一週間 ――原発避難の記録 第7回

岩崎秀一さん(福島県富岡町小良ヶ浜)

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富岡第二小学校の教頭先生として働いていた最中に被災。その後、川内村、会津若松市、郡山市と転々と避難した。現在、富岡町教育委員会教育長を務める。

インタビュー/構成 吉田千亜

 

三月一一日

 地震があった2時46分には、富岡第二小学校にいました。職員室に1人でいたんです。1年生は下校をしていて、2年生以上は学校にいました。
 地震はかなり揺れました。職員室の先生方のスチールの机あるじゃないですか。結構荷物が入って重いんですけど、あれが踊りました。机は重みに耐えられなくて脚がポキーンって折れましたね。防犯カメラの映像観るためのモニター、それも落っこちてきましたし。後ろに私が置いといた本がバタバターっと崩れてきましたし。立てなかったっていうのが正直な話ですね。座り込むというか。
 でも、私にはやることがあったんですよ。放送で全員に避難指示しなくちゃいけない。次の指示与えなくちゃいけない。で、机伝いに歩いて行って、放送席にまでついてピンポーンと鳴らしてしゃべろうと思ったらばバチーンと停電になったんです。揺れている最中です。1回目の大きな揺れ。あれがおさまりかけてからバチーンと切れたんですよ。
 で、次何するかって考えた時にハンドマイクでしゃべんなくちゃいけないなぁって。ハンドマイクを持って、行こうと思ったら、2回目の大きな揺れが来てなかなか出て行けなくて。廊下に置いてあったショーケースなんかも倒れて割れちゃいましたし……あとは昇降口の子供たちの下足入れ、スチール製、あれも全部将棋倒しでバタバタバターっと倒れたんですよ。
 学校には、516人いました。各学年3クラスずつと、特別支援学級が1クラス。伝達に行けたのは、1階だけでしたね。2階と、北校舎と南校舎には、行ける揺れじゃなかったんですよ。
 とりあえず1階に行って、4年生の教室のところに行って、様子を見て……机の下に子供たちはもぐって、泣いていました。もう怖かったんでしょうね。あの時は、担任の先生がすごかったと思います。慌てず、訓練どおりにやっていましたし。
 ただ、逃がすタイミングがとれなかったんですよ、最終的には担任判断に任せるしかないな、と思いました。何かあったら校庭に避難するし、避難経路もわかっていますから。それを全部先生方がおさえていて冷静に誘導したので、子供は全員助かったんだろうと思います。みんな上履きのままでした。そういう訓練していますから。自分のいる教室の一番近いとこからどうやって逃がすかって多分担任の先生が色々考えて。それで逃げたのがよかったと思います。倒れてくる物が廊下にありましたから、よくそこに当たらなかったなぁと思いましたよ。

