環境のカナリア 第1回

海水温の上昇で4500尾の養殖サバが死滅。福井県・小浜市で何が起こっているのか?

歌代幸子

よっぱらいサバで町おこし

 そもそも、小浜とサバはいかなる関わりがあるのだろうか。

 若狭の歴史をたどると、古代から「御食国(みけつくに)」として、塩や海産物など豊かな食材を京都へ運び、都の食文化を支えてきた地とされる。この地でサバが多く獲れるようになったのは、江戸時代からという。

「江戸時代の中頃まで日本列島は寒冷だったのですが、気候の変動があって、ある程度暖かくなり、サバも回遊ルートを変えて若狭の辺りで獲れるようになったのです。サバは弱い魚なので、網で獲るより、釣りで獲る方がいいと漁師さんはわかっていた。若狭では漁火を焚いて一本釣りでサバを獲る漁法を用い、京都へ運ぶために保存や運搬の技術も発展していきました」

 小浜は京から最も近い港の一つとして栄え、南北に70数キロの最短ルートがあった。「鯖街道」と呼ばれ、「京は遠ても十八里」という言葉に往時がしのばれる。若狭湾で朝獲れた魚にひと塩すると、一昼夜かけて京都に着く頃にはほどよい塩加減になり、「若狭もの」と重宝されることに。「鯖寿司」や「鯖のなれずし」など、若狭のサバを使った名産品が生まれた。

 さらに明治時代には技術革新が起こり、サバの漁獲量が一気に伸びた。巻網船と呼ばれる漁船が数艇で出港し、夜中に沖合で巻き網を仕掛ける。水中灯で照らすと、サバが寄って来るので大量に獲れるようになったのだ。

「戦後は冷蔵や冷凍技術が進み、魚の消費も伸びていく中で漁獲が増えていった。ところが、1950年代以降からは水産資源が減っていくんじゃないかと危惧されるようになりました。70年代にサバの漁獲はピークに達し、そこからどんどん獲れなくなっていきます。平成元年には若狭湾で巻き網船団が解散され、漁業の担い手も減っていく。2000年代初頭になると、日本近海のサバは絶滅じゃないかといわれるほどでした」

 当時、水産庁がサバの漁獲量を規制したこともあったが、4年ほどでまたピーク時の半量ほどまで復活。全国的にサバを獲るようになった。しかし、若狭湾では漁業者がやめてしまい、かつては年12000トンの漁獲高を誇っていたが、60トンほどに落ち込んでいた。

 その若狭で、再びサバが注目されることになったのは2015年。鯖街道が「日本遺産第一号」に認定されたことがきっかけだった。

「サバで町おこしをすることになり、新たなプロジェクトが発足した。それが小浜のサバ養殖の始まりなのです」

 横山さんが移住したのは、小浜市の田烏という集落。サバ漁全盛期の頃は県下でも3分の一を占めるほどの港町だった。往時は釣り人が訪れる民宿も80軒とにぎわっていたが、今は5軒まで減った。小学校も廃校になり、約120世帯ほどの集落に。「他県からの移住者は百数十年ぶり!」と歓迎された横山さんは、築120年ほどの古民家を借りて、集落の住人になった。

中世以来、塩業が盛んに行われ、江戸期以降はサバ漁で栄えた地。入り組んだ路地が連なる集落には、ゆかりある遺跡や神社が点在する。
水深8メートルのところに設置された筏。5メートルの深さに仕掛けた網でサバの稚魚を育てている。

 2016年からスタートしたサバの養殖プロジェクト。当初のプランは、鯖街道で結ばれていた京都が酒どころだから、そこで醸された酒粕をエサに混ぜてサバを育てたら、ドラマ性もあって面白いのでは、という発想から始まったという。

 だが、横山さんには、サバは肉食なので、酒粕の糖分を代謝するメカニズムが弱いのではないかという疑問があった。そこで福井県立大学の海洋生物の研究者たちと、その検証から取り組んだ。

「まずは陸上水槽でサバの赤ちゃんに酒粕を混ぜたエサをやってみることから始めました。うちがいただいていたのは、京都の老舗酒蔵の純米大吟醸酒の酒粕だったので、フルーティで良い香りがするんです。それを食べさせると、小さな魚にはエサの風味が移り、その香りを身から放つので爽やかな香りにつながる。与えるエサは、ビタミンやカルシウム、タウリンなど栄養バランスを計算して開発しています。天然ものは鮮度落ちが早いけれど、エサで育てた魚は身が健康なので鮮度落ちが遅く、天然のサバより品質も高いのです」

 回遊魚のサバは速く移動するため、鱗が薄くてデリケートな筋肉組成になっているので、傷みやすい。巻き網で漁獲したものはその時点で死ぬものが多く、鮮度落ちが早い。そのため焼き魚や煮魚、しめ鯖など加工して食べることになる。

 一方、養殖したサバは水揚げをしたときにしっかり活け締めをして血抜きをする。それを10℃以下で温度管理することで鮮度落ちが遅くなり、食中毒のリスクも抑えられる。さらに独自の保存技術によって鮮度が保たれ、身も引き締まるので、刺身として美味しく味わえるのだ。

 小浜市の養殖プロジェクトは田烏漁港の防潮堤の内側に生簀をつくり、天然のサバの稚魚を漁獲して大きく育てる養殖に乗り出した。こうして誕生したブランド養殖サバは「小浜よっぱらいサバ」と命名。刺身で食べられるサバとして、新たな若狭の名産品として期待された。2019年には田烏水産をスタートし、水揚げは年間4万トンほどまで伸びていた。

 だが、その未来は早くも予測できない状況になっていく。

 2020年8月、生簀で飼っていた7000尾のうち、約4500尾が死滅。さらに2023年には約3190尾が息絶えたのだ。

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プロフィール

歌代幸子

(うたしろ ゆきこ)

ノンフィクション作家。1964年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社の編集者を経て、独立。『AERA』『婦人公論』『プレジデントウーマン』などで、スポーツ、人物ノンフィクション、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。
著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』『100歳の秘訣』(新潮社)、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室)、『慶應幼稚舎の流儀』(平凡社)、『鏡の中のいわさきちひろ』(中央公論新社』など。

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