水道橋博士の「日記のススメ」 第1回

あなたも今日から日記を書きませんか?

水道橋博士の「日記のススメ」

水道橋博士

浅草キッドの水道橋博士は、タレントや作家の顔を持つ一方で「日記を書く人」としても知られています。
小学生時代に始めたという日記は、たけし軍団入り後も継続、1997年からは芸能界でもいち早くBLOG形式の日記を始めた先駆者となり、現在も日々ウェブ上に綴っています。
なぜ水道橋博士は日記を書き続けるのか?
そこにはいったいどんな意味があるのか?
「日記のススメ」連載開始です。

 

●なんのために書くのか?
 はじめまして。
 自称「日記芸人」の浅草キッドの水道橋博士です。
 この原稿は、この文章で初めてボクのことを知る読者を想定して書いていきたいと思います。
 芸名、水道橋博士こと、ボクは本名・小野正芳と言います。昭和37年8月18日、岡山県倉敷市生まれ。今年59歳になります。
 2002年に40歳で結婚して、高円寺の一軒家に住み、20年の家庭生活を継続中、子供は高校3年生の長男、中学3年生の長女、中学1年生の次男の3人。
 東京の私立学校に通う3人の子供たちの父親でもあります。

 まず、ボクの幼少期を語りますね。
 親の家業は紙屋さんで店舗と問屋さんを兼ねていました。その次男坊に生まれ、小学校時代は優等生で「末は博士か大臣か」と言われるほど文武両道な健康優良児でした(大人になったら本当に「博士」になって田舎に帰ってきたことが小野家ジョークの大定番です)。
 中学入試を経て、国立の岡山大学教育学部附属中学校へ越境入学しましたが、高校時代に体調不良で不登校に陥り、高校1年生で留年の憂き目に遭いました。
 青春の蹉跌を感じながら4年間を費やし高校を卒業。
 19歳で明治大学経営学部に進学しましたが、4日しか通わず、取得単位ゼロで中退しました。
 その後、上京する本来の目的だったビートたけしの弟子になるため、約1年間、深夜放送のオールナイトニッポンの出待ちを続け、1996年たけし軍団の17番目の弟子として採用されました。
 程なく、師匠が若き日に修行したストリップ小屋「浅草フランス座」で、住み込みで芸を学んでこいとの命を受け、日給1000円の16時間労働、時給60円という極貧生活の中で1年弱、芸人修行しました。
 その時に、5歳年下の相棒・玉袋筋太郎と出会い、漫才コンビ・浅草キッドを結成。
 テレビ界にもデビューして、現在、芸歴35年になる〝お笑い第3.5世代〟のベテラン芸人です。
 浅草キッドのふたりの幼少から芸能界入りまでの話は、『キッドのもと 』(ちくま文庫)という本に詳しく書いてあるので、興味がある方は是非、ご一読してみてください。

 どうでしょうか――。
 書き出しは、ボクの出自、素性、そして家族を含めた個人情報を、あえて大っぴらに晒してみました。
 ズバリ言って、日記をBLOGに書くことは、世界中に向けて個人情報を叫ぶことです。
 まず大前提として、その覚悟は持っておくべきだと思います。
 個人に秘められた日記を書くことと、世界に広げた日記のようなもの=BLOGを書くことはまったく違う行為です。
 ボクの場合、他人から見られる自己承認のためにBLOGに日記を書き始めたわけではありませんが、現代の日記の大半は、他人に見てもらうために書かれています。

 多くの人にとって自分の人生の過去を細部まで思い出すのは至難です。
 エピソード自体は、いつ頃、どこで誰とまでは思い出せても、年月日まで揃えての正確なものとなると絶対に思い出せるはずがありません。
 齢を重ねるごとに、似たような同じような日常を重ねるごとに、時の前後がわからなくなるものです。
「2000年と2001年、平成10年と平成11年、何がどう違ったか?」
 あなたは思い出せるでしょうか?

