カネは書物、書物はカネ 情報流通の2つの顔 第1回

モバイル革命と「わかりやすい悪役」の不可視化

永田 希(ながた・のぞみ)
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 この原稿は、2020年9月、アップル社のiPhoneのメモアプリを使って書かれています。この手のひらに収まる小型デバイスと、このデバイスが接続しているインターネット、そしてインターネットを介して私たちが接続している様々なモノによって、私たちの環境はいま大きな変動のただなかにあります。この大きな変動は広義の「書物と貨幣の変化」をともなっていると示すこと、それがこの連載の目的です。
 インターネットの登場と普及によっていわゆるメディア環境が大きく変化しているのだから、人々を媒介するもの(メディア)である書物や貨幣が変化するのは当然のことだと読者の皆さんは思うはずです。しかし、書物や貨幣が変化していることに何となく気がついていても、「どのように変化しているのか」を把握するのは困難です。書物も貨幣も、単純に変質しているのではなく、どんどん見えにくくなっている、つまり不可視化されつつあるのです。見えにくくなっているからこそ、その変化を捉えることが困難になっているのです。
 現在進行しているインターネットとモバイル環境の発展と普及が、書物と貨幣をどのように不可視化しているのか。本稿は、その見えにくさを捉え、何が見えなくされているのかを掘り起こすことで、不可視化された変化を捉え直そうという試みです。
 いまこの手の中にあるiPhoneが、どのような仕組みで動いているのか、私は知りません。内蔵された電池が充電され、その電力によって動いていることはわかります。タッチパネルから入力された情報が画面に映し出されていることもわかります。しかしそれより詳しいことはわかりません。どうして動いているのか見えにくいブラックボックス。iPhoneはひとつのブラックボックスなのです。
 この連載はまずモバイルインターネット環境の書物と貨幣を扱いますが、次第に過去へと遡っていきます。「何が見えなくされているのか」を掘り起こすたびに、その時代ごとに不可視化されているものが見つかっていくからです。

 

『ザ・ボーイズ』とサブスクリプションサービス

 本論に入る前に、まず、現代を象徴する作品を挙げておきます。『ザ・ボーイズ』です。
同名のコミックを原作にしたアメリカの連続ドラマシリーズで、アマゾン・スタジオが製作に名を連ね、アマゾン・プライム・ビデオで配信されています。いわゆるアメコミ原作ですが、本作に登場するヒーローたちは「悪と戦う正義の味方」というよりは、そのイメージと超人的な能力を使って金儲けをし、弱者を虐げる邪悪な存在として描かれています。
 アメコミには『ウォッチメン』『キック・アス』のようなヒーローの暗部を描く人気作品が多数あります。『ザ・ボーイズ』を含め、それらはいずれも厭世的で過激なまでに暴力的であるという共通点があります。なぜこのような作品をアマゾンは連続ドラマの原作に選んだのでしょうか。
 アマゾン・プライム・ビデオはネットフリックスやフールーと競合関係にあるサブスクリプション型の動画配信サービスです。これらの現代的な動画サービスのビジネスモデルは、視聴者の属性と嗜好情報を収集し、得られたデータをもとに独自コンテンツを製作し、顧客をさらに囲い込むというものです。この仕組みは、テレビが一家に一台つまり家族が共有していた時代にはありえないものです。スマートフォン(スマホ)のように「1人1台」が当たり前で、かつ膨大なユーザーを獲得しなければ機能しないモデルなのです。つまり『ザ・ボーイズ』という俗悪な作品がドラマ化されたのは、スマホが行き渡った時代のニーズに、この俗悪な作品が合致したという判断をアマゾン社がくだしたからにほかなりません。

モバイル革命の概要

   日本でソフトバンクモバイルが独占的にiPhoneの販売を開始したのは、2008年のこと(現在はドコモやauなどの他キャリアも取り扱っています)。日本でのiPhoneのシェアは2019年末時点で約60%、世界でのiPhoneのシェアは20〜30%、競合にあたるグーグル社のAndroidが70%台です(調査の仕方によって数値は異なります)。
 スマホ全体の出荷台数は2019年のデータで13億台。2019年の世界人口は77億人なので、10人に1人以上がスマホを持っているという計算になります。
   日本でiPhoneが発売されてから10年後の2018年、ソフトバンクとヤフーの合弁会社として誕生したPayPay社は、同年末から「100億円あげちゃうキャンペーン」を展開しました。同社は、スマホの画面に表示するバーコードでの決済サービスとアプリのPayPayを運営する企業です。
 スマホを利用したバーコード決済は、中国ではアリババグループのAlipayなどによって爆発的に普及していました。LINE社のLINE Pay、楽天社の楽天ペイも同時期にサービスを開始しましたが、PayPayは10万円を上限とするチャージ残高へのキャッシュバックをするというこのキャンペーンによって、日本における電子通貨(電子マネー)利用の普及に大いに貢献しました。
 なお100億円というのは、全ユーザーに対するキャッシュバックの総額として指定された金額です。運が良ければ実質的に無料で10万円の買い物ができる、ということでキャンペーンに参加する人は増えるのですが、総額に上限があるため、早めに使わなければキャンペーンが終わってしまう。スマホユーザーのあいだには奇妙な高揚感が充満しました。
 このキャンペーンは4ヶ月の期間を想定していたものの、年末商戦が盛り上がる真っ只中、わずか10日で100億円の上限に到達し、終了しました。PayPayはソフトバンクグループに大きな利益をもたらしました。

