米軍に牛耳られた日米合同員会
内田 今回この本を読んでハッキリしたのは、地位協定を決めている日米合同委員会のメンバー構成です。日本側は各省庁の代表者が出ているのに、米側はほぼ全部軍人ですね。
松竹 ええ。米側代表者7名のうち文民は在日米大使館公使だけで、あとは全員軍人です。
内田 「日米」と言っているけれども、これは実際には「日本政府と米軍」の間の話ですよね。だったら、これは外交じゃないでしょう。外交は本来政府間で行うものですけれど、これは日本政府と米軍というアメリカの統治機構のごく一部に過ぎないセクションとの交渉です。本来の意味での外交じゃない。だって、日米合同委員会で優先的に出されるのはアメリカ政府の主張じゃなくて、何よりもまず米軍の主張だからです。アメリカ全体の国益と米軍の利害は完全に一致するわけじゃない。当たり前ですよね。日本の国益と自衛隊の組織としての利害が完全に一致することなんかあり得ないのと同じです。
それなのに「米軍の要請」を全て「ホワイトハウスの要請」、ひいては「3億2700万のアメリカ人の要請」であるというふうに、日本側は組織的に、システマティックに誤読している。そういう習慣が、日本のアメリカ専門家とか政治家、官僚の中に深く内面化している気がします。でも、米政府の意向と米軍の意向は切り分けるべきです。現に違うんですから。
アメリカ政府、特に共和党の場合、「小さな政府」論者が多いですから、国防予算の増加を嫌います。トランプもリバタリアン(自由至上主義者)ですから、軍に金を使うことを嫌う。共和党下院議員だったロン・ポールは在日米軍基地の撤退を強く主張していました。こういう人たちだってアメリカの世論の大きな部分を形成しているわけです。でも、日本政府はそういう「日本に基地は要らない」というトランプを含めたアメリカ右派の主張はまるで存在しないかのようにスルーして、国防予算の増大を最優先課題にする米軍を「アメリカ代表」であるかのようにみなしており、日本国内に対しても、米軍の意向を米政府の意向であるかのようにねじまげてアナウンスしている。
軍隊は必ず軍事的危機を過大評価します。当然ですよね。そうしないと国防予算は増えないし、軍人の社会的地位も脅かされますから。だから、米軍は中国の進出で東アジアの地政学的環境が危機的になりつつあるということを大声で主張する。
2017年ランド研究所の報告は「妥当な推定を基にすれば、米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」と結論づけていましたし、同じ年に、ジョゼフ・ダンフォード統合参謀本部議長も、「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告していました。中国は軍事的に米軍よりも優位にあるから、さらに巨額の国防予算を投じなければ中国に負けるという言い分は米軍としてはして当然なんです。「仮想敵国の軍事的脅威が逓減したので、国防予算を減らしてもいいです」というようなことを自分から言い出す軍は世界のどこにもいませんから。だから、どんな軍事強国の軍隊でも必ず「このままでは負ける」と言って、危機感を煽ろうとする。
軍人がメディアを経由して納税者たちにアナウンスする軍事的危機に関する言説は多少とも眉に唾をつけて聞かないといけない。統治機構内部の全セクターは「自分たちの仕事は国にとって死活的に重要であるからもっと予算を増やせ、もっと権限を与えろ」と言う。それは当たり前なんです。そういうさまざまなセクターの「うちに最優先に予算をつけろ」という要請をホワイトハウスが最終的に調整する。だから、交渉相手は米軍ではなくて、米軍の軍略の意味を総合的に判定するホワイトハウスであるべきなんです。
でも、日米合同委員会では、ホワイトハウスのではなく、米軍の主張が全面に出てくる。東アジアの軍事的危機はつねに高まりつつあり、軍事力の増強以外に緊張が緩和する可能性はまったくないという「物語」から受益する人たちが政策決定をしているわけですから、そういう話になるしかない。日米合同委員会で米軍サイドから「東アジアの緊張は緩和してきたので、在日米軍基地を縮小し、いずれ撤去してもよい」という提案がなされることは構造的にあり得ないんです。絶対にありえない。
日米合同委員会で日本側は、軍事的緊張が高まることによって自己利益が増大するプレイヤーと交渉しているわけですから、その分は「割り引いて」話を聞かないといけない。僕はそう思いますけれど、そういう配慮を日本側からはまったく感じられない。
