バッシング ~関西発ドキュメンタリーの現場から~ 第6回(最終回)

「余命三年時事日記」のブログ主を直撃

斉加尚代(さいか・ひさよ)

地方局の報道記者ながら、「あの人の番組なら、全国ネットされたらぜひ観てみたい」と広く期待を担っているテレビドキュメンタリストがいます。毎日放送の斉加尚代ディレクターです。同局で制作された『沖縄 さまよう木霊』(2017)、『教育と愛国』(2017)、『バッシング』(2018)はいずれもそのクオリティと志の高さを表しています。
本連載ではその代表作『バッシング』について取材の過程を綴りながら、この社会にフェイクやデマ、ヘイトがはびこる背景、そして記者が活動する中でSNSなどによって攻撃を受ける現状に迫っていきます。

 

弁護士に懲戒請求を申し立てた人に直撃

 80代の男性は、余命ブログに5万円の寄付をし、書類の詰め込み作業も交通費を自己負担して大阪から関東まで出向いて手伝ったと話しました。

 1回目の訪問時、「あんたの会社も在日に乗っ取られている。あんたが知らんだけや!」と断言するのでたいへん驚き、再度、事情を聞きに訪問しました。この男性が歴史をどのように捉えているかに関心があったのです。2回目のやりとりの一部をここに記します。

 

 「ごめんください」。インターフォンが見つからないため、私が声を張り上げて木造の玄関扉をどんどん叩くと、しばらくして奥から背が高く細身の高齢男性が姿を見せます。背後に見える部屋は電灯がほんのり光り、静まり返っているようです。

 

──こんばんは、この前、お邪魔した斉加なんですけど、この前にお話を聞いた……。

 「あ、斉加さん?」

──その後、ちょっと勉強したんですけど、おっしゃっていたブログとかを見て、これって見ていらしたのと同じ本ですか(『余命三年時事日記 外患誘致罪』(青林堂、2016年)を見せる)。

 「そうそう、それは読んでないけれど、同じのはブログで読んでる」

──いまも運動は続いているんですか。

 「と思いますけど、ちょっと読んでないんですけど10日ほどは。だけど、集団訴訟にはなっているんじゃないの、いま」

──私も、けっこうびっくりすること書いてあって。

 「そうでしょう」

──私もメディアの人間なので。たとえば『多くのメディアは、半ば在日に乗っ取られた状態にあるので、在日や民主党にとって都合の悪い情報などは、日本国民の目には触れないように遮断されていたのだ』って書いてあって、けっこう衝撃を受けたんですけど。

 「それ、その前に、『余命三年時事日記』というのが、1、2、3と出てますよね。それをお読みになったらわかるわ。アマゾンでもどこでもすぐ手に入るから」

 

 雑談を少ししていると、男性が名刺を差し出してくれました。

 

 「僕はもう仕事はしてませんから、いまはもう神様ごとばっかし」

──これは、神様のお仕事なんですか。

 「そうそう」

──この本に書いてある、弁護士会が在日韓国・朝鮮人に乗っ取られているというのは事実だと思われますか。

 「もちろん、そう。その証拠も全部あるから、そんなのは。だって毎日さんもね、そのお先棒を担いでいるわけだから」

──あの……、弊社で言うと、在日の方、社員の中ではごく少数なんですけど。

 「いや、あのね。学会さんがかんでいるでしょう。だから学会さんで広告だとか新聞を刷っているじゃない、あなた方」

──学会というのは、創価学会ですか?

 「そう、その系統は在日多いんですよ。だから憲法改正をいうと、もうああなるでしょう。学会さんはね」

──学会は(憲法改正に)反対してらっしゃいますよね。

 「そういうのは、やはり影響が非常に強いんですよ。韓国人は、向こうでも影響力あるしね。だから憲法も乗っ取られている可能性が高いんです」

──メディアは、私がいるからですが、在日の人が多数とは思えなくて。私も名前から「在日やろ」と言われたことありますけど……。

 「いや、そんなの下の人は別として、上のほうの問題で、広告とかで支えられてるわけだから」

 

 男性に「在日コリアン弁護士と一度、会ってみませんか」と水を向けてみました。大阪弁護士会の金英哲弁護士が「懲戒請求を申し立てた人と直接、話がしてみたい」と取材時に述べていたのを思い出したのです。

 金弁護士が子どもを通わす朝鮮初級学校では当時、校舎の補修工事の予算がなくてガラス窓の一部が割れたまま。ソンセンニム(先生)たちは薄給で頑張り、家計がのしかかる年齢になると働き続けるのが困難だと話す人もいます。自分たちを敵視する人たちと対話の道を探りたい、金弁護士はそう話していましたが……。

