ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。

1年半ほど前に、「チョコレート嚢胞(のうほう)」という子宮内膜症の一種が見つかって、以来2ヶ月に1回のペースで婦人科のクリニックに通っている。今日はその通院日。チョコレート嚢胞が悪化する原因のひとつに毎月の生理が挙げられるため、クリニックでは、生理を止める「ジエノゲスト(ディナゲスト)」という薬を処方してもらっている。
ジエノゲストは月経周期をコントロールするピルとは異なり、服用中は生理がまったく来なくなる。服用を止めると、しばらくしてまた生理が始まる。血栓症のリスクがないとされているため、閉経するまで飲めるらしい。日本では、子宮内膜症や重い生理痛などの治療目的に限って保険適用となっている。PMSを含めた生理の煩わしさから月額2,000円以下で解放されるだなんて夢のようだ。期せずして処方された薬であるにもかかわらず、わたしはもう、ジエノゲストがない生活は考えられない。
嚢胞は現在5cm弱の大きさで、4〜6cmを目安として摘出手術に踏み切るケースが多いという。けれど、わたしは年齢も年齢だし、子どもを産む予定もないしということで、経過観察状態になっている。つまり、症状的に大したことはない。たぶん。
「かわむらさん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「えーと、実はあんまり元気じゃなくて。がんになっちゃったんですよね、大腸がん。あとストーマもついちゃって」
照れ隠しに笑いながら話すわたしに、先生は目を丸くして「えっ」と驚く。わたしはここ2ヶ月の間で自分の身に起きた出来事を簡単に話す。
「だから、子宮内膜症の治療どころじゃなくなっちゃったんですよ」
「それは“どころ”じゃないですね」
「あっ、ごめんなさい、言い方がよくなかった」
「いやいや、ストーマも……わたしは手術に立ち会ったことがあって、可愛いと思うんですけど。でも、つらかったでしょう」
「嫌でしょう」でもなく「見慣れたら可愛いものですよ」でもなく、なんて寄り添った言葉の選び方をする人だろう。思いがけず胸を打たれて、心からのお礼を述べた。
検査の結果、嚢胞の大きさは「横ばい」とのことでひと安心。
「ストーマ落とす(おそらくストーマ閉鎖の意)とき、こっちも一緒に取ってもらえないかなぁ」
「病院次第だけど、できるっちゃできるんですよね〜」
などと、内診中に先生がブツブツ言う声がカーテン越しに聞こえてきて、わたしは大股開きのまま愉快な気分になった。
帰りしな、“クリニックの日はラーメンを食べる”というルーティンを達成するため、カウンター席のみの古くこじんまりとした「いつものラーメン屋」へ寄る。食が細くなり、食べるのが遅くなり、そして油ものに弱くなった今のわたしにとって、一人でラーメンを食べに行くことはそれなりにチャレンジングな行為だ。でも食べたかった。がんになって、ストーマがついて、抗がん剤治療が始まって、わたしにはできないことが増えすぎた。もうこれ以上、何もルーティンを失いたくなかった。
今まではラーメンと半チャーハンのセットを頼んでいたが、今日は初めてラーメンを単品で注文した。それすら食べ切れるか不安だったが、チャーシューとメンマ、白髪ネギだけが乗ったシンプルな中華そばを前にして、これならばと安心した。箸でつまんだメンマはすごく柔らかくて、噛んだら口の中でほろっと崩れて、なんだか、わたしは泣いてしまった。
「さっきのいつも来てくれる男の子、おいしいからって今日はお母さんを連れてきてくれたんだって」
「ああ、そう、そうかい」
店を切り盛りする老夫婦が、狭いカウンターの中で嬉しそうに話していた。
JRのホームで電車を待っていると、息の止まるような風圧とともに特急列車が通過していった。それは何度も見てきた日常の一コマのはずなのに、一歩踏み出したらあっけなく死んでしまうその状況を、今日はすごく恐ろしく感じた。死ぬってこういうことか、と理解した。怖くて涙が出た。さっきの涙とは違ったところから出ているように感じた。汗を押さえるような仕草で時折ちょんちょんと目頭にハンカチを当てながら、15分ほど電車に揺られ、最寄り駅のドラッグストアで2Lの水を買って帰った。
(金曜更新♡次回は5月9日公開)
________________________________________
「 いつものラーメン屋」さんはスマホの使用が禁止なので、代わりに昨日のお昼に食べた、西友のおいしいカレーの写真を置いておきます。
プロフィール

ライター
1985年生、都内在住。2024年5月にステージⅢcの大腸がん(S状結腸がん)が判明し、現在は標準治療にて抗がん剤治療中。また、一時的ストーマを有するオストメイトとして生活している。日本酒と寿司とマクドナルドのポテトが好き。早くこのあたりに著書を書き連ねたい。