電子マネーが不可視化したもの

 PayPayなどの電子マネー・電子決済サービスは、言うまでもなく貨幣を不可視化するサービスです。「物理的な紙幣や硬貨を財布から取り出して支払いをする」という手間が、「スマホのアプリを起動して店員に提示する」動作に置き換えられました。この支払いの動作は単に貨幣を不可視化しているだけではなく、動画のサブスクリプションサービスと同様、顧客の属性情報と購買行動データを売り手側に提供することでもあります。
 PayPayの「100億円あげちゃうキャンペーン」による熱狂とほぼ同時期に、大手コンビニエンスストアチェーンのファミリーマートは大きな決断をしています。それまで独占契約だったTポイントとの関係を解消し、独自のファミペイ・ポイントを含むその他のポイント(電子マネー)を使えるようにしたのです。Tポイントを運営しているカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)社は、電子ポイントの利用顧客データを集積し販売しています。CCCが集積したデータをファミリーマート側が利用するためには、データを集積しているCCCに利用料を支払う必要があるのです。Tポイントの独占解消には、ファミリーマートが顧客データの扱いについてのCCCの主導権を拒否したという側面があるのです。
 もちろん日常の消費購買についてデータを提供しているユーザーたちは、自分たちのデータが水面下でどのように扱われているかを知ることはありません。貨幣が不可視化されているだけではなく、属性や嗜好などのデータも不可視化されているのです。
 スマホじたいがひとつのブラックボックスであるだけでなく、電子決済サービスという大きなブラックボックス的な仕組みにスマホが組み込まれており、私たちはその仕組みを解き明かすことができないのです。

電子「書籍」の普及

 「書物」の世界ではどのようなことが起きているでしょうか。モバイル革命の時代の書物に起きた現象で無視できないのは、広義の電子書籍の普及です。
 「電子書籍」というと、アマゾン社のKindleや楽天 Kobo、各社が発売してきた電子辞書のことを思い浮かべる人が多いでしょう。いわゆる紙の本として出版されたものを電子化したものを、専用のリーダーもしくはアプリケーションで読めるようにした「電子書籍」が一般的です。そのリーダーやアプリケーションのためだけに作成されたファイル、つまり紙の本が存在しない電子書籍ももちろん存在しています。普通に考えれば、いわゆる紙の本を普通の書籍として捉え、それを電子化したものが電子書籍ということになります。
 最近ではTwitterのようなSNSで公開された作品や、「小説家になろう」などの投稿サイトに公開された作品、noteのようなブログサービスなどで連載されていた記事をまとめて「書籍化」することがあります。電子的にものを読む環境が無い時代であれば、「書籍化」とは、紙の束をまとめて体裁を整えることでした。しかし紙で書かれたわけではないものを「書籍化する」とはどういうことなのでしょうか。
 そのことを考える手がかりとして「青空文庫」を例に挙げて考えてみましょう。著作権の保護期間を過ぎた作品を中心に文字起こしをしてインターネット上に公開している電子図書館サイトが青空文庫です。青空文庫には、保護期間を過ぎていなくても作者が許諾した作品もリストに加えられています。
 書籍を収集・保管するのが図書館だとすれば、「電子図書館」である青空文庫で公開されている作品は「電子書籍」ということになるでしょう。一般に紙で刊行された書籍を電子化したものが電子書籍なので、その多くが紙の書籍を底本とする、青空文庫で公開されている作品はその意味でも電子書籍だと言えます。
 ところで、青空文庫では、それぞれの作品についてXHTMLとTEXTのふたつのフォーマットが公開されます。XHTMLとは、ウェブページを書くために開発され広く使われている言語Extensible HyperText Markup Language(エクステンシブル ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)のこと。これはHyperText Markup Language(ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)すなわちHTMLの一種です。HTMLは、その名の通り「ランゲージ」つまりウェブページを書くために開発され広く使われている言語です。
 普通、ウェブページをまとめたものはウェブサイトと呼ばれます。最近はウェブメディアやウェブサービスといわれることもあります。ウェブサイトなどをホームページと呼ぶのは正確ではなく、誤用なのですが、ホームページという言い方も普及しています。
 紙の束をまとめたものがいわゆる紙の書籍なのであれば、電子的に書かれたページをまとめたものは電子書籍と呼ばれてもよいはずです。その電子書籍はもはや、紙の書籍を電子化したものである必要はありません。

