ディープ・ニッポン 第22回

福井・京都(2)

アレックス・カー

神仏習合の大胆な表現

 二つ目はショーンさんが教えてくれた天台宗の寺院である「神宮寺じんぐうじ」です。ここにも平泉寺の開祖である泰澄の足跡が色濃く残されています。由来は奈良時代に遡り、泰澄の弟子が創建したと伝わっているのです。神宮寺はまた朝倉氏にもゆかりがあり、現存の本堂は1553年に朝倉義景の寄進によって再建されたものです。

神宮寺の本堂

 杮葺き屋根の緩やかな反りには室町時代絶頂期の文化の香りがあり、本殿を見ていると、一乗谷朝倉氏遺跡にあったであろう御殿が想像できます。

 神宮寺は他の寺院で見たことがないほど大胆な形で、神仏習合を表していました。本堂に上がる階段上には、神社にある注連縄しめなわ紙垂しでが掛かっていて、その珍しさに驚きました。あらためて考えてみると「神宮寺」というその名からして、神仏が習合していますので、そうであることは最初から察知できたはずでした。

神宮寺の本堂にはしめ縄が張られている

 奈良時代から幕末までの千二百年近く、神道と仏教は神仏習合により、平和的に共存していました。特に天台宗系の神社仏閣には現在もその名残があります。明治の廃仏毀釈はかなり暴力的で、その凄まじいダメージの一端が、平泉寺の壊れた仏像からも生々しく伝わってきました。以降、神社と寺院は強制的に分離させられ、幕末以前のように神と仏が同じ社殿に祀られていることは滅多にありません。神仏習合の歴史をいまも重んじている八幡はちまん信仰や修験道しゅげんどうという例外はありますが、それ以外はたまに田舎の小さな神社に見られる程度です。前著『ニッポン巡礼』で回った阿仁根子あにねっこ(秋田県)の神社の祭壇上と、「ディープ・ニッポン」の連載第7回で訪れた「津軽三十三観音霊場の第五番札所」の鄙びた「巌鬼がんきさん神社」(青森県)の祭壇横に観音像が残っていましたが、それらは稀少な眺めでした。

 神宮寺の本堂内部は密教寺院によく見られる内陣と外陣の二重構造で、格子で仕切られた内陣の祭壇には、中央に本尊の薬師如来像、向かって左側に千手観音像、そして右側の壁に「白石鵜之瀬明神」「和加佐比古大神」「和加佐比女大神」という神の名を書いた掛軸が吊るされていました。

 祭壇に見られた掛け軸の「白石鵜之瀬明神」ゆかりの「鵜の瀬」は小浜を通る遠敷おにゅう川の中流にある淵の名で、ここの水は名水として知られています。752年から奈良「東大寺二月堂」で始まった毎年の行事「お水取り」の水は、この鵜の瀬から引いています。その意味で、日本一の名水かもしれません。

 お水取りは「修二会しゅにえ」という法会の一連の行事です。伝説によると、初めて修二会が開かれた際、招聘された全国の神々の中で、若狭の「遠敷明神」だけは魚釣りに夢中になっていて、二日ほど遅れての出席となったそうです。その償いに鵜の瀬の水を二月堂へ提供することを誓いました。そこから小浜の水が「閼伽あか水」もしくは「お香水」(寺院に奉納する供養水)として使われるようになったといわれています。それ以来、毎年三月十二日に二月堂でお水取り(別名「お香水汲み」)が行われ、その行事を終えると天下に春が訪れるとされています。

 神宮寺では毎年、二月堂のお水取りに先駆けて、三月二日に「お水送り」という行事が大々的に行われます。本殿の脇に立つ木造の簡素な小屋の中にある「閼伽井戸」がその舞台です。注連縄と紙垂のかかった岩からちょろちょろと水が湧き出していて、神秘的な空気を感じました。

神宮寺の閼伽井戸。お水送りの閼伽水をこの井戸から取得する

 お水送りの日は午前中に閼伽井戸から汲まれた閼伽水が、境内での弓打ち神事を始め、様々な儀式を経て聖なる「香水」へと変わっていきます。夜には白装束の行列が大きな松明を抱えながら鵜の瀬の淵へ行き、「送水神事」でお香水を遠敷川に流します。その水底を通って十日後、お香水は二月堂の若狭井に届き、お香水としてお水取りの儀式に使われる……という手順です。

 閼伽井戸の横に、スダジイの大木がありました。スダジイは常緑広葉樹であるシイの仲間です。推定樹齢五百年の木を見上げると、クネクネとした枝が空いっぱいに広がっています。足もとに目をやると、地を這うように広がった根っこが一本一本、うねるように集まってそれが立派な幹になっています。その足もとは苔が覆っていて、緑のスカートを纏った木の妖怪のように見えました。

神宮寺にあるスダジイの巨木

 平泉寺ほどの広い範囲ではないものの、神宮寺の庭も福井特有のリッチな苔で美しく覆われていました。福井は気候的に苔の根付きが良さそうですし、さらに神宮寺の境内は手入れが隅々まで行き届いていました。

 神宮寺には仁王門から境内表門へと続く元参道があります。しかし現在は、境内表門の脇に位置する駐車場からすぐ境内にアクセスできることもあり、元参道は忘れられつつあります。ショーンさんからは「元参道は必ず通るように」と助言を受けていました。

 その言葉の通り、寺を辞す前に元参道を歩きました。道沿いに苔むした石垣と桜の老木が並んでいて、その先にはススキの原っぱが広がっています。廃仏毀釈以前、この原っぱには塔頭たっちゅうが並んでいたのでしょう。参道の起点となる仁王門の左右には、一体ずつ木造の仁王像(金剛力士像)が安置されていましたが、その様子は素朴な田舎らしさを持つ可愛らしいものでした。仁王門は鎌倉末期から室町初期の建物とされ、仁王像には至徳2(1385)年の墨書も見られるので、相当古い彫刻です。

 ススキの原は日本画に出てきそうな淡い風景で、ブタクサ、セイタカアワダチソウなどの外来種は見かけませんでした。何気ない光景ですが、ここにもていねいな手が入っているように感じました。歩いてきた道を振り返ると、風に揺らぐススキの穂が陽の光に照らされ、その先には苔むした石垣と、秋に葉を落とした桜の老木があり、まさしく夢の跡という情景でした。

神宮寺の元参道

(つづく)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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