「3、自粛生活の指針」
2回目の買い出しには成功したと言える。最後にスーパーへ行った日から1週間強、冷蔵庫の中は未だ潤っている。葉物や魚類は頻度を必須とする為、根菜、茸類、魚の缶詰を中心に、食品を選ぶ。とりわけキャベツは持ちも良く合理的で、めきめきと評価を上げている。
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ヨーロッパに暮らしていた頃、生のお魚や切り身を手に入れることが簡単ではなかった。イワシやサバ、鱒の缶詰を常備。オリーブオイルに刻みネギを加えて、風味がたった所に魚缶の半分ほどの身を投入する。鍋肌で作るお酒と焦がし醤油を絡め仕上げて、パスタやジャガイモと合わせて頂く。そんなお料理に、大半の魚欲は満たされていた。
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目下の自炊生活。キッチンでの出来事や味の回想も挟みながら、食を楽しむことを心掛けている。
「ビニール上でも、一定時間生存するウイルス」。この情報を目にしてからは、買い物でのリスクマークも増えてしまった。買い出しから帰宅後は商品を袋から取り出し、消毒液を吹きかける。
「新しい一年は“愛とエロス”をテーマにね!」3月の初旬、バースデープレゼントとして頂いたオリジナル消毒液。エタノールに、イランイランの香りがプラスされている。魅惑の匂いに包まれながら、買い込んだ食料品の表面消毒・解体作業。…ふと生じる日常の中のミスマッチに、控えめに笑みがこぼれる。
自粛ムードが始まった頃に先行した心情は、“憤り”だった。
音楽業界にはとりわけ早期に影響が出始め、ウイルスの脅威も早くから意識することとなった。しかし、内の生活に重点を置き始めても、外の世界は一向に変わらず「日常」が回り続ける。そのギャップにストレスと不安感を抱き、不眠にも陥った。それは私だけに限らない現象だったようだ。
英語はもちろん、スペイン語、フランス語、イタリア語、タイ語、タガログ語と、それぞれのスペシャリストが集う友人とのグループLINEでは、今も尚、世界各国のニュースがシェアされ、励まし合いが途絶えない。得る情報を相対的に処理し抱く危機感と、母国全体の平均的危機感。自分の中に生じる誤差は、どうやっても許容範囲からはみ出てしまう。数カ月ぶりに小さな“安堵”を得られる思いがしたのは、7都府県へ緊急事態宣言発令が放たれた時だった。ようやく少し大きな範囲で、危機感の共有ができると思った。
その日から、生活リズムの形成に意識を向けることができた。運動を加えようとヨガを始め、規則正しく3度のご飯を頂く。体内時計の支柱を担うこの2つの間には自己先導欲が働き、以下3つのことがよい塩梅で、順番に訪れる。「弾きたい」、「書きたい」、「休みたい」。私の“ステイホーム”生活は、目下こんな風に作られるのだと、理解した。
「弾き籠る」事はある意味、幼い頃からずっとしてきていたことだ。今のこの生活下、閉塞感はあるものの、雑念は抱きようがない。「内に集中する」。修行に勤しんだ留学時代に戻ったような、そこには不思議な心地よさもあるような感覚がしている。
自粛が明けて日常が戻ってきた時、こんな自発的な規律、心身を保つことはできるのだろうか… 逆転の思考も巡らせている今この瞬間は、私の精神はまだ、健康なのだろうと思う。
最前線でお仕事してくださっている方々にはもちろん、頭が上がらない。医療機関に自らがかかることは今の所なく、現場の状況は情報から想像することしかできない。必要に迫られて訪れるスーパーでは、店員さんは、こちらが不意に近くを通ってしまった際、さっと避けて距離を保ってくれる配慮までくださっている。
皆の命を、生活を繋いでくださる方々に、心からの感謝を綴りたい。
「4、精神の指針」
芸術家の存在意義はそれを見る人の価値観により変動するものなのか…。少しずつ、錯覚を抱き始めている。
ヨーロッパでは、ロックダウン初期から国の先頭に立つ人々が芸術を心から欲していると自発的に公言し、同時に、芸術家に対して説得力のある支援策を打ち出した。それがあったからこそ、イベントやライブ、コンサートが中止という勧告がなされても、芸術家や関係者が心から不安を抱くことが少なかったのではないかと情報を受け取っている。
日本は、演劇・伝統芸能・美術、音楽、全てのジャンルのアーティストが声をあげたことで、ようやく支援策が定まってきた。その対策も初期は、「申請に際して、ハローワークに登録していること」が前提とされていた点など、フリーランス=フリーターであるともとれるコマンドが多く見られた。