 

 「対話はできないですよ。知らないフリをして、裏では活動しているから。朝鮮戦争が終結したら、この人ら日本にいる理由がなくなるんです。アメリカから押し付けられたわけだから。戦前からいる一握りの人は別よ。他はもう終戦になるまで預かりますと。アメリカに押し付けられた。南北調印したら、この人ら日本にいる理由がなくなる。帰ってもらうのが日本の立場なんですよ、法的な。だって戦争避難民として預かっているわけだから。だから必死なんですよ、彼らは。あなたたちメディアがいくらこういう連中とキャンペーンを張られても、日本の国民の動きはもう変わらないです。もうネットというのはすごいからね。若い子とか知ってるわけですよ。新聞を見なくてもね」

──インターネットの中はデマとかウソ情報も多いですが。

 「選択できますやん、いろんな意見が。これは程度が悪いとか、これは面白いとか。いやあもう、ネットのおかげですよ、さまさまですよ」

 

 いま、日本国籍の在日コリアンが少なくありません。ミックスルーツの子どもも大勢います。朝鮮籍や韓国籍であったとしても、日本に納税する永住外国人です。「帰ってもらうのが日本の法的立場」という主張は、男性の誤信にすぎません。しかし、もっともらしく聞こえるネット言説が広がり、在日の人たちに対し「祖国へ帰れ」と心ない言葉をぶつける人が後を絶たないのです。

 

花田紀凱編集長「毎日じゃダメなんだ」

 自民党支持層をターゲットにする保守系論壇誌は、産経新聞社が発行する『正論』をはじめ、いくつかありますが、飛鳥新社(東京都千代田区)が2016年4月に創刊した『月刊Hanada』は、凄腕と称される花田紀凱編集長が率いています。『週刊文春』の編集長として名をはせた時代から、いまも「売れる」雑誌を作ることにかけては「伝説の編集長」だそうです。その雑誌は与党政治家や愛国主義的な政治ジャーナリストらを執筆陣に迎え、センセーショナルな見出しが躍っています。

 暴言で物議をかもす杉田議員については「杉田議員をメディアがリンチしている」と花田氏自身、全面擁護する立場です。当初の取材プランにはなかったパートですが、放送日まで1か月となっていた11月、その花田編集長に取材を申し込みました。

 取材へ気持ちが動いたのは、あるトークイベントがきっかけでした。「緊急開催!『新潮45』休刊から考える ノンフィクションと現代ジャーナリズム」と題したイベントが11月1日、大阪市内で催され、ノンフィクションライターの松本創さんと西岡研介さん、そしてスマートニュース メディア研究所の瀬尾傑さんの3人がトークを繰り広げる中、『月刊Hanada』12月号が話題になりました。『新潮45』の休刊をめぐる問題を大々的に取り上げ、花田編集長の「商才」は健在だと評する意見を耳にします。

 『新潮45』については、科研費をめぐる牟田和恵教授へのバッシングに絡んで、すでに述べた通りです。性的少数者の人たちに対し「生産性がない」と差別的言説を含んだ杉田議員の論考を掲載し、その後も杉田議員の主張を擁護する論陣を張ったため、著名な作家などから批判が相次ぐ事態を招き、新潮社は『新潮45』の休刊を決めたのです。事実上の廃刊でした。

 なぜ『新潮45』の休刊について大展開することにしたのか、編集方針とその反響をインタビューしたいと『月刊Hanada』編集部宛にFAXすると、すぐに花田氏本人から電話が返ってきました。「取材を受けます。いつがいい?」。さすが、伝説の編集長、快諾でした。

 飛鳥新社を訪問し、初めて会った花田編集長は、確かにざっくばらんで豪快さを感じさせる人物。私は、素朴な疑問からぶつけました。なぜ、安倍政権支持の論調ばかりなのか。

 

 「『月刊Hanada』はね、安倍ベッタリだと、安倍さんのいいことしか書かないと言うんですけれど、悪いことは新聞、朝日をはじめとする新聞が山と書いているわけ。そうすると、たとえば『月刊Hanada』のような雑誌がなければ、安倍さんのいい点というのは知る術がないわけじゃない」

 

 しかし、政権のいい点を褒めちぎるだけでなく、政権に厳しい論陣を張るメディアには、「反日」という表現を使って激しく批判します。とりわけ、朝日新聞への批判をふんだんに書いて「反日」の代表格として扱う姿勢が目立っています。そのこだわりについても聞きました。

 

