ディープ・ニッポン 第23回

福井・京都(3)

アレックス・カー

「京都市内」の里山風景

 後で調べたところ、上世屋の古民家の屋根は、大変稀な「笹葺き」屋根として知られていました。現存する笹葺きの建物は全国に極めて少なく、私が把握している限り、石川県七尾市に一軒、京丹後市に一軒、神奈川県相模原市の「史跡勝坂遺跡公園」に一軒、そしてこの上世屋の二軒というぐらいです。若いころに徳島の祖谷で茅葺きの古民家を購入して以来、私は茅葺き屋根を愛してきましたが、上世屋を訪れるまで「笹葺き」の存在は知りませんでした。

 笹の葉はふさふさとして厚みがあり、その点で屋根素材に適しています。また茅や藁と比べて断熱効果も高いようで、豪雪地帯の上世屋では、冬の寒さを緩和するために笹葺きが重宝されたのでしょう。

 文献をあたってみると、笹葺き屋根は茅や藁よりも歴史が古く、縄文時代の竪穴式住居やアイヌの住居の屋根は笹を葺いて作られていたそうです。藁は稲作が日本に渡って来る以前はありませんでしたし、茅の原料となるススキは鉄製の鎌がないと刈り取ることが難しいものです。そのことから、笹葺きこそは日本の屋根の原型といえるのかもしれません。

 また、笹葺きが廃れた理由として、笹の葉の扱いづらさがあったのではないかと私は推測します。藁と茅は細長い芯があるので、束を作って屋根に載せて、紐で梁と垂木にくくりつけることが簡単にできます。おまけに、見た目もきれいに並べることができます。しかし、笹をどのように屋根組に固定させられるかは、私にも想像がつきません。きっと、どんなにがんばっても、ボサボサしたできあがりになることでしょう。鉄製の鎌が発明され、一気に藁と茅に変わったことに納得します。

 上世屋では2008年に立命館大学の学生グループが一軒の笹葺き民家の屋根の葺き替えを行ったようですが、それ以降の動きはあまり聞こえてきません。しかし、このような立派な素材があることを知った私は、ワクワクした気持ちになりました。

 私はある人物の名前を思い出しました。茅葺き民家の町並みで知られる京都の美山町みやまちょうにいる、茅葺き職人の西尾晴夫さんです。西尾さんとは以前、茅葺きをテーマに対談を行ったことがあり、その時に彼が本職の葺き替え以外にも、茅葺き民家を継承するために、さまざまな取り組みをしていることを知りました。美山町では空き家になった十数軒の古民家を修復し、そのうち八軒を個人で所有、一棟貸しのゲストハウスなどに活用しています。西尾さんは美山の茅葺きの大将であり、近いうちにゆっくりと会っていろいろなことを相談したいと思います。美山か上世屋で、西尾さんと笹葺きを復活できたら、とても面白そうです。

 京都といえば、多くの人は四条河原町を中心とした旧市街を思い浮かべると思いますが、京都市の市域は思った以上に広く、特に北には京北けいほく町や花背はなせといった、市街地からは想像できないような里があります。花背は京都駅から車で一時間以上、北の鞍馬からでも四十分はかかります。といっても、住所は京都市左京区なのです。

 上世屋の集落を見た後は、丹後半島から福知山を経由して、ぜひ花背を再訪したいと思いました。車で二時間以上の道のりですが、車窓から眺める福知山、綾部、京丹波、南丹といった京都府北部と中部は、現在でも人の手が丁寧に入った古民家と里山風景が多く、奈良や滋賀など歴史ある関西の他地域と比べてもひけを取らない充実した風景が続きます。この一帯は鯖街道を中心に、古来、若狭文化圏とつながっていた場所です。途中で目にする集落は、浮世離れが極まった趣ですが、それでもどことなく都につながる洗練をまとっています。京都の文化レベルの高さに、あらためて感心させられます。

 2022年の春、その花背で開催された日本初の「民家サミット」というイベントに招かれました。イベントには、古民家に住んでいる人をはじめ、古民家を探すバイヤー、空き家バンクの代表、古民家の不動産業者、大工、左官、茅葺き職人など三百人もの人が全国から集まりました。

 それまで花背に行ったことはなかった私でしたが、訪ねてみると里の風景のあまりの美しさに驚きました。元・茅葺きだった古民家がたくさん残り、大規模な公共工事や住宅開発は、ほとんどなされていません。冬に雪が降ると閉ざされてしまう集落ですが、近年は古民家ブームで、花背の古民家も人気を呼んでいます。その流れで何人かの外国人も古民家のオーナーとなって、コミュニティができています。私が参加した民家サミットも、花背に住む外国人グループが仕掛けたものでした。そのメンバーであるサイモン&慶子・ケルガード夫妻と私は親しくなりました。