もちろん、場合によっては政治家の言うことの方が空想的であって、軍人の言うことの方が現実的であるということもあると思うんです。政治家も軍人も、どちらも頭から信用するわけにはゆかない。でも、今の日本ではホワイトハウスではなく、米軍の意向が組織的に「アメリカの総意」と誤読されている。対米従属の本質は実質的には「対米軍従属」なんです。そのバイアスを補正して、交渉しない限り、地位協定問題は永遠に解決しないと思いますね。
日本に交渉の余地があるとすれば、それは米軍の軍略とホワイトハウスの世界戦略の間の齟齬(そご)を見つけ出して、そこにくさびを打ち込むというかたちで進めるしかないと思います。でも、日本の官僚にはそのような知恵のある人間がいない。
沖縄の場合、巨大な固定基地というのを持つ必要はないということはもう軍略的には常識だと思います。今ごろ敵前上陸部隊を増強するなんて時代遅れの話をしている人はホワイトハウスにはいないんじゃないでしょうか。固定基地とか巨大空母とか潜水艦とか戦闘機とかで軍事力を誇示する時代じゃないんです。AIの時代なんですから。軍のコンピュータシステムをハッキングされたら、もう兵器なんかいくらあっても使い物にならないんですから。
でも、米軍内の守旧派たちは相変わらず巨大な固定基地と巨大な軍備の力を信じようとしている。そういう連中が日米合同委員会でアメリカを代表している限り、沖縄の基地問題は動かないでしょうね。
首脳でなく軍人と外務官僚が仕切る日米外交
松竹 そうですね。日米合同委員会の問題は、本当にどんどん闇が深くなっていると思います。95年の少女暴行事件のときに、ようやく「日米合同委員会で合意した件数は何件か」ということが戦後初めて明らかになり、4000件という数字が出ました。それで私は今回、本をつくるに当たって、ある国会議員を通じて外務省に「現在はあのときから何件増えていて合計何件になったのか」と問い合わせたんです。すると外務省は「それは把握しておりません」と。「各省庁がやっていることなので、うちでは総数はお答えできません」と言うのです。25年前は外務省の条約局長が総数何件って言えたのに、25年たって少しはマシになっているかと思ったら、どんどん隠蔽してしまう状況になっている。すごく深刻だなと思いました。
そして、これは平等じゃないと私もすごく思ったのは、鳩山由紀夫さんが総理大臣になって「辺野古の基地をなんとかしよう」と動き始めて、それをいろいろ外務官僚とかが潰しにかかった、みたいな話がありましたね。
そのときに私、鳩山さんと別のことで対談の企画があって聞いたんですけれども、鳩山さんとしては、当然この問題について、「自分が話し合う相手はオバマ大統領だろう」と思ったらしいんです。それで、この問題を提起しようと。
結局、鳩山さんの在任中にオバマさんと2回会っているんです。だから本来ならそこで提起すれば、オバマさんのことだからゼロ回答とはならず、何か響くものがあって、考えてくれたかもしれない。
けれども、鳩山さんがそれを提起する以前に、「そんな非常識な!」と言われて、問題提起すること自体をやめさせられてしまったと……。まあ、それでやめてしまう鳩山さんも問題なんですけれども。
そういうことは両国のトップレベルで話し合うべき問題だという国際常識が、日米間では全然通用していない。在日米軍の意向と、それを忖度した外務官僚が全て取り仕切る状況になっている。
―鳩山首相としてはオバマ大統領と直接交渉したいと、辺野古基地に関して思っていたら、「そんなことはとんでもない」と言ったのが日本の外務官僚ということですか。なぜ外務官僚はそんなことを言ったんでしょう。なぜ、大統領と話すよりも米軍の方を大事にしなきゃいけないんだ、という考え方になっているのでしょうか。
松竹 外務官僚が「あんたはオバマと話す資格がないよ」などと言ったわけではないと思います。ただ、何かそういうのが当たり前になっている行政機構の雰囲気みたいなのはあると思うんです。やっぱり日本の首相とアメリカの大統領は対等じゃない、みたいな。
鳩山さんも、官僚に対して突っ込めなかったという弱みはすごくあると思うんですが。
内田 僕も鳩山さんご本人からその話を伺いました。「海兵隊の基地を沖縄県外に」ということで鳩山さんが候補地の選定を始めたら、外務省から「県外は駄目だ」という極秘文書が出されてきたそうです。「米海兵隊の規定には、航空部隊は訓練場から65海里以内に置くと決められている。沖縄では本島に訓練基地があるので、県外に航空基地を設置することは規定違反になる」と。鳩山さんはその文書を真正なものだと思って、県外を諦めた。でも、その後問い合わせたら、米海兵隊にはそのようなレギュレーションは存在しないし、外務省に問い合わせてもそんな公文書は存在しないと答えて来た。当時の外務省の誰かが文書を偽造して、基地の県外移転を阻止しようとした。
松竹 そういう点での詳しい話はあるのです。レギュレーションがあるとかないとか言って、外務官僚らが説得にかかった、みたいな。でも「じゃあ何でそれをオバマさんに提起しては駄目なんだ?」みたいな話はあまりないのですよね、その理由づけはね。
