ディープ・ニッポン 第24回(最終回)

福井・京都(4)

アレックス・カー

「元伊勢」という聖域へ

「ディープ・ニッポン」を巡る旅の最後に、私たちはお伊勢参りに行きます。といっても三重県の伊勢神宮へ行くわけではありません。京都の福知山市大江町には「元伊勢(もといせ)」と呼ばれる聖域があり、そこを訪ねようとしています。

 本連載の「徳島編」第2回で徳島・木屋平こやだいらの三木家住宅を訪ねた時、私は「三種の神器」について触れました。天皇家の王権を象徴する三つのレガリア(宝器)である「鏡」「剣」「勾玉まがたま」です。三木さんの先祖の斎部(いんべ)広成が平安初期に書いた『古語拾遺(こごしゅうい)』では、それら神器についていろいろと論じられています。三種の神器のうち、鏡(八咫鏡(やたのかがみ))は天照大御神(アマテラス)の御神体として特に重要視されているもので、それは現在、伊勢神宮内宮に祀られています。

 八咫鏡にまつわる神話は、アマテラスが天岩戸に隠れた時に作られ、鏡は後に初代天皇である神武天皇に託されて宮中に納められ、歴代天皇の枕元に置かれることになりました。しかし崇神天皇6(紀元前91)年に、疫病などの凶事が起こり、恐れを感じた天皇は神鏡に新たな鎮座の場を探すよう皇女の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じました。

 そこから各地を転々とする鏡の長い旅が始まります。最初は倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)という場所に鎮座させられました。確定はしていませんが、現在の奈良「大神(おおみわ)神社」(桜井市)という説が有力です。鏡は数十年後の紀元前59年に、もう一人の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれ、丹後、近江、美濃、紀伊などの国々を巡りました。倭姫が伊勢の五十鈴いすずがわに辿り着いた時に、アマテラスから「この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰()する国なり。傍国(かたくに)可怜(うまし)国なり。この国に居()らむと欲(おも)ふ」(伊勢は美しくよい国なので、この国に降りたいと思う、という意)と、ご神託が降りたことで、ようやく伊勢に落ち着きました。

 アマテラスは一人で淋しかったようで、雄略22(伝統年歴によると481)年、雄略天皇に「吾一所に坐せば甚(はなはだ)苦し。しかのみならず大御饌も安く聞召(きこしめ)さず坐すが故に、丹波国の比沼真奈井(ひじのまない)に坐す我が御饌都神(みけつかみ)等由気大神(とゆけのおおかみ)を我が許に欲す」(私は一人でいるととても淋しい。また、お供え物を得られやすくするために、丹波国にいる御食神の豊受(とようけ)大御神(のおおみかみ)を私の側に欲しい、という意)と、お告げが降りました。その結果、豊受大御神は丹波(後で丹後となる)から伊勢に遷座され、それ以降は伊勢神宮外宮に祀られています。

 八咫鏡が崇神天皇の宮中から出されてから伊勢神宮に落ち着くまでは約九十年が経過していました。その九十年の間に鏡が短期間でも滞在した場所を「元伊勢(もといせ)」と呼びます。

 元伊勢と呼ばれる神社は、奈良の「檜()原(ばら)神社」「飛鳥坐(あすかにいます)神社」など、一般的に知られているだけでも二十数か所がありますが、日本各地の神社縁起録を含めると、九十カ所を超えるともいわれています。

 その中で倭姫が最初に訪れた場所が福知山市大江町でした。大江町にある現存の神社は「元伊勢三社」と呼ばれ、「皇()大こうたい神社神社(元伊勢内宮)」「豊受大とゆけだい神社(元伊勢外宮)」「天岩戸神社」からなります。

 京都には大江町の元伊勢三社より大規模な元伊勢である「この神社()」が、観光名所である天橋立あまのはしだての近くにあります。籠神社の境内は広く、立派な門や社殿を構え、昔は朝廷にも認められて、社格としては大江町の社より大分上だったようです。天岩戸神社にしても、宮崎県高千穂町にあるものの方が、はるかに規模が大きく、知名度があります。しかし今回は福知山の小さな集落内に隠れた、ほとんど知られていない元伊勢を取り上げます。この連載で追い求めてきた日本の「奥」「裏」との遭遇が、そこにあると信じたからです。

 私たちはまず外宮である豊受大神社から参拝しました。言い伝えでは、481年に豊受大御神が丹後半島の比沼麻奈為(ひぬまない)神社から伊勢へ遷座された時、この場所にしばらく鎮座したとされています。

