第2回 池田香代子×松竹伸幸
「この地位協定を見ていると、今の日本は生活習慣病で、健康体には戻れないような感じがする。(略)
運用面でどんどんアメリカの言いなりに要求を聞いていった。それがもう不可逆的なところまで来てしまっているんじゃないかと思うんですよね」 池田香代子
在日米軍の特権的地位を定めた日米地位協定。
「日米合同委員会」という密室で決められる、この不平等条約の問題点を一条ずつ徹底的に研究・解説した『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』を上梓したばかりの松竹伸幸氏と『夜と霧 新版』『ソフィーの世界』の翻訳や『世界がもし100人の村だったら』などで知られるドイツ文学翻訳家・池田香代子氏が対談。
構成・文=稲垣收 松竹氏撮影=三好妙心、池田氏写真提供=松竹伸幸
日本の法体系 にアメリカの支配がかぶさっている
―まず池田さんに、本書をお読みになっての感想をお願いします。
池田 地位協定を読んだのは初めてでした。でも、とにかく頑張って地位協定も行政協定も読みました。本の作りとしては、この2つが上下に並んでいて、その次に行政協定を地位協定に改定する際に、日本の官僚が変更してほしいと要望した点が囲みにあって、その後で松竹さんの論考が始まるわけですけど、具体的にニュースになったりして私たちが知っている事件や出来事が例に挙げられているので、すごく分かりやすかったです。
地位協定という本当に取っつきづらいものを、私みたいな者にも取っつけるように、はしご段を付けてくださってありがとうございます。
地位協定といえば山本章子さんの『日米地位協定』(中公新書)が、2020年度の石橋湛山(たんざん)賞を受賞しましたよね。あれもいい本ですが、今回の松竹さんの、逐条を読み解くというのは貴重なお仕事だと思います。どんな法律にしろ、全条を読む経験ってあまりないので。この本はすぐに全部読まなくても「買っておかないと恥よ」みたいな感じですね。
―重要な資料として取っておく価値もあると。
池田 そうです。地位協定って、私たち全員と関わりがありますからね。
でもこの本を読んで、やっぱり頭に血が上る、というのが正直なところです。よく「憲法の上に日米安保条約があり、日米安保条約の上に地位協定がある」と言う人がいますが、本当にそのとおりだと思いながら読みました。地位協定のために、たくさんの特別法が作られて、日本の法体系にふわっとアメリカの支配がかぶさっているのが見えるような気がして、幕末の不平等条約を思い出しました。日本には関税自主権もなかった。それを明治政府は50年くらい苦労して変えたと学校で習ったとき、子供だから「50年ってすごく長い」と思ったけど、地位協定は、もう60年。あの不平等条約を超えている。
明治政府は不平等条約を改定しようと努力したけど、この本を読んでいると、日本国はこの60年、地位協定を変えようとしてきたのか。改定のための1959年の要望にしたって、ひ弱だし、はねつけられたのも多い。いつまでも敗戦国扱いなんだなと思いました。
白井聡さんの『永続敗戦論』(太田出版)や、同時に、吉田茂か白洲次郎かが、「単に戦争に負けただけだ」(*白洲次郎「我々は戦争に負けたが、奴隷になったわけではない」)というふうに言ったのを思い出して、「主権国家って何だろう」と考えてしまいました。「私って本当は“国士様”だったのかな」と思うぐらい、頭に血が上りました。
「でも、そういうふうに条文だけ見て頭に血が上っていてはいけないよ」とこの本の中で松竹さんが、ところどころでなだめてくれるんですよね。「ほら、過去にこういう実例があったじゃないか」と思い出させてくれて。確かに世論や市民運動のやり方によって変えられる可能性はある。明文化されているからといって絶対のものではない。だから、なだめられるとともに、「あっ、私たちが頑張んなきゃいけないんだな」と考えたりしました。
松竹 私は20数年前に地位協定に関する共著を書いたりして、わりと長く地位協定には関わってきたんです。そういう目から見ると、まだ昔のほうが「なんとか主権国家でありたい」という願いがあった。それがだんだん時間が経つにつれて弱まってきた。そこが本当に悔しいし、どうしたらいいんだろうと思います。