内田 官僚たちはこと日米関係については「米軍と自分たちの閉じられたチャンネル」には誰も入れないつもりだと思います。米軍との直接のチャンネルを独占している者たちが事実上「属国の代官」の地位にあるわけで、ある意味では選挙で選ばれた国会議員よりも上位の権力者である。その権力を手放せないのじゃないですか。
―「ジャパンハンドラーたちとの交渉にずっと当たってきたのが我々外務官僚である。そこを邪魔するな」と。「トップ同士で勝手に話をするな」ということですか。
内田 そうだと思います。本当の日米関係は、国会も官邸も知らないところでこの委員会で決まっているのだと思っている。だから、彼らが、米大統領でも連邦議会の議員たちでもなく、在日米軍総司令官が「アメリカのご意向」を専一的に代表しているという物語に居着くのは当たり前なんです。
少なくとも日米合同委員会の議論を公開にすべき
――近年では民主党政権が、そういう関係を見直そうとした経緯がありました。
内田 そうですね。この歪んだ日米関係を補正するためには、本気で政権交代しないと駄目ですよ。そして、少なくとも、日米合同委員会を公開にするところまではやらないと。
松竹 そこに踏み込む政権をつくろうとすると、本当に命がけでやらないと駄目だとは思いますね。
内田 そうですね。日本国内が日米合同委員会の公開に賛成しても、米軍が軍事機密を楯にとって「公開できない」と言ってくる可能性はあります。だから、この問題は日米合同委員会単体の手直しではなくて、米軍と米政府を切り離して、米政府を外交交渉のパートナーに据えるというふうにルールを替えないと解決しないでしょう。米国全体の国益と米軍の軍益との間には齟齬があるということを日本サイドから指摘して、われわれは米軍の利益よりも米国の国益を優先的に配慮するとはっきり主張しないと。
――その米軍と米政府の思惑がズレる部分に、いかに日本の政治家とか、あるいは市民運動もそうなのかもしれないですけど、そういう人たちが食い込んでいけるのか。そのためにはどうしたらいいのか、ということですよね。
内田 そうです。そのためにも、松竹さんみたいに、民間の人だけど軍事の専門家という人がもっともっと出てきてくれないといけないと思います。軍事のことというと、日本のメディアでは、どうしても少数の「軍事評論家」や元防衛官僚が独占していて、「素人が口を出すな」という雰囲気で、オープンな議論がしにくいように感じます。
でも、外交というのは政府間交渉だけじゃない。日米双方の市民がさまざまなチャンネルで情報を交換し、知見を共有することを通じて、両国の世論の形成に影響を与えることだって立派な外交です。そのためにも、日米それぞれの軍略について、多くの市民がオープンで、専門的な議論に参加できる環境をつくっていく必要があると思います。
―日米地位協定問題はおかしいと思っているリベラルの人は結構多いと思うんですけれども、リベラルの人の中で軍事的知識を持っていて、それを普通に考えていこうという人は割と少ないと思います。
内田 そうですね。そういうことを考えるためにも、この松竹さんの本はおすすめです。
松竹 ありがとうございます。
* 柳澤協二:元防衛官僚で、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」(略称:自衛隊を活かす会)代表。
プロフィール
内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。思想家。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論。主著に『街場の現代思想』(文春文庫)、『日本習合論』(ミシマ社)、『サル化する世界』(文藝春秋)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞)、『日本辺境論』(新潮新書・2010年度新書大賞)。『一神教と国家』『アジア辺境論』『善く死ぬための身体論』(集英社新書)等著作多数。
松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)
1955年長崎県生まれ。 ジャーナリスト・編集者、日本平和学会会員、自衛隊を活かす会事務局長。専門は外交・安全保障。一橋大学社会学部卒業。『改憲的護憲論』(集英社新書)、『9条が世界を変える』『「日本会議」史観の乗り越え方』(かもがわ出版)、『反戦の世界史』『「基地国家・日本」の形成と展開』(新日本出版社)、『憲法九条の軍事戦略』『集団的自衛権の深層』『対米従属の謎』(平凡社新書)など著作多数。