環境のカナリア 第1回

海水温の上昇で4500尾の養殖サバが死滅。福井県・小浜市で何が起こっているのか?

歌代幸子

牧師から、モノづくりの現場へ

 サバといえば、焼き魚や味噌煮など家庭の食卓でも親しまれてきた魚である。その一方で、養殖技術の進歩によってブランド化が進んでいるという。

 日本各地では、これまで様々な「ブランド養殖サバ」が生まれていた。佐賀の「唐津Qサバ」、長崎の「長崎ハーブ鯖」、兵庫の「防勢サバ」、伊豆の「伊豆海サバ」など西日本を中心に、北陸では福井の「小浜よっぱらいサバ」が知られてきた。

 そうして市場が拡大する一方で、近年はブランド養殖サバが苦境に立たされているといわれる。主な要因としては、サバの漁獲量が著しく下がっているため、天然種苗(サバの稚魚)の供給不足がある。全国的なサバの漁獲量は、2021年から2022年の1年間で43%の減少率を記録した。

 さらにもう一つの大きな要因が、急激な海水温の上昇にある。「水温や食環境の変動に伴って移動するという方向に進化した回遊魚であるサバは、極めて水温変化(特に高温)に弱い」と横山さん。温暖化によって水温が毎年上昇するなか、生産者としていち早く警鐘を鳴らしてきた。

「小浜よっぱらいサバ」の惨状を伝えることは、風評被害につながるかもしれない。漁業の現場から声を発することは勇気のいることだった。それでも「このままでは、近い将来には魚が食卓に上がらなくなる」と憂えた横山さんに、目の前で起こっていることを伝えないという選択肢はなかった。「他の仲間たちと比べて、僕は失うものが小さいからかもしれない」と苦笑する。

 横山さんが身ひとつで小浜へ移住し、サバの養殖を始めたのは2016年。それまで漁業とは無縁で何の経験もなかったという。歩んできた道は異色だった。

好きな漫画は『築地魚河岸三代目』。「でも、まさか自分が長靴を履いて、魚を扱うようになるとは思わなかった」と横山さん。

 大阪で生まれ、生保マンの父の転勤で大分、山口、福岡、愛知と移り住んだ。読書が好きで、歴史や天文学、地学など本の世界へ夢中で浸り込んでいた少年時代。中学のとき、クリスチャンの友だちに誘われて、初めて教会を訪れた。居心地が良くて、キリスト教を通して人類の文明の歴史への興味が広がっていく。高2のときに洗礼を受けた。

「僕は牧師になりたいと。これを生涯の仕事にしたいなと思うようになったんです」

 大阪基督教短期大学で4年制の神学科へ入学。学生時代から大阪の教会が運営するボランティアセンターに関わっていく。脳性麻痺など障害を持つ人が自立して暮らしていくための支援に携わり、泊まり込みで介護を担っていた。

 卒業後はボランティアセンターの職員を経て、聖職者への道を歩み始めた。

「今までの人生でいろいろやってきましたが、牧師としての仕事がいちばん精神的に辛かったですね」と、横山さんは顧みる。

 牧師になるためには、伝道師として3年間の見習いを務める。その後、試験があって、論文を書かなければいけない。横山さんは、大阪からさらに東京の町田市にある福音キリスト教会で伝道師を務め、牧師に昇格。教会に住み込んで、礼拝や聖餐式のミサ、信徒のための集会など、念願だった布教活動に励んだ。

「教会の中に住んでいると、ヤクザから足を洗いたいという人が夜中に突然訪ねてきたり、夫のDVを逃れてきた女性が一人で駆け込んできたり、いろんな事情を抱えた人たちが助けを求めてこられる。『おまわりさんのところへ行かはった?』と聞いても、『いや、警察へ行っても……』と。行き場がない人たちに、ただ話を聞くしかできなかったんです。相手の方をしっかり思いやれているだろうか。愛情が無ければ、何を言っても言葉は宙に浮いてしまうこともわかる。自分には何もできていないことが辛かった。僕はまだ若かったから、いろんな人の人生を背負うことは身に余ってしまう。自分の器をはるかに超えていたんです」

 聖職を離れる決意をしたのは30歳のとき。尼崎で精密機械加工の工場を営む叔父から、「ちゃんと飯は食えてるのか?」と声をかけられた。

 それまで1年ほど思い悩んで、教会の人たちにも相談していたのだった。他の世界を見てみたいという気持ちもつのる。叔父の言葉でついに転職を思い立った。

 尼崎は技術力が高く、叔父の会社では受注先を、医療分野でも先端的な事業に集中させていた。横山さんは営業職で入り、ものづくりの現場を学ばされる。そこで顕微鏡部門に携わることになり、自分も独学で幾何光学の設計に取り組むと、顕微鏡を作り始めた。

 顕微鏡の仕事が軌道に乗るなか、2001年には経済産業省の研究開発費に応募する話が舞い込んだ。当時、叔父と一緒に研究していたのは、顕微鏡に静電気の技術を組み合わせ、食品の製造・流通現場で衛生指標となるバクテリア(細菌)を検査する装置だった。横山さんが申請書を書いて3460万円を獲得し、本格的に開発に取り組んだ。

「大きな転機になったのです。開発の段階から、検査装置ができると、バクテリアや微生物を研究している先生のところへ行って、『ちょっと使ってみてほしい』と意見をもらう。すると今度は微生物や細胞の研究の方がどんどん面白くなってきた。顕微鏡が順調に売れている最中だったのに、『新しい会社をやりたい!』と。僕自身も生物工学をやりたいと思い始めたのです」

 大阪大学のポスドクの青年と二人でバイオ関連の会社を起業。医療機器メーカーなどから依頼を受けて、研究支援に携わる。その頃、横山さんも阪大の研究室に招かれ、博士号を取ることを勧められた。

 当時すでに7件の特許を取得しており、現場での実績が認められた横山さんは、徳島大学の大学院へ進学。生物工学で博士課程後期を修了した。また大阪へ戻り、地元のベンチャー企業の支援に取り組んでいた矢先、福井県の小浜市へ行く話が持ち上がる。

「酒粕をエサに混ぜて、サバを育てる事業を始めているというので、『良かったら一緒に行かないか』と声をかけられました。酒粕といえば、日本酒を醸す酵母が欠かせない。日本の生物工学は発酵と結びついています。僕も酵母を研究対象として扱っていたので、すごく興味を惹かれました。当時は小浜市もまだプランしかなく、僕は初めてのオブザーバーのはずが、会議の席でいっぱい発言しちゃったんです。『これ、やりましょう!』と」

 それが「ブランド養殖サバ」との出会いだった。横山さんは人生の岐路に立ち、水産業の現場へ飛び込むことを決断。大阪の会社を仲間に任せ、家族とも離れて、一人で移住することを決めた。かつて経験のない水産業の世界へ入ることに惑いはなかったが、「まさか自分が長靴を履いて、魚を扱うようになるとは思わなかった。しかもド素人で……」。

 40代半ばにして、人生を変える転身だった。

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プロフィール

歌代幸子

(うたしろ ゆきこ)

ノンフィクション作家。1964年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社の編集者を経て、独立。『AERA』『婦人公論』『プレジデントウーマン』などで、スポーツ、人物ノンフィクション、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。
著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』『100歳の秘訣』(新潮社)、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室)、『慶應幼稚舎の流儀』(平凡社)、『鏡の中のいわさきちひろ』(中央公論新社』など。

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