最近改めて調べていたんですけども、1955年にいわゆる55年体制ができますよね。保守合同で、そのときの政策綱領などを見ていると、当時はまだ「駐留米軍の逐次撤退」ということを言っていたんです。
でも今、自民党の党大会で米軍の逐次撤退なんてことは、言わないし、安保条約についても、弱めるどころか「どうやって安保条約と抑止力を強化するか」ということだけになってしまっている。時代とともにそうなっていった。それに伴って地位協定の解釈も変わってきた。本にも書きましたが昔は「地位協定があるといっても、米軍に対しては日本の法律を適用するのが基本だ」と言っていたのが、「適用しないのが基本だ」みたいに何十年かかけて変わっていった。これは一体何なんだろうと。池田さんがおっしゃったように、「不平等条約だから少しずつでも主権を貫いていく方向に努力していこう」と思うはずなのに、そうならなかった。その理由を突き止めて解決していかなければならない、というのが、私がこの本を書きながら感じた中心的問題の一つです。
池田 今松竹さんがおっしゃったことを、もうちょっと御本の中から引用して付け加えると、最初のほう、3条「基地内外の管理」で、行政協定の「合衆国は……権利、権力を有する」とか「権能を有する」とか、どぎつい言葉が紹介されていますね。これを表現だけでももっとソフトにしようということで「すべての措置を執ることができる」と言い換えた、とありました。それとつながってるのが24条の基地にかかるお金、予算。いろんな設備を日本のお金で建て替えていく。
もともと59年のときには、権能とか権利とか言うとキツいからソフトな言い方にした。ところが、近年の予算措置のときには「その施設の建て替え費用をアメリカが出す義務があるとは書いていない」というふうに、とんでもなくアメリカに有利な方向に読み替えをしている。「この卑屈さって、何?」という感じ。だって、そういう趣旨じゃなかったじゃないですか。あきれたというか、やっぱり頭に血が上ります。
松竹 24条の思いやり予算のところでも、今どうなっているかというと、アメリカから新たに地位協定上、とても不可能、誰が読んでも無理だということを突きつけられたときに「地位協定を改定してアメリカの要求を実現する」というやり方もあるし、それなら問題がもっと分かりやすくなるのに、そういうやり方を取らないで、「今の条項でも、こう解釈できる」と、本当に法律上はあり得ないような解釈の逆転をしていく。それがいたるところにあって。優秀なはずの官僚が、そんなところに知恵と力を集中させているということが悲しくなりますね。
地位協定が外務省の権力の源泉になっている
池田 今おっしゃった、官僚の変遷、それがやっぱりキツイと思う。最後のほうに日米合同委員会の話が出てきて、日本側の代表は外務省の北米局とありました。多くの省庁から委員が出ているけれど、外務省、特に北米局がこれを取り仕切るわけじゃないですか。
いろんな省庁から地位協定に関する議題が出てくると、それを取り仕切る北米局が、日本側じゃなくアメリカ側について発想して取り仕切っている。
日米地位協定や日米安保条約が北米局の、さらには外務省の権力の源泉になっている。ひいては政権の権力の源泉になっている。それを強化しようとして、外国軍である米軍の日本における地位を強める、みたいな方向になっていくという、すごくグロテスクな国家の形が見えてくるんじゃないか、と想像をたくましくしたんです。
松竹 おそらく外務省の中でもいろんな変遷はあると思うんです。行政協定を地位協定に変える交渉に携わった人たちの中心は、戦前からいて、アメリカを敵とみなして外交を展開していたような時代の人もいたんだろうと。あるいは自民党だって、先ほど紹介したように、「在日米軍はそのうち、逐次的ではあるけども撤退させるべきものだ」と思っていた時期があるんです。
私、90年代の初めに国会議員の秘書を5年ほどやっていたことがあって、当時、労働省の官僚と付き合いがあったんです。90年前後の労働省には、まだ戦後すぐ新憲法とか労働基準法ができたときに胸躍らせて官僚になった人も大分いたんです。ある労働基準監督官に、なんで監督官になったか尋ねたら、マルクスの『資本論』の中に労働基準監督官が労働者のおかれている現状を告発する場面がたくさん出てきて、自分はそういう仕事をしたいと思って監督官になったんだ、と。外務官僚や防衛官僚にも、出発点はそういう人たちがいたと思う。みずみずしい感性を持った官僚が国家の行政を担っていた時代が確かにあった。
