130年目の映画革命 第3回

『ブラック・ウィドウ』が残した「遺恨」が意味するもの

宇野維正

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、覇権を握るディズニーのディズニープラスへの業態移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、その誕生以来最大の転換期を迎えた「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作の映画批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく連載「130年目の映画革命」。第3回はパンデミックによって劇場公開が1年以上遅れ、さらにディズニープラスでの配信と同日公開(日本は前日公開)になったことで様々な波紋を巻き起こしているMCU映画の最新作『ブラック・ウィドウ』。

 

©Marvel Studios 2021

 ナターシャ・ロマノフの長い旅路の果てに、まさかこんな後味の悪い結末が待っているなんて、2年前には誰も想像していなかっただろう。パンデミックによる再三の公開延期を経て、2021年7月10日に『ブラック・ウィドウ』が全米公開、及びその同日にディズニープラスで有料配信されたことを受けて、その19日後にスカーレット・ヨハンソンは契約違反でディズニーを訴えた。ヨハンソンの主張は、観客が配信視聴に流れたことによって、劇場での興行収入からの歩合で受け取る成果報酬が大きく失われたというものだ。ウォール・ストリート・ジャーナルによると、その想定被害額は5000万ドル(約55億円)以上にも及ぶという。

 

 一つの作品における一人の役者の損害が5000万ドルということ自体が、まるで別の惑星の話のようではあるが、まずはヨハンソンにとって今回の『ブラック・ウィドウ』がどういう作品であったかを正しく位置付ける必要があるだろう。2010年公開の『アイアンマン2』でMCU作品に初登場して、2019年公開の『アベンジャーズ/エンドゲーム』で命を落としたナターシャ・ロマノフ=ブラック・ウィドウを演じてきたヨハンソンは、MCUの第一期アベンジャーズ・アクターの中ではトニー・スターク=アイアンマンを演じたロバート・ダウニーJr.に続く古参。『アベンジャーズ/エンドゲーム』終盤の主要キャラクターだけでなく過去のサブキャラクターまで勢揃いしてのトニー・スタークの盛大な葬儀シーンでは「えっ、ナターシャのことはスルーなの?」と不憫に思った観客も多かったはずだが、マーベル・スタジオが改めてナターシャのフェアウェル・イベントとして用意していたのが、もしパンデミックがなければ2020年5月に公開される予定だった今回の『ブラック・ウィドウ』ということになる。

 

 そうした経緯で製作されることとなった『ブラック・ウィドウ』におけるヨハンソンの役割は「主演女優」だけではなく、エグゼクティブ・プロデューサーとして作品全体を統括する一人でもあった。これまでロバート・ダウニーJr.やスティーブ・ロジャース=初代キャプテン・アメリカを演じたクリス・エヴァンスでさえ製作サイドにクレジットされることがなかったことを考えると、「映画界における女性の地位向上」という点でもヨハンソンが成し遂げたことの大きさがわかるだろう。

 

 それにしても、改めて『アイアンマン2』のナターシャ・ロマノフのシーンを観直してみると、この10年でいかにマーベル作品が、そしてハリウッドが変化してきたかを痛感しないわけにはいかない。初登場のシーンで、ナタリー・ラッシュマンと名乗る彼女は、胸元が開いたシャツを着て、スターク・インダストリーズ法務部の社員としてトニー・スタークの前に現れる。ボクシングのリングでエクササイズ中のトニー・スタークは、リングに上がるよう高圧的に指示し、リング上で彼女の全身を舐め回すように見ると、秘書ポッツに彼女をすぐに自分のアシスタントにしたいと告げる。その場でトニー・スタークが彼女の名前をネットで検索すると、東京でファッションモデルをやっていた頃の下着姿の写真がヒット。一応アリバイ的にポッツはスタークに「法律の専門家だからセクハラすると高くつく」と忠告はするものの、その一連のシーンにおける最後の台詞はスタークがポッツに呟く「あれが欲しい(I Want One)」だ。現在のハリウッド映画のコードに慣れた目からはギョッとせずにはいられないが、2010年にはこれが許されていたどころか、色男トニー・スタークの「チャーミングさ」として多くの人から支持されていたのだ。

 

 近年のMCU作品に対して、物語の設定やキャスティングの段階から人種やジェンダーに関連するポリティカル・コレクトネスに配慮しすぎていて、それが作品そのものをスポイルしているという批判が一部にある。そうした批判のすべてを「反動的なもの」として片付けてしまうことには慎重にならなくてはいけないが、それ以前の問題として、パラマウント映画及びユニバーサル・スタジオからウォルト・ディズニー・スタジオに移る前のMCU作品(2011年の『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』まで)、あるいはドナルド・トランプの政治資金提供者としても知られるマーベル・エンターテインメントCEOアイザック・パルムッターがマーベル・スタジオ作品の企画監修に関与していたMCU作品(2015年の『アントマン』まで)に、キャスティングを含め配慮の欠けている部分が多々あったという事実がある。マーベル・スタジオ現社長のケヴィン・ファイギが全権を掌握するようになってからのMCU作品は、世間や映画界の変化に過剰に対応しているだけではなく、まずそうした過去作に対しての自己批判から生まれているという視点も必要だろう。マーベル・スタジオはDCフィルムズの『ワンダー・ウーマン』から遅れること2年、2019年に初めて女性監督による女性スーパーヒーロー作品『キャプテン・マーベル』を発表することになる。そして、そんなMCU作品の歩みを内側からずっと見てきた唯一の女性主要キャストがヨハンソンだった。

 

(c)Marvel Studios 2021

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130年目の映画革命

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく。

プロフィール

宇野維正

1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(共著:くるり、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(共著:レジ―、ソルメディア)、『2010’s』(共著:田中宗一郎、新潮社)。

 
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『ブラック・ウィドウ』が残した「遺恨」が意味するもの