ディープ・ニッポン 第23回

福井・京都(3)

アレックス・カー

丹後半島の山間にある「かくれ里」

 福井の小浜から海伝いに舞鶴、宮津を経由して、私たちは京都の「奥」である丹後半島に移動しました。

 京都の府域は南の木津川きづがわ市から日本海側の京丹後きょうたんご市まで広がっており、北西部には綾部、福知山、宮津、伊根など歴史的な町が続いています。しかし、京都を訪れる観光客だけでなく、京都市の住人であっても、嵐山より西、金閣寺より北へ足を運ぶことはあまりないように思います。私の住んでいる亀岡市は京都市の西に隣接する町で、電車なら京都駅から約二十分の距離ですが、ここも京都の友人にいわせると、「町から遠い」となります。

 そのように考えた場合、丹後半島こそが京都のいちばん「遠い」ところとなります。

 丹後半島では何といっても天橋立あまのはしだてが有名な観光地ですが、私たちは海の景色ではなく、山間のかくれ里を目指しました。天橋立から成相なりあい山を北に上がった場所にある「上世屋かみせや」集落です。住所は天橋立と同じ宮津市で、天橋立と同じくらい観光客に人気の「伊根」に向かう途中の山道を入って行きますが、人の姿はぱったりと途絶えています。細く曲がりくねった山道を進んでいると、突然、集落の眺めが開けてきました。

 十数軒ある古民家の屋根は、京都によく見られる「入母屋造いりもやづくり」で、元々は茅葺きのようですが、ほとんどの屋根はトタンを被っています。幸いトタンは派手な色ではなく、落ち着いた黒や焦げ茶で統一されていて、全体の調和が取れています。その中で二軒ほど、茅葺きのような屋根が見られました。一軒は大分廃れていましたが、もう一軒にはブルーシートがかかっていて、修復の手が入っているようでした。

 集落内の道を抜け、山道をさらに上がった先に集落全体を俯瞰できる場所があり、そこからは遠方の宮津湾までパノラマのように一望することができました。山に囲まれ、田畑の中に茅葺き屋根の農家が点在して、その先に湾の水面がおだやかに光っています。徳島の旅で見つけた神山町の中津集落と重なる風景は、まさに絵に描いたようなかくれ里でした。

上世屋集落。遠くに宮津湾を望む

 上世屋集落からさらに山を登っていくと、近くの高台に広い農地が広がっていました。畑を枡の目に区切っているあぜ道にはススキが群生しています。ところどころに未耕作と見られる畑があり、そこに大量のススキが無造作に投げてありました。茅場の跡だったのかもしれません。ススキのデリケートな穂が秋風に吹かれる様子は少しさびしく、詩的な情緒にあふれた田園風景でした。

上世屋集落近くのススキの風景

 秋は早くに日が暮れていきます。周辺を探訪しているうちに、日没の時間が近付いてきたので、それに合わせてもう一度、上世屋の展望ポイントに戻りました。宮津湾の上で青く輝いていた空が、次第にオレンジとピンクの色合いに染まっていきます。夕焼けは集落にたたずむ古民家、田んぼと畑、緑の木々に覆われた山の上に月が昇りました。心が落ち着く眺めを、私たちは独占していました。

上世屋集落の夕景
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 第22回
ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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福井・京都(3)