環境のカナリア 第1回

海水温の上昇で4500尾の養殖サバが死滅。福井県・小浜市で何が起こっているのか?

歌代幸子

サバの完全養殖でイノベーションに挑む

「自分はいったい何をしているんだろうと虚しかった。生き物がただただ無為に死んでいくわけですから。僕らに感謝されて食われても、サバはうれしくないやろうけど、せめて人間の命につながるような最後を迎えさせてやりたいと思ったのです」

 海水温の急激な上昇が、手塩にかけたサバを死に至らせる。それは若狭湾に限らず、瀬戸内海や九州など各地のサバ養殖場からも、漁獲量が減っているという深刻な状況が伝わってくるようになった。

 温暖化による異変がエスカレートするなか、横山さんが活路を求めたのは「完全養殖」だった。現状を突破するには、「漁獲された天然魚を種苗として養殖する従来モデルは、もはや持続不可能ではないか?」と考えたのだ。

 小浜で行っているのは、天然の稚魚(または成魚)を漁獲して大きく育てる「畜養」だった。育った魚を売ってしまえば、新たに種苗となる魚を獲るので、水産資源は減り続けることになる。一方、「完全養殖」では、親魚から産まれた卵を孵化させ、稚魚から育て、また卵を産ませて世代をつないでいく。そのため水産資源を減らさず、持続的な水産業を実現することができる。SDGsの目標実現に向けて、世界では急速に完全養殖化が進んでいるという。

 横山さんは、「獲る漁業から、守り育てる漁業へ」と変えていくため、マサバの完全養殖の実用化へと動き出す。

 それが、サバの完全養殖実用化研究「さばイバル・プロジェクト」への挑戦だった。

「僕も科学に携わってきた人間の端くれなので、温暖化がどんどん進行していることは認識していたけれど、ここまで急激に来たかというのは衝撃だった。日本の水産業はかつてない危機を迎えています。この危機を乗り越え、未来を拓くには、産官学の壁を超えた連携によるイノベーションが必要。そのためにはまず、資金を調達して管理し、運営していく民間の研究プラットホームをつくることを目指しました」

 かつて大阪ではものづくりの事業を起こし、数々の研究支援を行ってきた。その経験が思いがけず、ここで活かされていく。

 2023年12月、横山さんは「わかさかな」という新会社を設立した。サバ養殖業を営む田烏水産、福井県水産試験場、そして福井県大学海洋生物資源学部の研究者たちが一丸となって、研究チームを結成。さらに、県外の研究機関である、国立研究開発法人水産教育・研究機構、国立大学法人東京海洋大学、KDDI株式会社も協力を表明。マーケットの側からは、株式会社雨風太陽(ポケットマルシェ)、地元小浜市や京都の観光施設や飲食店なども協力している。マサバの完全養殖に向けて始動したのである。

田烏水産のメンバーは4人。サバ漁の経験豊富なベテランに、漁連の職員だった青年が加わり、頼もしいチームになった。
春に産卵された稚魚は陸の生簀で少し育ててから、筏の網に放つ。今は2年がかりで成長を見守っている。

 毎日、横山さんが起床するのは早朝3時半。サバに与えるエサに酒粕を混ぜて、仕込みをする。朝8時、田烏漁港に集い、漁船に乗り込んだのは田烏水産のメンバーだ。現場の作業は、水産試験場で調査船の船長をしていた柴野富士夫さん、かつて巻き網船に乗っていて、民宿を営む浜家直澄さんのベテラン2人、そして元福井県漁連職員だった20代の矢野佑樹さんと、4人で担っている。

 船で向かったのは、沖合にある水深8メートルの筏だ。水深が深くなると水温も1℃は下がる。ここに、波が来ても柔軟性があり、魚たちにストレスがかからないような堅牢な筏をつくり、マサバの稚魚を育てている。まずはエサの種類や筏の位置の違いによって、生育がいかに変わるのかを調査していた。エサを与えると、勢いよく食いついてくるもの、おっとりと寄ってくるもの、それぞれ性格も違うといい、一尾ずつ様子を丹念に観察していく。

 2024年度からの5ヶ年計画で、卵から孵化させて育てる完全養殖の実用化を目指す。その先に横山さんたちはどのような未来を見据えているのだろうか。

「最初だけ父と母になる親魚を獲るけれど、あとは漁獲しないので、天然の魚に負荷をかけない水産業を実現できるだろう。そしてもう一つは、卵が産まれてから人間がずっと世話をできるので、赤ちゃんの頃から責任をもってしっかり育てられること。命を無駄にしないためには、いかにフィジカルを強くするかがテーマ。暑さに強い魚をつくっていくことを目指します」

 温暖化による影響は、若狭湾でも様々な魚介類に及んでいる。ワカメは貧栄養化が進んで色づきが悪くなっている。名産だったサザエやアワビ、岩ガキも漁獲が減っており、その活路として完全養殖に移行してきた。

 若狭湾の漁場の中でサバの養殖を手がけているのは、「小浜よっぱらいサバ」を守り続ける田烏水産だけになった。2030年4月から本格販売するため、約30000尾の養殖に取り組むことを、横山さんは掲げている。

「今ではサバを生業にしているのは、うちだけなんです。だから腹をくくってサバで食っていかなあかん。これはもう絶対に、サバから逃れられない運命かなと」。

 暑さに負けないサバをつくる。真の、「サバ復活」に挑む航路へと舵を切った。

2024年3月から5年間のマサバ完全養殖研究期間を経て、2029年4月から田島水産で本格的に養殖事業をスタートする。

取材・文・写真/歌代幸子

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プロフィール

歌代幸子

(うたしろ ゆきこ)

ノンフィクション作家。1964年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社の編集者を経て、独立。『AERA』『婦人公論』『プレジデントウーマン』などで、スポーツ、人物ノンフィクション、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。
著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』『100歳の秘訣』(新潮社)、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室)、『慶應幼稚舎の流儀』(平凡社)、『鏡の中のいわさきちひろ』(中央公論新社』など。

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