バッシング ~関西発ドキュメンタリーの現場から~ 第1回

記者を「殺す」もの

斉加尚代(さいか・ひさよ)

地方局の報道記者ながら、「あの人の番組なら、全国ネットされたらぜひ観てみたい」と広く期待を担っているテレビドキュメンタリストがいます。昨年2月「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」でその作品『教育と愛国』が上映され、大きな反響を呼んだ毎日放送の斉加尚代ディレクターです。

同局で制作された『沖縄 さまよう木霊』(2017)、『教育と愛国』(2017)、『バッシング』(2018)はいずれもそのクオリティと志の高さを表しています。

さまざまなフェイクやデマについて、直接当事者にあてた取材でその虚実をあぶりだす手法は注目を浴び、その作品群はギャラクシー大賞を受賞し、番組の書籍化がなされるなど、高い評価を得ています。

本連載ではその代表作、『バッシング』について取材の過程を綴りながら、この社会にフェイクやデマ、ヘイトがはびこる背景と記者が活動する中でSNSなどによって攻撃を受ける現状に迫っていきます。

 

 とうとう、ここまで来たのか。ずっとその気配を感じ、ひどく恐れていた濁流が、一瞬にして眼前に迫り、大切なものを破壊してゆく――。そう感じるほど強い衝撃が走りました。

 目にしたのは、米国の首都ワシントンで大統領選を「不正選挙」と盲信し、愛国的な正義感に突き動かされた人びとが、連邦議会議事堂へ雪崩れ込んでゆくテレビの画面。敷地内の階段を上から下まで埋め尽くし、ガラス窓を勢いよく割って内部へと乱入するニュース映像です。その群衆、トランプ大統領を支持する人びとは、彼の演説やTwitterに扇動されて議事堂を一時占拠、その結果、警察官1人を含む5人もの犠牲者を出しました。

 Qアノンと呼ばれる全く根拠のない「陰謀論」をばら撒いて悦に入る男たちが、ペンス副大統領が直前まで着席していた議会の席でアジテーションする映像がその後インターネット上に流れます。戦後、日本に民主主義社会をもたらした米国における、前代未聞と言える事態です。

「群衆が雪崩を打つ」、「人の命まで失われる」、それはまるで、すぐそばの町内で起きた現象に思えるほど、私には身近に迫って感じられました。いや、いや、それは考えすぎ、と思われる方も少なくないでしょう。自分ですら、「えっ、何だろう、この異様な感覚は?」とうろたえました。まるで濁流の泥水に頭まで浸かり、見慣れた街角の風景が瞬く間に暗転し、全く別次元の戦場に立たされた気分。そのせいかしばらく身体が凍り付いて声も出せず、微動だにできませんでした。

 そして、こうした体感は私自身の番組制作における様々な取材経験に根ざしてもたらされているのだと気づきました。

 2021年、新年早々の7日(米国時間6日)の出来事です。日本では、新型コロナウィルスの第三波襲来で、東京都と埼玉など3県に2度目の緊急事態の宣言が出された日でもありました。

 

▽「圧力」というヴェールの向こう側に

 私は、大阪に本社のある毎日放送(MBS)に入社してから30年以上、テレビ報道という職場に身を置いてきました。20代の当時はほんのり憧れを抱くパイオニア世代の先輩記者たちがいて、自由闊達なジャーナリズム精神がみなぎる現場と感じていました。なんとか新聞記者たちに追いついて、いずれ追い越さねばならないというベンチャー気質もまだ少し残っていたと思います。が、SNSが普及するにつれて新聞もテレビも「オールドメディア」と揶揄されるようになりました。

 2015年7月、新安保関連法の強行採決によって国会に嵐が吹き荒れる中、私は報道局のニュース部門から番組制作部門、現ドキュメンタリー報道部に異動になりました。以来、少なくとも年に3本、1時間のドキュメンタリーを専従で作り続けています。

 MBS映像シリーズと呼ばれる毎月1本、最終日曜日の深夜0時50分から関西で放送しているこの番組枠は、1980年にスタートし、戦争や公害、障がい者や部落差別、在日や外国人問題、冤罪、医療や福祉、原発、教育や文化など実に様々な視点から、個性的なディレクターたちが映像作品を輩出してきました。大阪から時代を映し続けてきたと言っても過言ではありません。

 私はその先輩たちの系譜に連なる一人にすぎませんが、いま切迫して感じられるこの社会が抱える問題と「ドキュメンタリーの可能性」について、以下のような作品を製作してきました。

 

◇『なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち』(2015年9月)

