、自宅のテレビやデジタルディバイスで観る映画には代替することができない価値があると多くの人が信じてきたはずだった。しかし、新型コロナウイルスの影響で劇場が閉鎖されると、ハリウッドのメジャースタジオは新作の配信リリースへと大きく舵を切り、少なくとも北米では多くの観客からそれが受け入れられている。例外として、『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』『ブラック・ウィドウ』『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』のような世界中の劇場で公開しないと莫大な製作費や宣伝費をどうにも回収しきれない作品は、早々に公開の大幅延期を発表。結果として、ノーランの強い働きかけによって劇場公開が死守された『テネット』は、2020年3月以降に初めて世界公開されたブロックバスター作品となった。まさに、「夕暮れになると友達はいなくなる」。『テネット』は友達がみんな帰宅して誰もいなくなった公園で、一人だけ取り残された子供のような状態となった。

 

 『テネット』が「黄昏の世界」における「友達のいない」映画である理由は、もちろんそれだけではない。昨年、オリジナル脚本によるスタンドアローン作品でアメリカの国内年間興収の最も上位につけた作品は12位のジョーダン・ピール『アス』だった。以降、18位のクエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、21位のライアン・ジョンソン『ナイブズ・アウト』、27位のジェームズ・マンゴールド『フォードvsフェラーリ』、28位のローリーン・スカファリア『ハスラーズ』と続いていくわけだが、そこからわかることは二つ。フランチャイズ作品やユニバース作品の寡占状態にある映画界において、もはやオリジナル作品で年間トップ10に入るようなメガヒットを飛ばすことは不可能に近いこと。そして、そもそもメジャースタジオにおいてオリジナル脚本の作品を成り立たせるには、監督が作家性の名の下に自身で脚本を手がける方法しかほぼ残されていないということ(ここに挙げた作品で唯一の例外は『フォードvsフェラーリ』だ)。『テネット』について、そしてノーランについて語られる時、彼のフィルム撮影及びIMAXカメラへの執着についてはよく触れられるが、そのこと以上に現在の映画界においてノーラン作品が孤高であるのは、彼が「自身のオリジナル脚本によるメガバジェット作品」という、今やほとんど実現不可能な作品を作り続けていることだ。

 

 ジョン・デイビッド・ワシントン演じる『テネット』の主人公は、ノーランの脚本では「protagonist」(主人公)とだけ表記されていて、日本では「名もなき男」という訳が当てられている。

© 2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

 脚本の書き手が何年も心血を注いで書いてきた何百ページもの長大な脚本の主人公をただの「主人公」とするのには、当然のように理由がある。というか、その理由と「『主人公』とは誰なのか?」を探ることが、『テネット』という作品の謎を解く最大の鍵であると考えるのが、ごく自然だろう。

 

 これまでノーランが監督した長編作品は11作。そのうち2002年の『インソムニア』を除くすべての作品の脚本を単独、もしくは共作で手がけてきたわけだが、主人公に名前をつけなかったのはデビュー作『フォロウィング』以来のことだ。作家になることを目指していて、そのアイデアを得るために他人を尾行している主人公は、劇中で成り行き上とりあえずビルと名乗ることとなるが、脚本では名無しの「the young man」。作家志望というわりには自室には古典映画のポスターやポストカードばかり飾っているその「the young man」に、校内に常備された16mmカメラと編集室を使用する目的でロンドン大学に入学しながらも、その本当の目的を隠すかのように文学を専攻していたノーラン自身の若き日が重なる。

 

 あるいは、『テネット』の製作費2億500万ドル(約215億円)の30000分の1以下、たった6000ドル(約63万円)の製作費で作られた『フォロウィング』の時点でアマチュアとプロの境界線上にいたノーランが、自身の映画監督としての未来像を、「the young man」をまんまとハメて街の雑踏に消えていくペテン師のコブに見出してみせたという解釈も可能だろう。12年後、ノーランは『インセプション』でレオナルド・ディカプリオ演じる主人公を同じコブと名付けた。多くの人が指摘するように、『インセプション』で描かれた「夢」は「映画」のメタファーであり、他人の「夢」に侵入して別の「夢」を捏造する主人公は大掛かりなペテン師に他ならず、つまりはノーランが目指してきた映画監督の役割そのものだった。このように、作り手が作品の中に紛れ込ませた自分自身を投影したキャラクター(それは1人とは限らない)を解読していくのは、オリジナル脚本作品ならではの楽しみの一つだ。

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130年目の映画革命

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく。

プロフィール

宇野維正

1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(共著:くるり、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(共著:レジ―、ソルメディア)、『2010’s』(共著:田中宗一郎、新潮社)。

 
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『テネット』の「主人公」とは誰なのか?

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