博士号を持つ教育者としてのキャリア
当時は、ほとんどの若い女性が幸せな家庭を持つのに憧れていた1970年代。しかし、20代前半のジルは、当時最年少の上院議員だったジョーから2年間もプロポーズされて、断り続けた。その2年間、10歳にもならないボーとハンターに夕食を作るなど母親のように接していたにもかかわらずだ。
上院議員は、米国50州から2人ずつ選出された100人しかいない。また、上院議員の約半数は弁護士や検察官など法律の専門家で 、地元だけでなく全米で尊敬される存在だ。
その上院議員からのプロポーズを、ジルは4回拒んだ。
彼女が結婚を拒んだ理由は、2つあった。ハンサムな最年少上院議員の妻となって、メディアの注目を浴びたくはなかった。そして、自分の教育者としてのキャリアを全うしたかったからだ。
5回目のプロポーズに応じたのは、彼女が教育者としてのキャリアを続けるのをジョーは支援していると確信したこと、そして彼と彼の家族を愛していることに偽りがないと思ったことだという。ボーとハンターが「(父のジョーが結婚しないなら)ぼくらが、 ジルと結婚するべきだ」と父に迫ったというエピソードが、ジルの自伝Where The Light Enters -Building a Family, Discovering Myself-(2019年、筆者仮訳『光が差し込む場所 家族も自分も愛せるところ』)に書かれている。
ジルはジョー・バイデンとデートし始めた1975年にデラウェア大学を卒業し、高校の英語教師となった。1977年に結婚し、長女アシュリーを妊娠中にウェストチェスター大学で1つ目の修士号を教育学で取得。出産後は、ボー、ハンター、アシュリーの子育てのため、高校教師を2年間中断した。
高校教師に復帰した後は、英語・作文教師としてだけではなく、情緒障害を持つ児童向けの教育プロジェクトも続けた。
1987年にはヴィラノヴァ大学で2つ目の修士号を英語学で取得し、1993年からデラウェア工科短期大学の講師に。2007年、55歳の時にデラウェア大学で教育学の博士号を取得した。オバマ&バイデンのコンビによる大統領選挙が始まるわずか1年前である。
この後、デラウェア州内の学校などで、乳がんを予防するためのプログラムを無償で提供するNPO「バイデン乳房健康イニシアチブ」を創設。若い女性への啓蒙や支援のプロジェクトは、現在に至るまで教育以外の彼女のテーマでもある。
こうした経歴のおかげで、2008年にバラク・オバマが当選した大統領選挙、そして2020年、トランプ前大統領と一騎打ちになった大統領選挙で、選挙集会の際、「ドクター(博士)・ジル・バイデン」と紹介されることになる。
幼い子供を育て、夫の政治生活を支援しながらも博士号を取ったという事実を、「ミセス・バイデン」ではなく「ドクター」という呼称で聞くことで、多くの女性が勇気付けられたのは間違いない。夫人を意味する「ミセス」ではなく、「ドクター」と呼ばれるのは、彼女自身が勝ち得た職業を象徴するからだ。
しかし、「ドクター」を使うということに、ジョー・バイデンの大統領選当選後、「雑音」が巻き起こった。
2020年12月11日、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のオピニオン欄に、作家ジョゼフ・エプスタインが寄稿。ジルがドクターの肩書を使うことは「詐欺的でコミカルでさえある」と記した。
「マダム・ファーストレディ、ミセス・バイデン、 ジル、おじょうちゃん(kiddo)。お名前の前の『ドクター』を消すお考えは?(中略)ドクター・ジルであるという小さな興奮をお忘れください。ファーストレディ、ジル・バイデンとして4年間、世界最高の公邸に住むという、より大きな興奮で満足してください」
これには一斉に「女性差別」だという非難が巻き起こった。米国の博士号取得者は、自らを「ドクター」と呼ばない傾向はあるものの、博士号があれば「ドクター」を使うのは自由なはずだ。
ミシェル・オバマはインスタグラムへの投稿(2020年12月14日)で、こう反論した。
「(オバマ政権の)8年の間、私はジル・バイデン博士が多くのプロフェッショナルな女性と同じように一度に複数の責任をうまく果たすのを見てきた。教育者としての職務からホワイトハウスでの公務、そして母親、妻、友人としての役割に至るまでだ。今まさに、ドクターかミズかミセスか、あるいはファーストレディかという彼女たちの肩書きにかかわらず、非常に数多くのプロフェッショナルな女性たちに同じく降りかかることを、私たちは目にしている。あまりにも頻繁に、私たちの業績は疑いの目を向けられ、嘲笑されることすらある。(中略)何十年も仕事をしてきてもなお、私たちはもう一度、自分の実力を証明しなければならないとは」
同日、ジル・バイデンも個人のツイッターで反論し、72万以上の「いいね」がついている。(2021年3月5日現在)
「私たちは、ともに娘たちが獲得した成果を喜んで祝う世界を築くのです。それを過小評価するよりも」
女性として、黒人として、そしてアジア系として、初めての米国副大統領となったカマラ・ハリス。なぜこのことに意味があるのか、アメリカの女性に何が起きているのか――。在米ジャーナリストがリポートする。
プロフィール
ジャーナリスト、元共同通信社記者。米・ニューヨーク在住。2003年、ビジネスニュース特派員としてニューヨーク勤務。 06年、ニューヨークを拠点にフリーランスに転向。米国の経済、政治について「AERA」、「ビジネスインサイダー」などで執筆。近著に『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社)がある。