 豊受大神社は、天田内(あまだうち)という集落に隣接する山の麓から急な階段を上がったところにあります。典型的な神社の階段で、人間のいる下界から上に向かうにつれて森が深まり、徐々に神界へと入っていきます。階段を上がり切ると、樹皮の付いた丸太で組まれた素朴な鳥居が、境内の手前に立っていました。これは「黒木鳥居」という日本最古の鳥居形式です。

豊受大神社、黒木鳥居

 境内には上段の広い敷地の中央に拝殿、それを挟むように二つの脇宮が立っています。いずれの屋根も金属製でしたが、拝殿の背後にある本殿だけは神明しんめいづくりの茅葺き屋根になっていました。本殿は太い丸太の掘立柱(ほったてばしら)が棟を支え、古びた板が社殿の壁を囲っています。屋根の千木(ちぎ)鰹木(かつおぎ)は元は金メッキだったかもしれませんが、現在は色褪せて金色の部分はほとんど残っていません。金が光らないことに古風を感じます。

豊受大神社の境内

 本殿裏側に「龍燈りゅうとうの杉」と「龍登りゅうとの桧」二つの枯木がそびえていました。スギは樹齢千五百年の立派な木で、ヒノキも螺旋を描くように幹が高く伸びていました。

豊受大神社の本殿と巨木

 内宮である皇大神社は、外宮から車で五分程度のところにあります。内宮の手前にある集落の地名は「大江町内宮」。さすがです。

 内宮の参道は300メートルほどの長い石段ですが、外宮の真っすぐに上がる急階段とは違い、山に沿ってカーブを上がっていく形です。途中の高台から内宮の門前町を眺めると、瓦屋根が整然と並ぶきれいな町並みでした。この集落は規模は小さいものの、元は茅葺きだった家と古い町家が残っていて風情があります。

皇大神社のある大江町内宮の町並み

 参道を進んでいくと、周辺の木々の密度が次第に高くなっていきます。参道の途中、中央に大きなスギの木が植わっていました。看板には「元伊勢内宮皇大神社の麻呂子(まろこ)スギ」と書かれ、樹齢千年以上ともいわれているとのこと。飛鳥時代(七世紀)に丹後地方の鬼(異説では凶賊)を退治した麻呂子親王の伝説にちなんでいるようです。ここより先に鬼は入れない目印でしょう。

皇大神社の麻呂子スギ

 もう少し登った先に、今度は苔むした切り株がありました。切り株の断面は中心が朽ちて空洞化し、そこから細いスギの若木が一本出ていました。神道は無窮の生命力を重んじていると教わったことがあります。伊勢の式年遷宮に見られるように、古いものが去って新しいものが生まれるというサイクルの繰り返しにより、昔の姿もしっかりと未来に伝わります。この若いスギの木からも凝縮された生命力を感じました。

皇大神社のスギの若木

 境内に入ると神楽殿かぐらでんがあり、軒下に「月参り講」「朝日講」「神風講社」「丹はし」(丹波路)などの字が書かれた参拝記念、神楽記念の額が飾られていました。外宮の入口にも似た額が掛けられていましたが、これは昔、庶民が伊勢参りをする際に、資金集めのために組んでいた「講」を示しています。神楽にちなんだものでは、天保三年の「太神宮だいじんぐう大々御神楽だいだいおかぐら」、1989(平成元)年に日本民踊研究会が献納した「踊りの輪を人の和に」があり、伊勢信仰と踊りとの強い関わりが垣間見えました。

皇大神社、神楽殿

 外宮と同じ黒木鳥居をくぐった先に、本殿と二棟の脇宮が立っています。

皇大神社、本殿(中央)と脇宮

 こちらの内宮は三殿とも茅葺き屋根で、苔むした境内には老木がたくさん立ち、神聖さを感じる環境です。手前から向かって左側にある脇宮の裏には樹齢二千年という「龍灯の杉」が立っていました。この木は1991年に枯れてしまいましたが、横にその遺伝子を持つ若木が育っていました。参道の途中で見た若いスギと同様の循環を感じました。

 ここでうれしい偶然がありました。私たちが訪れた日に、ちょうど脇宮の葺き替えが行われていて、茅葺き職人が屋根で作業をしていました。「もしかしたら……」と声をかけてみると、美山町みやまちょうの西尾晴夫さんでした。西尾さんも喜んでくださり、脇宮の横に張ったテントで、しばらく茅葺き談義に興じました。私たちはこのようなご縁があるので、いつかきっと茅葺き(もしくは笹葺き?)の仕事をご一緒することになるでしょう。

皇大神社で、脇宮の屋根を葺き替え中の西尾晴夫さん
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 第23回
ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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