 「朝日とつけたほうが、同じ新聞批判でも読者に対するアピール度は強いでしょうね。ぼくも何十年と批判してきてですね、あまり変わらないから、最近でこそ部数が落ちてきたからね、あれですけど、うんざりするところもあるんですけれど、まだまだ朝日に対する信頼感とか読者のね、高いからね。朝日を新聞代表として、批判していくことは必要だと思いますね」

 

 『新潮45』の休刊を取り上げた12月号も激しく「朝日新聞批判」を展開していました。新潮社の姿勢に矛先を向けるべきテーマなのに、見出しにもなぜか朝日の文字。「朝日と連動して言論の自由を潰した新潮社」とあり、両社が結託したと言わんばかりです。民主主義を維持する根幹である言論の自由を、雑誌を潰すことで破壊したと痛烈に非難し、小見出しは「朝日記者の“指示”か」となっていました。

 記事内の対談における花田編集長の主張は、「杉田論文を最初に問題視した」のは朝日新聞で、その朝日が新潮社の編集者たちと連動して、『新潮45』の廃刊の流れを作った、というものでした。

 この『月刊Hanada』の記事を読んだ時、私は、あれ?と違和感を覚えます。杉田論文の問題点を最初に報道したのは、毎日新聞と記憶していたからです。毎日新聞と朝日新聞の広報にそれぞれ電話をかけて取材、ネット記事の配信日と紙面の掲載日を確認しました。

 『バッシング』のナレーションでは、次のように説明しました。

 

 「当時の新聞記事を調べてみた。朝日が『新潮45』の『杉田論文』の問題をはじめて記事でネット配信したのは7月23日、紙面掲載はその翌日だった。ところが毎日新聞は、それより2日早くこの問題を記事にしていた。最初に問題視したのは、朝日新聞ではなく毎日新聞だった。このことを花田編集長に聞いてみた」

 

 その花田編集長は、次のようにあっさり認めます。

 「そうなんだよね。でも毎日新聞は弱いですよね。部数も圧倒的に少ないし。そうですね。それはおっしゃる通りです」

──最初に問題視したのは、朝日ではなくて毎日では?

 「毎日だと。まあ、そうかもな。毎日じゃ売れないと。やっぱり毎日新聞じゃダメなんだよ。朝日新聞じゃなきゃ」

 

 花田編集長の語りは終始軽やかで、これらは保守論壇界における「商才」なのでしょう。事実と違うことに関し、反省はないように見えます。「毎日じゃダメなんだ。朝日じゃなきゃ」。花田氏のこの率直すぎるフレーズは、私が大学のメディア論の講義で『バッシング』を上映すると、学生の何人かが「売るために事実を歪めていいのか」「衝撃を受けた」と感想を寄せてきます。「事実」より「ウケ」を優先する編集長の価値観に驚愕するようです。

 

編集開始日が迫るも空振り続き

 『映像』シリーズの放送は、毎月の最終日曜日の深夜0時50分からとなっています。編成上の都合でさらに遅いスタート時間になる月もあります。なぜ、こんなにも深夜なのか、もっと見やすい時間帯に放送してほしい、視聴者からの要望は繰り返し寄せられます。けれどドキュメンタリーは「視聴率が取れない」という理由でどんどん深夜に追いやられているのが現状です。それでも毎月、「1時間の枠」があることは民放では稀有なことで、MBS報道局に伝統的に受け継がれた柱のひとつと言えます。

 話を『バッシング』に戻すと、12月は年末特番などが入って放送しない年もあり、また放送日が早まるケースもあります。私は当初、1月末の放送枠を想定し、取材を組んでいました。大阪大学の牟田教授の提訴が12月から1月にずれ込む見通しになったこともあり、その他の困難な取材も年内にかけてなんとかなる、そう自身を鼓舞していました。

 ところが組織というのは個人の意向を汲んでくれるとは限りません。「放送日は12月16日に決まったから」。番組プロデューサー奥田雅治からさらっと告げられた時は、顔がひきつって青ざめました。1週早まるならまだしも、2週も早い放送日なんて。相談もなく決まったことは、苦い記憶のひとつです。編成からの連絡事項がディレクターに共有されていなかったことも一因でした。