 ボクが日記を書き始めたキッカケは小学校の低学年の時、担当の先生との交換日記でした。ボクは今も、そのノートを残しています(日記の効用を高めるのには、ネットであるならば保存すること。リアルであるなら書きつけた紙やページをとっておく習慣がなにより大事なことです)。
 無限の記憶力を持つ、細胞分裂旺盛な脳みその子供にとって、よもや日記が人生の備忘録になると思いながらは書いてはいません。
 交換日記は、宿題の一つでもあり、読み書きそろばんのような日課であり、はたまた原始的な文章研鑽である側面が強かったかも知れません。
 しかし、やがて気づいたのは、例えば夏休みの宿題のお天気日記であったり、朝顔の成長日記であったり、1日でもサボると、もう取り返しがつかないことを経験して子供心にも「記録することの大事さ」が身に染みてわかるようになります。
 ここで、日記と書かれた以上は正確でなければ意味がない、と思うのか、適当で良し、と考えるのか、人生を2分するとすら、ボクは思います。
 ボクは、他人に強要することはありませんが、こと自分に関しては、いわゆる「三日坊主」であったり「ズボラ」であるキャラクターを良しとしていません。
 そしてやはり「王様の耳はロバの耳」ではありませんが、人間は食欲・性欲・睡眠欲と共に、告白欲というものから逃れられない動物であるということも悟ってくると、自分自身の懺悔という概念も加わり、日記というものに次第に自分の方から向かっていくようになりました。

 

●どのような日記を書くのか?
 箇条書きでサラサラとその日の出来事、見たテレビ、食べた三食の献立だけを書き留めていくだけでも立派な日記となります。
 写真が好きな方は、毎日、出先で、庭先で、一枚撮り続けるだけでも、簡易的な日記にはなります。
 読書好きには書評、映画好きは映画評だけでも、十分日記です。
 目的次第で、どのような日記を書くかは変わってきます。
 とにかく非公開を前提として、生涯、自分以外は決して読まない日記であると決めていれば、それはそれはむき出しの、エロス、妬み、僻み、怒り、悲しみ、あらゆる人間感情のネガティブなものを吐き出すことが出来るでしょう。
 逆に、人にも読ませたい日記となると、少し背伸びしたり、よく見せたり、事実からは少し離れて、綺麗事を書いていくのかも知れませんが、見られるという意識から、誤字脱字文法に気をつけたり、わかりやすい文章を心がけたりするうちに、飛躍的に文章力が上がってくるはずです。

 ボクがウェブ上に日記を公表し始めた頃は、ネット広告やアフィリエイトの仕組みなど、まだヨチヨチ歩きでした。
 ですから日記を書くことが、お金儲けになるなどとは微塵も考えていませんでした。
 最初は、タレントとしての広報活動の一環、仕事でお世話になった人、影響を受けた人々へのお礼の場でもありました。
 今どきは、芸能人がウェブ上に日記を書くモチベーションは、ゲスな言い方をすれば「お金」であることに尽きます。
 ブログでライフスタイルを綴るだけで広告料が入るほどの人気者(もしくは炎上上等のヒール)であれば、日記は欠かせない芸能活動ともなります。
 今や、カリスマ・ブロガーという存在が多々います。
 ただし、例えば辻希美さんのような域に達するには、10年の歳月が必要だとも聞きます。
「苺をコンデンスミルクにつけて食べました!」と書いただけで、「素材の味が台無し!」「生産者に謝れ!」的な炎上と戦って10年(まぁ、炎上でもしっかり稼げるわけですが)でようやく「ブログの神様」になるそうです。
 ただ、ボクはそのようなポジションにはまったく憧れていません。
 ですから、BLOGのススメではなく、日記のススメとして読んでほしいと思います。

 