彼らが、この59年の行政協定改定交渉に見られるように、「アメリカと自民党の方針だから、ここまでしか変えられないよ」という枠内であっても、何かを変えようとした。それが挫折する。60年以降もいろいろあったけども、何か努力しようと思っても結局ダメになる。それが5年、10年、20年、30年と続く中で、意欲さえなくなってしまった。
外務省の中では、池田さんがおっしゃったように北米局の力は強まっていくんだけども、条約局というのがあって、「国際法の原則は大切だ」という矜持があって、国際法の精神と軍事的必要性がバッティングし、闘うような局面があったはずです。その中でだんだん条約局が沈んでいった。
それでもまだ日本には内閣法制局があって「憲法上はこうなんだ」という主張をしようとしたと、今日の朝日新聞に載っていましたが、いつしか、法制局でさえ政府の都合で憲法解釈を根底から変えるような役回りを演じるようになる。地位協定への改定からの何十年間を見ると、そんなことが言えるんじゃないかと思います。
池田 戦後すぐに吉田茂が若手の外務省の職員たちに、「なぜこんな戦争をして、なぜ負けたのか分析しろ、日本の外交を分析しろ」というふうに言ったじゃないですか。そのとき分析に携わったような若手の人たちがちょっと上に上がって目を光らせていた時期でもありますよね、59年というのは。そういう「単に戦争に負けただけだ」という気概で闘おうとしたんだけれども、59年の交渉では全然変わらなかった……。
その後、この地位協定が外務省の省益につながる、と気づいた官僚たちがいたんだと思う。だからどんどん、一般的なことと特別なことがひっくり返っていく。
松竹 当時はとにかくアメリカの言うことを聞かないと、日本が独立させてもらえるか、もらえないかという局面ですから、「とりあえず独立のほうが先だ」というような判断は、あり得たと思います。あれだけの戦争をしでかして、6年余り米軍が駐留して、日本の政治全体を改造するみたいにやってきて「こういうのは嫌だ、早く抜け出したい、だからここは譲歩しよう」みたいな考え方はあり得た。ただし「駐留米軍は逐次撤退するんだ」というのが政治でも行政の側でも了解事項だった。しかし結局、それが60年の安保条約、地位協定締結の過程で貫かれなかった。貫こうと思った部分も、その後ダメになっていく。そこは一体何なんだろうか、と思いながらこの本を書きました。
沖縄返還がターニングポイントだった
松竹 米軍は、軍事訓練を行うにしても、アメリカ本土では市民の暮らしや権利を侵害しないように、民主主義国家としての体裁を貫くというのが両立するんですよね。
池田 アメリカ国内ではね。オバマ時代には、ミシガン州のフリント市の廃墟になった市街地で実弾演習が行われましたけど、あれは例外中の例外でした。
松竹 アメリカ国内では。でもアメリカにとって、日本はアメリカの議会制民主主義の範囲外だから配慮しないわけです。日本政府には結局、決定権、裁量権がない。従属・支配という構造の下では、軍事優先であることと国民の権利や暮らしを尊重するということが両立しない。だから、そういう構造そのものを変えていく必要がある。なぜ地位協定を変えなければならないかというと、その支配・従属の構造を変えなければならないからです。
池田 でも今の官僚からはもう「地位協定を変えなければいけない、日本の人々の人権を守る方向を向かなきゃいけない」という発想が出てこないじゃないですか。自分たちの省益しか考えていない。特に外務省は、さっきも言ったように地位協定を権力の源泉にしている。
もう一つ、松竹さんがお書きになっていて、なるほどと思ったのは、長い間の地位協定の運用の仕方の積み重ねの中で、条文のニュアンスが、日本が主権を失っていく方向に変わってきた、ということです。条文自体もさることながら、運用ってすごく大切なんだなと思いました。
