130年目の映画革命 第3回

『ブラック・ウィドウ』が残した「遺恨」が意味するもの

宇野維正

 『ブラック・ウィドウ』には、『アイアンマン2』での初登場シーンとは別の意味で―いや、同じ意味とも言えるかもしれないが―ギョッとせずにはいられないシーンがある。終盤、ナターシャ・ロマノフが醜く太った白髪で初老の白人であるドレイコフと二人きりで彼の執務部屋で対峙するシーンは、否が応でも性的暴行で2020年に逮捕された元大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインと彼の部屋に呼び出された女優やモデルたちの最悪なエピソードの数々を思い起こさせる(よりにもよって、そこでドレイコフは耳の後ろから出る「フェロモン」で相手をコントロールしようとする)。さらに、空中の「孤島」として描かれるドレイコフの組織レッドルームでは、年端もいかない少女たちが拉致され、組織に従順な「ブラック・ウィドウ」として養成されている。これはどこからどう見ても、長年にわたって少女たちへの性的暴行と売春の斡旋をおこなっていた実業家ジェフリー・エプスタインと、その数々の悪事の拠点となった私有島(リトル・セント・ジェームズ島)のアナロジーだろう。作中でのドレイコフの加害対象は常に少女や若い女性であり、例えば同じように彼の支配下にいたはずのアレクセイ・ショスタコフ(=レッド・ガーディアン)は悲壮感とは無縁どころか、「ドレイコフの元仲間」といったニュアンスで描かれている。

 

 つまり、#MeTooの時代を経て、ナチスと並んで誰もが納得できる「映画界共通の敵」に白人男性の性犯罪者が加わったわけだ。今作がハリウッド初進出となったオーストラリア人監督ケイト・ショートランドは、過去のスパイアクション映画のレファレンスを散りばめることで陰鬱なモチーフが詰まった本作をエンターテインメント作品として成立させているが、彼女が抜擢された理由としては、前作『ベルリン・シンドローム』で拉致被害者となった若い女性の心理を細密に描いていたことが大きかったはずだ。

 

 原作コミックにおける設定からも、これまでのMCU作品におけるキャラクターの描かれ方からも、『ブラック・ウィドウ』がこのような暗いモチーフを扱うことになったのは必然でもあるが、改めて、ヨハンソンがこのナターシャ・ロマノフという役を演じてきたことの重さに思いを馳せずにはいられない。何故なら、ヨハンソンはワインスタインの妻であるファッションデザイナー、ジョージナ・チャップマンへの支持を表明した数少ない有名人の一人であり、共に近年の代表作を作り上げてきたウディ・アレンに対しても、養女虐待疑惑によるキャンセル騒動の渦中で「彼のことを信じている」と明言した数少ない映画人の一人でもあるからだ。

 

 ヨハンソンにとって、(おそらくは)最後のMCU出演作となる『ブラック・ウィドウ』は、そんな自身のMCUにおける長いキャリアとここ数年間の「激動の季節」の総決算として位置付けられていたに違いない。また、今後テレビシリーズを含むMCU作品で重要な役割を担っていく違いないフローレンス・ピュー演じるエレーナ・ベロワのユーモアに溢れながらも強かで意志の強いキャラクターは、(ピュー自身の並外れた才能はもちろんのこと)ナターシャ・ロマノフをはじめとするこれまでのMCU作品における悲劇的な女性キャラクターたちの礎の上に達成されたものであり、ヨハンソンからピューへと新しい時代へのバトンタッチが果たされたことは『ブラック・ウィドウ』における最大の功績と言ってもいいだろう。

 

©Marvel Studios 2021

 

 だからこそ、こんな後味の悪い結末は見たくなかった。ヨハンソンがディズニーに対して声を上げてから1ヶ月以上が過ぎた現時点(8月30日)で、ヨハンソンへの支持をはっきりと表明した「現役」のMCUアクターは、ワンダ・マキシモフ=スカーレット・ウィッチを演じているエリザベス・オルセン、ただ一人だ。

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 第2回
130年目の映画革命

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく。

プロフィール

宇野維正

1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(共著:くるり、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(共著:レジ―、ソルメディア)、『2010’s』(共著:田中宗一郎、新潮社)。

 
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『ブラック・ウィドウ』が残した「遺恨」が意味するもの