●日記と文学
 インフルエンサークラスなら、ネット上の日記を書くだけで、収入につながりますが、多くの場合そうは行きません。
 やはり、我々がヒントとすべき、目標とすべきは、日記を作品へと昇華させてきた古今東西の日記と文学の融合の歴史です。
 日記そのものが文学になった数々の古典、『土佐日記』とか『更級日記』といった例もありますし、日記をベースに生まれた小説は枚挙にいとまがありません。
 例えば、宮尾登美子が父の日記から小説化した『鬼龍院花子の生涯』とか、太宰治が愛人の太田静子の日記を元に書いた『斜陽』などがあります。
 息子の嫁の脚に性的興奮を覚える不能老人の日記、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』は創作の日記ですが、後年、手紙や関係資料から、かなり事実に即したリアルな話であったことが検証されました。
 また、お笑いの分野では、日記芸人の大家、古川緑波の『昭和日記』(晶文社)は、質・量に於いて、リアル日記文学の最高峰であり、当時の演芸界の第一級の資料であります。
 また我が師・高田文夫の『笑芸日記』(ちくま文庫)は昭和〜平成に至る笑いの定点観測として貴重であり、また個人的影響で語れば、つかこうへい『つかへい腹黒日記』(角川文庫)は、文体、芸風まで感化されています。

 

●どこまで書くのか?
 公開を前提としなければ、日記は誰にも言えない秘めごとを好きに書ける性格上、古今東西、かなり、むき出しのエロスや心の中のオドロオドロシイ心情が赤裸々に綴られてきました。
 例えば、世紀の奇書と呼ばれる『ピープス氏の秘められた日記』は、翻訳者の臼田昭氏をして、「世人の教化に資することは何一つない」と言い切るほど、浮気、収賄、蓄財、人間の煩悩に満ちた、17世紀の“一応”英国紳士の人間性が、余すところなくそこに綴られていました。
 ボクは元々が芸人であるがゆえ、ほぼ包み隠さずなんでも、明け透けに公表する使命を帯びているので、大概のことは日記に書きます。
 独身時代の夜遊び加減は言うに及ばず、結婚後は“浮気童貞”を標榜しており、至って品行方正でしたが、一度だけ殿に誘われてソープランドに行った話も明け透けに書いてきました。
 それでも、ジレンマとして「どこまで書くか?」という問題は常にあります。
 タブーが交錯する芸能界、テレビタレントの世界の住人ですから、絶対的に公表できないものがあるのは否めません。
 しかるに、公開用と非公開用の日記を書き分けるのは、面倒ですが仕方のないことですね。(ボクも非公開用の日記は備忘録としてメモを残しています)。

 

●日記が社会にもたらすもの
 日記や日記文学はやはり、後の世の人々に、当時の生活の生々しい息遣い、教科書や報道では知り得ない些事を大事に伝えてくれることが一番の効用だと思います。
 戦中派の日記は、古川緑波であり、高見順であり、山田風太郎であり、海外では「アンネの日記」が筆頭でしょう。
 名前だけご存知の人も多いでしょうが、「アンネの日記」は一度読めば、人生の一冊になることは請け合います。
 また、戦中日記は、時代を覆う戦争に突入していく時代の空気、戦争中の生活や、教科書にはない戦時中の“喜劇的な逸話”“戦時中の性”をも含めて、そこを書かれているからこそ、人の営みなのだと思います。
 現在は、まさにコロナ禍であり、近代史では前代未聞の世界的規模の戒厳令下とでも言いましょうか──。
 この時代に様々な人々が綴った日記、生活の記録は、きっと将来、貴重な資料、示唆となると信じます。

 