そして、運用の仕方に節目がある、72年の沖縄返還だ、とお書きになっていますね。これはグサッときました。沖縄が返還されるけれどもアメリカはこれまでどおり沖縄を自由に使いたいから、それに対して日本政府が配慮したということは、これまでもいろんな人が言ってきましたが、地位協定の運用をめぐって「沖縄返還がターニングポイントだった」と松竹さんが言い切ったのは大きいと思います。
松竹 沖縄返還のときに米軍は、日本の本土で地位協定がどう運用されているのかすごく研究したんです。沖縄で自分たちがこれまで自由にやってきた。それが今後、日本の法律が適用され、地位協定が適用されることになると、すごく制約されるんじゃないかと。だから事前に1、2年かけて研究して「日本の地位協定は確かにこうなっている。でも、ここに穴がある。ここで米軍の権益を主張していけば、事実上、自由に使えるぞ」みたいな研究を相当やったんです。軍隊は戦争することによって国家の権益を守る。だから、その戦争をちゃんとできるようにするための解釈を自分たちで作ろうとするわけです。
でも米軍がそれだけの作業をやったのに、日本側には、沖縄が返還されてきて、「本土を沖縄みたいな使い方はさせないためには何が必要か」と考えて研究した官僚はいなかった。米軍が必要だと思ってやることと、日本国として米軍に配慮することはあるにせよ、「日本国民にとってどうなのか」ということを考える人たちがいて、「軍事上の運用はそうだとしても、国民の権利からすればどうか」ということが議論されなくてはいけないのに。
池田 そこは綱引きしないといけないですね。
松竹 そう。議論を闘わせて……。
池田 それで初めて落としどころができる。
松竹 そう。でも日本の場合そうならなかった。打開する鍵は「日本国民のために何が必要か」ということを考える官僚がいて、彼らが本当に自由に、大胆に物が言えるかどうか。そういう点で外務省はあまり期待できませんが……。
池田 今それを聞いて改めて絶望してしまったんですけど、この行政協定の改定問題にも関係するけれど、「せめて民生に対する悪影響を最小限にしよう」と頑張った官僚たちもいたと。確かにそうやって頑張る官僚たちはいたと思うし、今もいると思います。だって今、新型コロナでたいへんな財政出動しているので、「財政規律がどうの」と財務省が言えなくなっている。その間隙を縫って文部科学省が35人学級というプランを通してしまった。
文科省のお役人一人一人は皆、昔から少人数学級がいいに決まってるということを分かっていた。だからコロナのどさくさに紛れて「えいっ」とやっちゃった。策士みたいに、できるときにスッと政策を通しちゃう官僚というのは、文科省だけじゃなく他の省にもいると思う。政権があまり重視していないところでは、奇襲作戦的に通しちゃうことはできるんだけれど、日米関係とか安全保障など、国のあり方の根幹に関わることでは、なかなか政策を通したり実現することはできない。それどころか、組織の中で出世しようとしたら時の政権にいい顔しなければいけないので、地位協定の運用の面でも後戻りができないくらいな変質をきたしてしまったんだな、と感じました。
プロフィール
池田香代子(いけだ・かよこ)
1948年東京生まれ。ドイツ文学翻訳家。著書に『哲学のしずく』(河出書房新社)、『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)、『花ものがたり』(毎日新聞社)など。主な翻訳にゴルデル『ソフィーの世界』(NHK出版)、フランクル『夜と霧 新版』(みすず書房)、『完訳クラシック グリム童話』(全5巻、講談社)などがある。『描たちの森』(早川書房)で第1回日独翻訳賞受賞(1998)。
松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)
1955年長崎県生まれ。 ジャーナリスト・編集者、日本平和学会会員、自衛隊を活かす会(代表・柳澤協二)事務局長。専門は外交・安全保障。一橋大学社会学部卒業。『改憲的護憲論』(集英社新書)、『9条が世界を変える』『「日本会議」史観の乗り越え方』(かもがわ出版)、『反戦の世界史』『「基地国家・日本」の形成と展開』(新日本出版社)、『憲法九条の軍事戦略』『集団的自衛権の深層』『対米従属の謎』(平凡社新書)など著作多数。