 ケルガード夫妻は以前、オーストラリアのブルー・マウンテンで二十五年にわたって宿を経営した後、慶子さんの実家がある大阪に移り、15年に花背の古民家を取得。そこを一日一組の宿とレストラン「HANASE HIGHLAND INN(花背ハイランド・イン)」に改築して、ゲストを迎えています。

花背ハイランド・イン

 彼らの家は「おくどさん」が残る土間の台所が見事で、敷地内の別棟にあるお風呂も、古民家ならではの風情があります。

 民家サミットに参加した時に、慶子さんが集落の近くにある「峰定寺ぶじょうじ」を案内してくれました。

 峰定寺の歴史は古く、1154年に鳥羽上皇の勅願で山岳修験者の観空かんくう西念さいねんが創建し、平清盛がその造営に関わったと伝えられています。西念は大和の大峰山おおみねさんで修験道を修行したことから、峰定寺とその裏の大悲山だいひざんは修験道の聖地となりました。明治時代に修験道は禁じられましたが、水面下では密かに生き残り、戦後になって復活することになりました。現在、峰定寺は修験道の総本山、京都の「聖護院しょうごいん門跡もんぜき」の末寺となっています。

 このお寺は山奥にある懸造かけづくりの舞台が印象的で、今回の旅の一つのハイライトだと私はとらえていました。

 峰定寺の入り口まで来たところで、品のある年配の女性から「峰定寺へ行かれるのですか?」と、声をかけられました。聞くところによると、台風の被害で山門は閉まっているとのこと。いまの時代ですので、事前にインターネットで峰定寺の開山時間は調べていたのですが、ネット上にそのような情報はありませんでした。それほど俗世から離れたお寺です。後で分かったことですが、その方は元・住職の佐藤昇道さんの夫人で、昇道住職が数十年前に亡くなって以降、この寺を切り盛りされてきた方でした。

 私たちは諦めきれず、せっかく来たのだからと麓の山門まで足を運びましたが、もちろんそこから先は行けません。後ろ髪を引かれながら引き返すことになりました。そして、峰定寺から川を挟んだ森の奥にある「花背の三本杉」に向かうことにしました。三本杉のうちの一本は、林野庁の測定で高さが62.3メートルとなっており、日本一背の高い木と認定されています。木のマニアでもある私は『ディープ・ニッポン』の青森編で木をテーマに、日本最大のブナやイチョウを訪ねました。僻地でないと、そのような立派な高木、老木を見ることはできないだろうと思い込んでいましたが、日本一高いスギ、かつ日本一高い木は京都市内にあったのです。

 道の入り口にあった「熊出没 注意」の看板に不安を覚えつつ、二十分ほど未舗装の道を歩いていきました。途中ですれ違ったのは一組の若いご夫婦だけで、挨拶を交わした後は私たちが山道を踏みしめる音しかありません。道が行き止まりになった先、うっそうとした森の中に三本杉はありました。一つの大きな株から樹木が三本、天に向かってそびえたっています。

 この三本杉は山奥にあるため、明治時代までは花背の人にさえ、存在が知られていなかったそうです。峰定寺の山を歩いた修験道の山伏だけが、三本杉の秘密を永く守り続けていたのでしょう。幹には紙垂が付いた太い注連縄がわたされて、峰定寺のご神木であることがうかがえました。

花背の三本杉

 夕方が近付き、太陽が傾き始めました。静かな森の中、日没前の日が当たった三本杉には、大自然の霊力を感じました。暗くなって熊が現れる前に花背の集落へ戻り、ハイランド・インを訪ねることにしました。

 サイモンと慶子さんは今回も私たちを快く迎えてくれました。スコットランド人のサイモンの英語と料理には、純粋なスコティッシュのエッセンスがあります。スコットランド名物料理に、羊の内臓を羊の胃袋に詰め込んで、何時間もローストする「ハギス」という強烈な料理があります。シェフとしてならしたサイモンが「次はそれを作ろう」と、笑いながら誘ってくれました。ハギスはスコティッシュ以外の人からすると、顔をしかめたくなるようなワイルドな料理ですが、私のルーツもスコットランドの山奥の民ですので、喜んで食べたいと思います。

 その日のハイランド・インの宿泊客はなんと、三本杉への道中ですれ違ったご夫婦でした。兵庫県で石屋を営む彼らは、驚くことに『美しき日本の残像』『犬と鬼』など、私の著作を愛読してくれているとのこと。宿の居間でケルガード夫妻とみなでテーブルを囲みながら、偶然の出会いに感激しました。

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 第22回
ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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福井・京都(3)