目が醒めるような紫色のコート。親しみやすい、いつもの笑顔。「神よ、私をお助けください」という最後の言葉で、会場に「ヒュー」と歓声が上がる。
2021年1月20日、 米副大統領就任式でカマラ・ハリス(56)が宣誓を終えた瞬間だ。黒人初で南アジア系初、しかも超大国アメリカの女性として最高位の職に着任した。なぜ、彼女はそれを成し遂げられたのか。そして、アメリカという国がなぜハリスを生んだのか、探ってみたい。
「自由」を求める地で育った蓮の花
ハリスの自伝The Truths We Hold – An American Journey(筆者による仮訳:『私たちの真実 あるアメリカ人の旅路』)(以下、自伝)は、各章を読み終わるごとに、ため息を誘った。それは、彼女の副大統領にまで至った道が、おそらく米国でしかありえなかった、と思わせるからだ。
「もし、ハリスの母親がインド出身で、父親がジャマイカ出身でなかったら?」
「もし、ハリスが1960〜70年代、最もプログレッシブ (進歩的)なカリフォルニア州オークランドやバークレイに育たなかったら?」
「もし、ハリスが『あなたはトップがふさわしい。最後尾はダメ』と母親に言われていなかったら?(そんなことを子供に言う母親が、世の中に多くいるだろうか?)」
スーパーウーマンであることは間違いない。しかし、彼女の半生は人種的な多様性のほか、古い制度や考え方を常に打ち壊して前進しようとする米国特有の「導線」がなくては、花火として輝かなかった。「導線」は、日本の整然とした、あるいは断固とした制度尊重主義にはないものだ。
1964年、カリフォルニア州オークランド生まれ。カマラという名は、「蓮の花」という意味だ。
「蓮は水面下に育ち、根はしっかりと川底に植わり、花は水面より上にそそり立つ」(自伝より/筆者訳、以下同)。母親の故郷インドの文化では重要なシンボルだという。この蓮は、同州オークランドとバークレイで米国に根を下ろした。
2つの都市が1960~70年代、黒人の基本的人権を主張する公民権運動にどんなに染まっていたかは簡単に想像がつく。オークランドは現在も始終、デモが行われている。バークレイにはカリフォルニア州立大バークレイ校があり、学生運動が盛んで、今でも街ではヒッピーらの白髪のポニーテールが目立つ。
インドから来たシャマラ・ゴパラン=ハリスと、ジャマイカから来たドナルド・ハリスは、どちらも大学院に留学していたデモの街、オークランドで出会った。幼いカマラ・ハリスはベビーカーでデモに連れて行かれ、大人らの足が林立するのを見て育った。キッチンで、母が「What do you want?(何が欲しい)」と聞くと、ハリスは「Freedom!(自由を)」と、デモの決まり文句を返した。ちなみに、 2020年夏に全米で起きたブラック・ライブズ・マター(「黒人の命は大切だ」、BLM)運動の際は、「何が欲しい?」「正義を!」だった。
女性として、黒人として、そしてアジア系として、初めての米国副大統領となったカマラ・ハリス。なぜこのことに意味があるのか、アメリカの女性に何が起きているのか――。在米ジャーナリストがリポートする。
プロフィール
ジャーナリスト、元共同通信社記者。米・ニューヨーク在住。2003年、ビジネスニュース特派員としてニューヨーク勤務。 06年、ニューヨークを拠点にフリーランスに転向。米国の経済、政治について「AERA」、「ビジネスインサイダー」などで執筆。近著に『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社)がある。