●書いてて良かったか?
 手前味噌な結果論的ではありますが、人々がGoogleで、何か過去に行われた格闘イベントとか、お笑いライブとか、テレビ、ラジオ、サブカル的な事件を検索した時に、ボクの「水道橋博士の悪童日記」がヒットすることはあるはずです。
 そこから正確な日時や遣り取り、登場人物や詳細が確定できた、役に立ったと思ってくれた人々が、プロ、アマ問わず、いると思います(お礼を戴いたことは一度もないですが……(笑))。
 自分の膨大な日記がGoogleデータベースの肥やしとなり、社会貢献につながったはずだと信じたいのです。
 もちろん、自分自身には、こうして日記にまつわる、インタビューやエッセイの依頼、はたまた、著作まで、日記を書き続けてきたからこそ、仕事になってる部分は大きく、「書いてて良かった」と思います。
 実感として、50歳を過ぎてから起きる出来事のほとんどが、それ以前に起こった予告編を伴う、伏線回収としての物語として紡ぐことが出来ると思えるほどです。
 ネット上にある1万日に近いボクの日記は、ボクの脳の外部記録装置、いわばクラウドであり、この無限の素材はウラトリの出来る基礎資料にもなります。
 そんな日記というストックに支えられ、いや、日々の日記の延長上に、自著最大のヒット作であるノンフィクション・エンターテイメント『藝人春秋』シリーズ(文春文庫)は生まれ、ライフワークとして、今なお書き続けることが出来ているのだと思っています。

 

●タレントが自身の人生を綴る意味とは?
 タレント業をしているほどんどの人たちは誰しも、必ず、一度や二度は「自分の半生をまとめてみませんか?」とエッセイや「タレント本」のお誘いを受けるものです。
 ボクは日記を使って自分自身の半生や事件簿を文筆作品にするのが得意分野ですが、他のタレントたちが書いた本を読むことも大好物で、『本業』(文春文庫)という本ではそんな「タレント本」への愛と書評をまとめたほどです。
『本業』執筆時にボクは、タレントが「タレント本」を書く意味を深く考えました。
 そこで大きく分けて、自身と他者の二つの意味、が見えてきました。
 まず一つは、タレント自身が人を欺いていることへの懺悔。
 自分が演じる「虚像」と、本人が認識している「実像」との間に抱えるギャップ、このギャップを埋めるために、告白、懺悔することが「タレント本」を書く一つの意味ではないかと。
 そしてもう一つは、タレントが他者から負わされる汚名への怒り。
 理不尽な「有名税」への対峙です。

 少し説明しますと、タレントとは地位がビッグであればあるほど、この「有名税」が累進課税の如く、大きくのしかかります。
 事実無根な報道が次から次へと生まれ、独り歩きしてしまう。
 それが自分自身、とても屈辱的な報道であっても「有名税」のひとことで片付けられてしまう。
 有名人というだけで源泉徴収気味に植え付けられ、まるで既成事実化されているかのような、整形疑惑、枕営業疑惑、闇営業疑惑、大手事務所ゴリ押し疑惑、脱税疑惑、脱毛疑惑、豊胸疑惑……。
 そんな理不尽な「有名税」というものに“還付請求”を行う作業、これこそが「タレント本」を書く、もう一つの理由なのではないかと考えました。
 定義しますと「タレント本」とは、「膨大で払いきれない有名税に対するタレント本人による還付請求を含む青色申告書であり、世間から換算してほしい本当の自分の価値そのもの」ということなのです。
 上記のことは、タレントが書くBLOGにも共通して当てはまる認識です。
 自分が有名であることを前提とするのか、しないのかは「日記」ではなくBLOGを書くモチベーションに多いに左右されることです。
 日記とBLOGは共通項が多々ありますが、似て非なるものです。

 ずばり、書きます。
 ボクが「日記」を書く理由は、今や芸能人や現代人の常識ですらある「BLOG」を書くためではないし、労働でもなく、その対価として払われる報酬が目当てでもありません。
 金銭の概念を超えて、古来、個人の希求だけで日記という人生の記録は存在し、書かれたものは人の世に未来永劫に存在していきます。

 有名だろうが無名だろうが。
 人の目に触れようが、触れまいが。

 前言を翻し、それをあえて金銭的な価値に換算すれば、日記とは人生の中で永久に申告されることのない、「個人的、精神的なへそくり」のようなものでしょうか。
 つまり、書けば書くほど、積み立てれば積み立てるほど、人生が豊かになる「見えない報酬」であり、誰でも今日から出来る、目減りすることのない人生への投資信託なのです。
 何もいらない身一つから出来ることです。

 あなたも、今日から日記、書きませんか? 

小学4年生の時の交換日記

 

第2回 

プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

 
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