カマラ・ハリスを生んだアメリカ 第2回

初の“兼業”ファーストレディが誕生

津山恵子(つやま・けいこ)

米女性史に残る画期的な大統領夫人に

2021年1月20日に行われた、第46代アメリカ合衆国大統領就任式にて。写真右から、ジョー・バイデン米大統領、ジル・バイデン、カマラ・ハリス副大統領、ダグ・エムホフ。(写真:Christos S / Shutterstock.com)

 1月に就任したジョー・バイデン米大統領の妻であるファーストレディ 、ジル・バイデン(69)には、不思議な存在感がある。

 1月20日、大統領就任式に現れた彼女は、英国王室を思わせるクラシックなブルーのコートに、同じ染めのブルーのマスクをしていた。バイデン大統領、カマラ・ハリス副大統領とセカンドジェントルマン(副大統領の夫)のダグ・エムホフは、市販と思われる黒いマスクだった。つまり、ジル・バイデンはこの歴史的な式で、大統領である夫とも、副大統領夫妻ともマスクのデザインを合わせなかった。

 また、ジル・バイデンは、ファーストレディという公務以外に大学教授という職業を持つ初の大統領夫人となる。

 ファーストレディがほかに報酬を受け取る仕事を続けるというのは、カマラ・ハリスが初の黒人/女性副大統領となるのと同じくらい、米女性史では画期的なことだ。

 

 ジル・バイデンは、ジョー・バイデンがオバマ元大統領の副大統領になった時から変わらず、今もノーザン・ヴァージニア・コミュニティ・カレッジ(ヴァージニア州)で、英語の作文(日本では国語)を教えている。現在はZoomを使ったオンライン授業だと米紙ニューヨーク・タイムズは報じている。

  職業を持つのは、ファーストレディにとって忙しさが増すことを示す。バイデン副大統領時代も、初の副業を持つセカンドレディ(副大統領の妻)として、授業を終えた後、移動中に衣装を着替えて公式行事に参加していた。

 

 ジル・バイデンを理解するには、約44年間の伴侶であるジョー・バイデンの人生を振り返らなければならない。彼は、29歳と若くして上院議員(デラウェア州選出)になり、黒人初の大統領であるオバマ大統領の政権を支えた人気副大統領となった。大統領選は3度挑戦し、今年とうとうホワイトハウス入りを果たした。政治家としては、くじに当たり続けたような人生だ。

 しかし、私生活はそうではない。

 

 上院議員に当選した直後の1972年12月、クリスマスの買い物に出かけた最初の妻と子供らの車にトレイラートラックが衝突。妻ネイリアと1歳の長女ナオミを失った。長男ボー(当時3歳)と次男ハンター(同2歳)は生き延びたが、ジョー・バイデンは2人のために一度は上院議員に就任するのを諦めかけた。

 最終的には上院議員になったものの、デラウェア州にある自宅でボー、ハンターと朝食を取り、夜は寝かしつけるため、議会がある首都ワシントンには家を借りず、特急列車で片道2時間かけて自宅とワシントンを日々往復していたのは有名な話だ(自動車事故を生き延びた長男ボーは2015年、脳のガンにより46歳で死亡した。ボーはデラウェア州司法長官を務めており、父親を彷彿とさせる政治家になるはずだった)。

 ジルは事故の3年後にジョーと出会い、さらにその2年後、この悲劇の一家に加わった。だが、普通の「後妻」ではなかった。

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カマラ・ハリスを生んだアメリカ

女性として、黒人として、そしてアジア系として、初めての米国副大統領となったカマラ・ハリス。なぜこのことに意味があるのか、アメリカの女性に何が起きているのか――。在米ジャーナリストがリポートする。

プロフィール

津山恵子(つやま・けいこ)

ジャーナリスト、元共同通信社記者。米・ニューヨーク在住。2003年、ビジネスニュース特派員としてニューヨーク勤務。 06年、ニューヨークを拠点にフリーランスに転向。米国の経済、政治について「AERA」、「ビジネスインサイダー」などで執筆。近著に『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社)がある。

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初の“兼業”ファーストレディが誕生