 想定よりぐんと早まった放送日。番組を完成させられるだろうか。当時は、楽観的な性分の私には珍しく、胃がキリキリ痛んで食欲もなくなる日が続きます。

 とりわけ余命ブログ主宰者の取材は必須と考え、何度も集合住宅に出向きました。道路を挟んだ向かいのコンビニエンスストアで雑誌を手に時間を潰したり、少し離れた公園の日陰で過ごした後、再び集合住宅の部屋を確認しに行く、といった行動を繰り返しました。目立たないよう会話もせず、私とカメラマン、助手の3人がそれぞれ離れた位置で注意を払って時間が経過するのを待ちますが、しだいに周囲の視線が気になります。こういう取材は、ひたすら辛抱するしかありません。忍耐力が求められます。

 不意に、この住宅群は別の取材で以前来たことがあると思い出します。『教育と愛国』で取材した、右派から標的にされて倒産した日本書籍の元編集者の池田剛さんの自宅が、まったく同じ集合住宅群内だったのです。同じ棟ではありませんが、歩いて3分ほどの近さです。この偶然には驚かされました。なんとなく近いような気がする、と確認してみたら、そばだったのです。

 そうこうするうち、これが最後の東京取材という日を迎えます。再びその集合住宅のブログ主宰者の部屋の前に立った時は祈るような気持ちでした。しかし、インターフォンを何度押しても静まり返り、やはり誰もいないようです。ひたすら待っていても、ただ時間が虚しく流れてゆくだけ。夜になっても成果を得られず、もう時間切れと諦めた時は、無言でうなだれました。

 仕方なく大阪に戻りました。翌日から電話取材に切り替えるしかありません。残りの時間はわずかです。編集作業の開始日が5日後に迫ります。本来ならばとっくに取材をすべて終え、映像のプレビューに専念すべき時なのに何やってるんだ! 自分で自分を責め立てて、胃だけでなく肩や首など体のあちこちにひどい痛みを感じ、頭痛も絶えない状態になっていました。テーブルにテレフォンピックアップの機材をセットして深呼吸をしていざ、電話取材を試みます。

 ブログ主宰者と思われる人物の携帯電話番号は、ネット検索で見つけました。余命ブログの書籍を販売する通販サイトの開設者情報を暴露するページがあったのです。仲間割れしたメンバーが晒しているようです。しかし、その携帯番号が本当にブログ主宰者本人のものかどうかはわかりません。つながらないことには確認すらできません。通話音だけが虚しく響きます。この日は、ずっと空振りです。

 

ブログ主に直撃

 翌日、祈るような気持ちで電話をかけるも空振り。ああ、もうダメか、もう電話も取らなくなっているのだろうか。しばらく時間をおいて、半ば期待せず、もう一度、諦めかけながらコールしていたその時、主宰者の男性とつながったのです。これは奇跡と思えた瞬間、南埜カメラマンとお互いに心の中で「よっしゃ」と叫びます。取材は高揚感に包まれていきました。

──もしもし、こちらのお電話は生きがいクラブの◯◯さんでしょうか?

 「そうですよ」

 彼はすぐに自分が『余命三年時事日記』のブログ主宰者であることを認めました。■

 

※本連載は今回で終了です。この続きは斉加尚代著『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』に収録されて集英社新書から4月15日に発売となりますので、ご期待ください。

 第5回
バッシング ~関西発ドキュメンタリーの現場から~

地方局の報道記者ながら、「あの人の番組なら、全国ネットされたらぜひ観てみたい」と広く期待を担っているテレビドキュメンタリストがいます。昨年2月「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」でその作品『教育と愛国』が上映され、大きな反響を呼んだ毎日放送の斉加尚代ディレクターです。 同局で制作された『沖縄 さまよう木霊』(2017)、『教育と愛国』(2017)、『バッシング』(2018)はいずれもそのクオリティと志の高さを表しています。 さまざまなフェイクやデマについて、直接当事者にあてた取材でその虚実をあぶりだす手法は注目を浴び、その作品群はギャラクシー大賞を受賞し、番組の書籍化がなされるなど、高い評価を得ています。 本連載ではその代表作、『バッシング』について取材の過程を綴りながら、この社会にフェイクやデマ、ヘイトがはびこる背景と記者が活動する中でSNSなどによって攻撃を受ける現状に迫っていきます。

プロフィール

斉加尚代(さいか・ひさよ)

1987年毎日放送入社。報道記者などを経て2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。企画・担当した主な番組に、『映像'15 なぜペンをとるのか──沖縄の新聞記者たち』(2015年9月)、『映像'17 沖縄 さまよう木霊──基地反対運動の素顔』(2017年1月、平成29年民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞ほか)、『映像'18バッシング──その発信源の背後に何が』(2018年12月)など。『映像'17教育と愛国──教科書でいま何が起きているのか』(2017年7月)は第55回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞。また個人として「放送ウーマン賞2018」を受賞。

 
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