震災と出版不況

 2011年に発生した東北地方太平洋沖地震とそれにともなう津波、すなわち東日本大震災は、日本全国を流通網で覆っていた出版界にも打撃を与えました。筑摩書房の社長も務めた菊池明郎による論文「東日本大震災と出版業界 ― 未曽有の事態にどう対応したのか」によると、商品の被害だけでその金額は数十億円の規模に及びました。紙の書籍を作るのに必要不可欠な「紙」をつくる製紙工場も被災し、新しく紙の本を出版することにも困難が生じました。さらに交通インフラが寸断され、燃料の供給不足したため、流通にも大きな影響がありました。紙の書籍に限らずあらゆる産業に暗い影を落としたこの震災の直後、人々はインターネット、とりわけSNSでの情報収集、情報発信にすがりました。流言飛語による問題を抱えながら、電子メディアに可能性を感じた人も少なくなかったはずです。
 もっとも、東日本大震災のはるか以前から、出版不況だと言われていました。「本が読まれなくなった」と言われ、いわゆる紙の本の売り上げが低迷していたのです。1991年のバブル崩壊以降、日本の経済そのものが長い不景気に陥り、そこから抜け出せないなか、1990年以降に普及したインターネットが強力な情報メディアとして台頭し、出版不況の原因はインターネットであると考える人も少なくありません。速報性を身上とする新聞は部数を減らし、広告をインターネットに奪われた雑誌も勢いを失っていきました。
 それまで多くの読者が自明の「便利な仕組み」として利用していた出版のシステムが不可視化していたものが露見しつつある、現代はそのような時代なのです。
 マンガアプリでも電子書籍アプリでも、あるいはウェブサイトでも、自分が読んでいる「ページ」の背後にある「仕組み」を想像しながら読むことはストレスを感じさせます。ストレスなくマンガアプリや電子書籍アプリやウェブサイトのページを読むためには、このストレスを忘れる必要があります。従来の紙の本を読むときにはこのストレスは無いような気がするかもしれません。しかし紙の本にも、文字を紙に保持する仕組みがあり、その紙の束を読者の手元に届ける仕組みがあります。紙の本をストレスなく読めるのは、その仕組みを見て見ぬ振りをする、すなわち「忘却」しているからです。

近代出版流通システム

 日本の出版流通は、全国の書店に雑誌を届けるために整備されてきました。定期的に雑誌を書店に届けるときに、いわば「ついでに」雑誌以外の書籍を配本する、そのような仕組みで成り立っていたのです。しかし雑誌の発行部数が減少し廃刊や休刊が相次いだ結果、2016年、数十年ぶりに雑誌の売り上げが書籍の売り上げを下回る事態になりました。異常事態です。しかもそれは一過性のことではありませんでした。単に書籍の売り上げが雑誌を上回ったということではなく、雑誌も書籍もどちらも不振であり、かつ雑誌の方がいっそう振るわない、という構造的な問題でした。
 この状況に明るい光が差し込んだのは2020年の春です。出版社最大手の講談社の決算が21世紀最高、純利益が前年比2.5倍となったのです。この数字に大きく貢献したのが電子出版などデジタル関連の収益でした。このデジタル関連の収益には、Kindleなどのいわゆる「電子書籍」のみならず、コミック雑誌に代わるメディアとなりつつあるマンガアプリの売り上げが含まれています。一般的にはいわゆる電子書籍と認識されていない場合もあるのですが、少なくとも講談社の決算書ではマンガアプリは「電子書籍」として扱われています。そしてもちろん、このマンガアプリは基本的にスマホで閲覧されています。講談社の好決算、出版流通が疲弊しても新刊やお気に入りのマンガを読める環境、そのどちらもモバイル革命のあとの時代に可能になった現象なのです。

