ディープ・ニッポン 第22回

福井・京都(2)

アレックス・カー

昔からある町が「普通に」守られている

 福井には若狭湾に面した歴史的な町、小浜おばまがあります。律令時代から大和王朝の日本海側の玄関口として要衝の地となり、奈良時代は東大寺の「お水取り」の水が、小浜から運ばれていました。平安時代には天皇家に海産物を提供する「御食国みけつくに」の一つに定められ、江戸時代には小浜藩の城下町として、またさばの水揚げ地として「鯖街道」の起点となってさらに栄えました。「鯖街道」は若狭と京都を結ぶ街道群で、それらの街道沿いには、古い町並みの中に、社寺をはじめ文化的な遺産が数多く残っています。小浜が別名「海のある奈良」といわれる所以です。

 その小浜に知人のアメリカ人写真家、ショーン・ブレクトさんがいます。ショーンさんは四国でインバウンド観光に携わっていましたが、小浜が気に入って2023年にこちらに移住した人です。

ショーン・ブレクトさん

 ショーンさんは彼のお気に入りである旧市街の「小浜西組にしぐみ地区」を案内してくれました。ここは国の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されている一帯で、門前町、商家町、茶屋町、山麓の寺社で構成されています。

 町は現在も中世以降の町割りを留めています。改築や新築中の物件もありましたが、京都旧市街のような木造の町家が並び、ベンガラ格子の見ごたえある町並みでした。全体として景観を意識しており、古い街の雰囲気を乱す看板などがありません。ところどころに、いまとなっては絶滅危惧種ともいえる建具屋さん、畳屋さんがあり、仕事の様子が外から見えるようになっているところも、うれしいことでした。

 新しい住人のショーンさんが喜んでいるのは、小浜西組の町並みがごく自然な状態で残っていることです。それは私も同感です。日本中の重伝建を回った私は常々、多くの保存地区が異様なほどきれいに整備され、生活感が薄れていることにもったいなさを感じていました。

 小浜は茶屋町にしても、金沢の「三茶屋街」ほどの規模はありませんが、品があって、生活感もしっかり残っています。車一台がやっと通れるような狭い道に住人の車が入ってきた時は、クラクションを鳴らすでもなく、私たちが道を通り切るまで待っていてくれました。そのような住人の気持ちの余裕、暮らしのたしなみも含め、ここは「特別感がない」ことが特別です。昔からある町が、住民たちの高い意識によって「普通に」守られているのです。

小浜西組地区の町並み
小浜西組地区の町並み

 小浜の港は朝鮮半島や大陸とつながる「海の道」と、中央政権と交流していた「陸の道」の出発点・交差点であったため、文化人や工芸職人が頻繁に訪れていました。戦国時代の武士や江戸時代の廻船問屋の豪商は寺院を作り、京都から仏像や洗練された調度品を取り寄せました。そのため地方都市にも関わらず、小浜には驚くほど立派な寺院が数多く存在します。小浜市内に現存する国宝や重要文化財のある寺院八か所は「八ケ寺」と呼ばれ、それらを巡る観光ルートもあります。今回は全部を回る時間がなかったので、二か所だけ訪れました。

 最初の「羽賀寺はがじ」は市街地から少し離れた森の中にある真言宗の寺院で、白洲正子がその著作で本尊の十一面観音菩薩像について文章を残しています。色彩が鮮明に残る仏像は平安時代初期の作とされ、女帝、元正天皇(在位715~724)の肖像と伝承されています。元正天皇については、797年成立の『続日本紀』で「沈静ちんせい婉孌えんれん」(落ち着いて美しい)と書かれていますが、仏像の優しく上品な表情を見てその描写が納得できました。

羽賀寺の本堂
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 第21回
ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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