「ヨーロッパの方が、芸術家が芸術家として生きられるから」
留学し学んだ者は大方、そのまま外国に暮らすか母国に帰るか、修了のタイミングで考え、決断する時を迎える。自らにおいては、外人として外国に生き続けることは精神的にも厳しく、約10年の滞在を括り帰国を選んだわけだが、ヨーロッパ残留を決め見事に行きぬいている友人、先輩方の言葉は、この度の落胆と共に記憶の底から急浮上してくる。
“芸術家は第三者により、こんなにも価値が変わる立場におかれている”。
それが母国、日本なのだろうか。今、自分が何者であるのか、心を脅かされそうになる瞬間が沢山ある。
私は音楽活動の価値が利益を生むか否かにあると捉える、いわゆる音楽商業主義ではない。ただ、音楽で生きるということに、大きな覚悟は持っているつもりでいる。その観点からはもしかしたら、この事態に際し抱く不安は少ないと、捉えることもできるのかもしれない。
ベートーヴェンは中期、ナポレオンを「英雄」と讃えた作品の作曲に取り掛かった。ナポレオンが皇帝に即位すると同時にその思いは失墜したと言われているが、その先の人生でも多くの秀作が書かれた中、交響曲第3番「英雄」は埋もれて消えることなく、今日も演奏されている。また、ロシア・ポーランド戦争の時代を生きた、ショパン。祖国に帰れない中でポーランドの伝統を作品に落とし込み、現代でも「革命」と呼ばれ愛されるような作品を、その時に遺している。これらはほんの一例にすぎず、混乱の時代にも、後世に受け継がれる芸術作品が、数多く生まれている。
一方、クラシック音楽の大元には、神へ祈りを捧げることが在る。貝をたたいたことが楽器の起源だという説があり、日本においては蛇退治に石を叩いたことも音楽の始まりとされている。だとすれば、本質的に音楽が求められない時代は、今後も来ない。起こり得ないのではないだろうか。
歴史から、今を意味のある時間にすること。揺るがない自信を持ち過ごすことに、ポジティブなメッセージを受け取る。背中を押されていると、精神を保つ勇気をもらってもいいだろうか。
“ステイホーム”時間。
疑問を持たない日は、ない。
しかし、見えない未来への不安に駆られるよりも、有意義に時を重ねる努力を、選択したい。
新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、その最初期から影響を被った職業のひとつが、芸術を生業とする人たちであった。音楽、絵画、演劇……。あらゆる創作活動は極めて個人的な営みである一方で、大衆の関心を獲得することができぬ限りは生活の糧として成立し得ない。そんな根源的とも言える「矛盾」が今、コロナ禍によって白日の下に晒されている。地域密着を旨とし、独自の音楽活動を続けてきたあるピアニストもまた、この「非日常」と向き合っている。実践の日々を綴った短期連載。
プロフィール
愛媛県、松山市に生まれる。
愛媛県立松山東高等学校、桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ科を卒業後、渡独。ヴォルフガング・マンツ教授の下、2006年・ニュルンベルク音楽大学を首席で卒業、続いてマイスターディプロムを取得する。その後オーストリアへ渡り更なる研鑽を積み、2014年帰国。
現在は関東を拠点に、ソロの他、NHK交響楽団、読売交響楽団メンバーとの室内楽、ピアニスト・高雄有希氏とのピアノデュオ等、国内外で演奏活動を行っている。
2018年、東京文化会館にてソロリサイタルを開催。2019年よりサロンコンサートシリーズを始め、いずれも好評を博す。
故郷のまちづくり・教育に音楽で携わる活動を継続的に行っている。
日本最古の温泉がある「道後」では、一遍上人生誕地・宝厳寺にて「再建チャリティーコンサート」、「落慶記念コンサート」、子規記念博物館にて「正岡子規・夏目漱石・柳原極堂・生誕150周年」、「明治維新から150年」等、各テーマを元に、地域の方々と作り上げる企画・公演を重ねている。
2019年秋より、愛媛・伊予観光大使。また、愛媛新聞・コラム「四季録」、土曜日の執筆を半年間担当する。
これまでにピアノを上田和子、大空佳穂里、川島伸達、山本光世、ヴォルフガング・マンツ、ゴットフリード・へメッツベルガー、クリストファー・ヒンターフ―バ―、ミラーナ・チェルニャフスカ各氏に師事。室内楽を山口裕之、藤井一興、マリアレナ・フェルナンデス、テレーザ・レオポルト各氏、歌曲伴奏をシュテファン・マティアス・ラ―デマン氏に師事。
2009-2010ロータリー国際親善奨学生、よんでん海外留学奨学生。
ホームページ http://erikuroda.com