ディープ・ニッポン 第24回(最終回)

福井・京都(4)

アレックス・カー

「ディープ・ニッポン」への旅を終えて

 国東半島、青森、小笠原諸島、北海道、徳島、福井、京都と、「ディープ・ニッポン」のテーマを掲げて、私たちは日本の「奥」「裏」を探求してきました。

 ディープすなわち「奥」「裏」の探求とは何かと問われれば、それは大勢が押し寄せるような観光ラッシュの名所ではなく、小さな神社や山里を訪ねて、古来の精神を探ることだと私は答えます。江戸時代の仏師、円空は京都の寺院を避けて北海道をめぐり、芭蕉は奥の細道を歩きました。白洲正子さんは「表」を避け、「裏」を探究して『かくれ里』を書きました。立派な神社仏閣には畏敬の念を抱きますが、鄙びた田舎の神社にはそれとはまた違う幽玄が残り、私に感銘を与えます。

「奥」「裏」の探求には、もう一つの側面があります。現代の一般常識をそのまま受け入れず、もっと前の時代まで遡って、文化や信仰の本来の姿を再発見することです。その道程は、日本文化の見方を変えるほどの大きな冒険となります。

 今回の旅では、国東半島の宇佐神宮から小浜の神宮寺まで、神仏習合の名残と出会い、その土地ならではのバリエーションを見てきました。かつて「神」と「仏」は現在のようにはっきりと定義付けられ、区別され、箱に納められているものではなく、もっと曖昧な存在でした。

 時代が下るにつれ時の政治や経済の情勢とともに、神道と仏教の教義は多様に発展し、社殿建築というハードウエアが栄華を極める中で、ソフトウェアとなる思想もさまざまに深まりました。その深まりの中から異説、疑義、そして場合によってかなり挑発的な宗教論も生まれてきました。

 たとえばその一つに十三世紀、伊勢神宮外宮の禰宜ねぎを世襲した度会わたらい氏が提唱した「伊勢神道」があります。度会氏は、豊受大御神を天御中主神あめのみなかぬしのかみ国常立尊くにのとこたちのみことと比定して、こちらが天地支配の神であり、アマテラスより上位であることを強調しました。その理解が伊勢信仰に深く浸透して、中世の伊勢参拝者は外宮だけを訪れ、内宮をバイパスする人も少なくなかったといわれています。

 さらに、豊受大御神がアマテラスに呼ばれて伊勢に遷座してきた、という従来の説にも異論があります。それによると、豊受大御神は元より伊勢の地付きの神で、大和朝廷の東方発展に伴ってアマテラスが後から伊勢に来た、ということになります。

 通常、伊勢神宮における神の序列を考えると、アマテラスの内宮は豊受大御神の外宮より上にあるととらえられます。神としてのランクが違いますし、神話上の年歴では、内宮が成立した五百年後に豊受大御神が丹後から招かれて外宮ができたこととなっています。そこからいえば、伊勢神道は「裏」の解釈となります。

 伊勢神道ではそれまで仏教側から説かれていた本地垂迹ほんじすいじゃくをも反転させました。仏教の本地垂迹は、日本の神は仏が仮の姿でいるものという解釈ですが、伊勢神道の影響を受けた神道思想家は、神の仮の姿が仏であり、神が仏の上位であると、その序列をくつがえしたのです。この理論は中世から江戸末期にかけて補強されるようになり、神と仏が区別されるにつれて神仏習合の感覚は薄れていきます。そして明治時代に、ついに廃仏毀釈へと発展し、両者は決定的な分裂を起こしてしまいます。伊勢神道が後に現代神道のベースとなった理由がここにあります。

  諸説ある中で、どれが真実かは分かりませんが、少なくとも世間に流通している通りいっぺんの説を鵜呑みにするだけでは、ディープなニッポンには至らないということは理解できます。

 日本では奈良時代から墾田、埋め立て、治山・治水、林業などで、自然に対する人的な制御が進み、明治時代以降、特に二十世紀後半からは大規模な公共工事やスギなどの人工的な植林が、開発に拍車をかけました。それは文明の「表」の面といえるでしょう。

 しかし二十一世紀になり、人口減少の局面に入った現在――さらにいえば人口減少後の未来――では、理念としても、現実的な課題の対処法としても、従来の開発の考え方では対応ができなくなってきています。その時、救いの手として見えてくるのが「奥」「裏」を探る旅で接した光景です。

 たとえば青森・八甲田のブナ二次林は自然環境として中間的なもので、計画的な植林ではないのに人間の介入によってできた新しい自然でした。その後、北海道の過疎地を訪ねた中では、「リワイルディング(開発地を野生に戻す)」という新しい環境共生の考え方を知りました。「奥」「裏」には、昔の姿を見ることと同時に、未来を開く秘密の扉という側面があります。「ディープ・ニッポン」の旅では、そのような扉もさまざまに見ることができました。

 しかし「奥」「裏」の旅の最終的な目標は、いろいろな知識、知恵を積み重ねていくことではなく、もっと単純なところにあります。すなわち、日本の元の姿を見つけて、そこに心を溶け込ませることです。現代的な開発と観光地の人混みという草をかき分け、奥や裏に入り込んでいくと、その先に、おとぎ話に出てくるようなかくれ里があり、水をたたえた棚田、苔に覆われた石、そして神と仏が平和に共存する古刹がたたずんでいます。その光景に遭遇する時には心が弾み、「かたじけなさに 涙こぼるる」――ただそれだけを感じるのです。

(おわり)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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 第23回
ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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