海賊版サイトとマンガアプリ

 なお、このマンガアプリなどの売り上げと、2016年に開設され、2018年に閉鎖された「漫画村」なるサイトとの関係は無視できません。
 漫画村は、いわゆる海賊版サイトでした。漫画村は、違法にコピーされたりスキャンされたマンガ作品のファイルを公開することで、作者や出版社がオンラインでの公開を許可していない作品でも読めるようにしていたのです。漫画村以外にも同様のサイトは無数に存在していました。そして漫画村がサイトを開設、運用するために利用していたクラウドフレアというアメリカのサービスは、著作権の排他性に異議を唱え、表現の自由を可能な限り尊重しようとする思想性の強いものでした。
 作者や出版社が作品をオンラインで読めるようにしないことに対して「対価を払わずに作品を公開する」という方法で対抗する、また、そもそも「作品について対価を徴収する」ということについても異議申し立てを行う、そのようなある種の「大義名分」が漫画村にはありました。この事件の基盤には、著作権などの権利を法的に主張する側と、その権利を認めないコピーレフト派の対立がありました。「きちんと対価を払いたい」という読者も一定数いましたが、著作物とそれに付随する利益の上に立脚する従来のコンテンツ産業は、このときその基盤から挑戦されていたのです。

わかりやすい悪役の不在と複雑な不可視化

 漫画村は違法な方法でマンガ作品をデジタル化して公開し、広告収入を得ていました。漫画村が駆逐されたことで出版社や作者たちは合法的に収益を得られるようになったわけです。読者はアプリに「入金(チャージ)」し、得られたコインやポイントを消費しながら作品を読みます。読者がチャージしたときに付与されるコインやポイントの名称は出版社やアプリごとに異なっています。集英社の「少年ジャンプ+」は「Cコイン」「Bコイン(ボーナスコイン)」、講談社の「コミックDAYS」は「ポイント」、小学館の「マンガワン」は「チケット」と呼んでいます。
 マンガアプリは、マンガを読むという行為に付随していた「雑誌を買う」あるいは「単行本を買う」という行為から「買う」動作を限りなく不可視化するものです。マンガアプリの成功は、PayPayなどの電子決済サービスが貨幣を不可視化したことと重なる現象なのです。動画のサブスクリプションサービスや電子決済サービスと同様、顧客のデータも消費購買行動に紐づけられて製作サイドに吸い上げられていることが考えられます。これまでもアンケートで読者の反応を見ながら作品が製作されることはありましたが、そのサイクルの精度が急激に高まっているのが現代なのです。
 本稿の冒頭で紹介したアマゾン社の『ザ・ボーイズ』は、ヒーローたちが表向きの「正義」の裏に生み出す軋轢をテーマにした作品です。いわば正義のためというタテマエの活躍によって不可視化された部分を描いているのです。おそらく意図的な設定ですが、ドラマ版の序盤で主人公たちが対峙するのはトランスルーセントという「自分を不可視化させる能力」を持ったヒーローでした。トランスルーセントは自分を見えなくするために全裸になりトイレで覗きをする「わかりやすいゲス野郎」です。
   もちろん、モバイル環境で顧客のデータを収集するテック企業が『ザ・ボーイズ』のトランスルーセントのような「ゲス野郎」であると言いたいわけではありません。しかし便利なサービスの提供というタテマエによって、データの収集とその活用という裏側の仕組みは不可視化されています。ここには「わかりやすい悪役」は存在しません。ただ不可視化(ブラックボックス化)があるのです。
 正義を謳うヒーローたちが悪事を働いていると告発しようとすることも、データを収集する企業群を悪役とみなすことも、どちらも陰謀論です。陰謀論は世界を単純化し、立ち向かう相手を明確にするためには有用かもしれません。エンターテインメントの枠組みとしてはヒネリが効いて良いかもしれませんが、現実はもっと複雑なのです。何が複雑なのかといえば、様々なところで不可視化があり、すべてを明確に一望できないということです。様々な物事がブラックボックスによって作られており、現代を生きる人々のほとんどは、私がiPhoneがなぜ動作するのかを理解できないように、日常で利用している様々な事物が「なぜそうなっているのか」を理解しないまま、ブラックボックスのまま暮らしているのです。
 

 この連載では、時代ごとの不可視化を辿っていくことで、私たちが何に、どのように立ち向かうべきなのかを考えていきます。
 次回は、PayPayに先んじて中国で展開していたアリババグループのAlipayと芝麻信用が牽引する「金融界の現代的動向」、そしてスマホによってかつてなく一般化したスクショ(スクリーンショット)という行為が不可視化したものを掘り起こします。

※次回は11月17日(火)配信予定です。

第2回 

プロフィール

永田 希(ながた・のぞみ)

1979年、アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。書評家・著述家。書評サイト『Book News』主宰。「時間銀行書店」店主。「週刊金曜日」書評委員。「ダ・ヴィンチ」でブックウォッチャーの1人として毎月選書と書評を担当。「HONZ」「週刊読書人」「図書新聞」などでも書評家として活躍。著書に『積読こそが完全な読書術である』『サイコパスの読書術 暗闇で本を読む方法』など

 
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モバイル革命と「わかりやすい悪役」の不可視化

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