 プロデューサー澤田隆三と初めてコンビを組んだ印象深い作品です。「偏向報道」と自民党政治家たちから批判される新聞社に40日間、密着しました。

 

◇『沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素顔』(2017年1月)

 「ニュース女子」というテレビの情報番組内で沖縄デマとヘイトが垂れ流され、放送史に残る汚点と言うべきその内容を検証したものです。

 

◇『教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか』(2017年8月)

 第55回ギャラクシー賞テレビ部門大賞などを受賞した作品で、インパクトのあるインタビューが注目されました。

 

 この3つは、新聞、放送、出版(教科書)をそれぞれ取り上げていることから、「メディア三部作」と評してくださった人もいます。

 そして、この連載でもっとも詳しく報告したいと考えているのが、こちらです。

◇『バッシング~その発信源の背後に何が』(2018年12月)

 

 ニューメディアのSNSの世界と政治の在り方に触れた作品を、あらためて活字にして残しておきたい、それが執筆を奮い立った理由です。

 SNSによる学者や弁護士に対するバッシングに焦点を当てていきますが、2020年、日本学術会議の新会員の任命において6人の学者が排除された後、Twitterでバッシングされたり、デマで業績を貶められたり、中傷されたりする事態を生んだこととも通底します。そもそも、なぜ任命拒否されたのか、なぜ菅義偉総理は説明を拒み続けるのか、決してうやむやにしてはいけない重大な問題と考えています。

 私なりに過去の番組制作のプロセスやディテールを書き残し、さらにはテレビ報道という現場の片隅で喘ぎながらも仕事を続けてきた体験が、メディア史の小さな一片をなすかもしれないと、いつからか考えるようになりました。新型コロナウィルス禍の苦難の時代を生きる私たちにとって「メディア考」の一助になれば望外の喜びです。

 もっと踏み込んで言えば、いまこの社会の中で表現者であるならば避けて通れない、「圧力」というヴェールの向こうのマグマのような政治的エネルギーへの警戒が、上記4作品に共通する土台と言えます。

 30年前、リベラルな論調を掲げていた記者やディレクターたちは、横柄に感じるほど自信に満ちて大きな顔をしていました。ですが、どうも最近は様々な「圧力」に晒されて、支持率の高い政治家らを追及する取材がやりにくくなっているらしいのです。命はとられなくとも「記者として殺される」、そんな物騒な言葉も耳にしました。その現場はデマとヘイトとも隣り合わせです。

 これらをもたらす要因は何なのか。戦後75年以上が経過し、人びとが希求した「民主主義」という仕組みにいくつも穴が開けられ、その壁が少しずつ崩れかけているのではないでしょうか。

 原因はひとつではなく、複合的な危機が重なりあい、深刻とも言えるあらゆる事態を招いていると痛感します。そんな危うい状況を見るにつけ、多くのメディア人が連帯して防波堤にならなければ、「圧力」がさらに増幅し「壊れる」時代を迎えるのではないか、そう危惧しています。読者の皆さんと、現代のメディアについて考える一歩を踏み出せたらと心から願っています。

第2回  
バッシング ~関西発ドキュメンタリーの現場から~

地方局の報道記者ながら、「あの人の番組なら、全国ネットされたらぜひ観てみたい」と広く期待を担っているテレビドキュメンタリストがいます。昨年2月「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」でその作品『教育と愛国』が上映され、大きな反響を呼んだ毎日放送の斉加尚代ディレクターです。 同局で制作された『沖縄 さまよう木霊』(2017)、『教育と愛国』(2017)、『バッシング』(2018)はいずれもそのクオリティと志の高さを表しています。 さまざまなフェイクやデマについて、直接当事者にあてた取材でその虚実をあぶりだす手法は注目を浴び、その作品群はギャラクシー大賞を受賞し、番組の書籍化がなされるなど、高い評価を得ています。 本連載ではその代表作、『バッシング』について取材の過程を綴りながら、この社会にフェイクやデマ、ヘイトがはびこる背景と記者が活動する中でSNSなどによって攻撃を受ける現状に迫っていきます。

プロフィール

斉加尚代(さいか・ひさよ)

1987年毎日放送入社。報道記者などを経て2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。企画・担当した主な番組に、『映像'15 なぜペンをとるのか──沖縄の新聞記者たち』(2015年9月)、『映像'17 沖縄 さまよう木霊──基地反対運動の素顔』(2017年1月、平成29年民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞ほか)、『映像'18バッシング──その発信源の背後に何が』(2018年12月)など。『映像'17教育と愛国──教科書でいま何が起きているのか』(2017年7月)は第55回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞。また個人として「放送ウーマン賞2018」を受賞。

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記者を「殺す」もの