 担任は()(ぜん)としていました。「大丈夫だ大丈夫だ」って。内心はドキドキしていたと思いますけど、担任がパニック起こさなかったので冷静に避難できたんだろうと思います。
 私は、教頭の仕事があったんで、1階2階3階全部回ったんですよ。残っている子供がいないかどうかってことを確認しなくちゃいけないじゃないですか。本当は北校舎はだれだれ先生、南校舎はだれだれ先生っていう役割分担ありますけど、あの状態では担任の先生方は子供逃がすのが精一杯だろうなと。だから、揺れを感じながら1階2階3階全部回って声かけて、いないってのがわかって初めて校庭行きました。
 校庭に避難できたのは3時近くですね。余震がおさまりかけた時に「出ろ!」って言って。校庭の様子は……みんなで丸くなって集まってしゃがみこんで泣いている。で、泣かない子供は、泣いている子を慰めている。そんな状態でしたね。先生がともかく「大丈夫だ、ここまで来たから安心だ」って声をかけて。あとは保護者が来るのを待っていました。
 心配した保護者がやっぱり集まってきたので、顔と、名前を確認して保護者に子供を引き渡すって作業を3時過ぎあたりからやっていました。そのあと雲が空を覆って真っ暗になって雪降ってきたんですよ。いきなり。で、「これでは寒い」って話になって、「じゃ、どこ行こうか」と。で、校舎はちょっと危ないって話になって、たまたま富岡第二小学校は体育館が新しかったんです。耐震工事が終わって新しくてまだ10年も経ってなかったんで。そこにさくらホールっていう場所があったんですよ。全校集会なんかできるような広い場所があって。とりあえずまだお母さんお父さん迎えに来ない人はそこに避難しようということで、雪から守るために4時頃に、さくらホールに2次避難をしました。その時には、半分以上子どもたちは残っていました。
 引き渡しは夜まで続きましたが、4人だけ保護者が来なかったんです。そこで、若い女の先生を2人つけて、「ここで一緒に寝てくれ」って言って朝まで過ごしましたね。
 5時くらいに、役場職員の方が来たんです。富岡二小の体育館を避難所にしますから貸してくださいって言われて、今度はそっちの方のお手伝いにまわったんですね。私がやった仕事ってのは誘導だったんですよ。信号機も全部消えたじゃないですか。街灯も消えました、真っ暗です。で、どこから入ればいいのかっていうことを誘導しなくちゃいけないと思って「校門から入っても車停められません」って言ってもらうために、若い男の先生が校門前に1人。信号機のところに1人。そして校庭の入口のところ開けてそこに1人。合計3人を道路にたてて、その誘導で校庭の中に入れるようにしました。絶対混乱するなと思ったんで。避難してきた人たちは、富岡第一小学校区の人たちが多かったです。つまり、津波被害があった学区です。
 電気もつかなかったし、電話も不通です。学校の電話もダメでした。停電になった瞬間にもうアウトですから全部。パソコンもダメでしたし。学校にあるラジオを「全部出せー」って、それをあちこちに置いて、音量全開にしろ、って。それで情報を得ていましたね。でも津波のことは知りませんでした。誘導している途中でいろいろな保護者から話を聞いて、「あ、津波が来たんだ」って。私の住む小良ヶ浜には絶対津波は来ないだろうと思っていましたから。情報がほんとに入んなかったですね。というか、情報を収集している余裕がなかったっていうか。今ここに避難してきた人たちをどうするかなぁって。
 全校生徒よりは多いのは分かったんですよ。体育館中にブワーッといるじゃないですか。全校で516人って言ったじゃないですか。でも体育館に全校集会で集まった時にもうちょっと周りにスペースあったなと。ゆうに500は超えているんだろうなって見た目にわかりました。校庭も満車でした。300台くらいは停まっていましたね。
 夕飯とか水とかそういう食べ物については役場職員が全て調達して来ました。ただ、あったかい食べ物とかはなくて乾パンだったんですね。
 駐車場の誘導がひと段落してから、先生方に「避難所の方は役場職員がいるから、じいちゃんばあちゃんとかちっちゃな子供たちがいる先生は帰れ」って言ったんです。「安否確認してもし来られるようだったらば来てください。うちの方がひどい状況でダメだった場合には月曜日にまたここに来てください」っていう話をしたんです。「ただし独身だけはここに残ってくれ」って言って。
 校長先生は双葉町の海が近いところに住んでいて、「ちょっと家が心配だ」と自転車で戻ったらば津波で流されちゃっていた。がれきで一杯で入れなくて戻ってきたんです。
 暖房が何もなかったんで、役場職員が、消防団や行政区長に、発電機があるところは持ってきてくださいと話をして、あとは投光器を集めて。学校に用意してあったブルーヒーター、ストーブ、それを全部活用して暖をとっていたんですね。多分灯油は役場職員が遠くから手配してくれたと思うんですけど。朝までずっと()いていましたね。学校にある体育用マット全部出して、パイプ椅子全部出して机も全部出して。みなさんには、おにぎり配布していたかもしれないですね。意外と腹減らなかったですね。やらなくちゃいけないことがいっぱいあったんで。
 一応「交代で寝っぺ」って話はしたんですけど、結構電話かかってくるんですよ。「そちらにうちの家族、避難していませんか」っていう電話があるとメモを取って若い先生に、「はいこれ行ってこー」っつって体育館に走らせて。「10分後にもう1回電話ください」ってその方には言って。私は職員室に詰めていましたね。電話が鳴って「あ、1本だけ回線が生きている」と思った途端、その後はずっと電話対応で。職員室から体育館まで走る若手も置いて。暖房もなく、電気も非常灯もなく、見回り用の懐中電灯を職員室の真ん中に置いて天井を照らして、そのわずかな光の中にいたんです。あとは保健室から毛布とマットを持ってきて。
 実は、夜の10時頃、1度、自宅に車で帰りました。職員駐車場に置いてあったから私の車出られたんですよ。連絡も取れないし、「うちどうなってっかなあ」って思って。家族5人無事がわかりました。電気を使わないストーブが1台あって、それでおじやを作っていて、そこでおじや1杯食ったんだ。「じゃあみんな無事ね、避難所で忙しいからまた学校戻るわー」って戻ったんですよ。無事を確認すればいいかなって思ってあとは戻りましたね。

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 第6回
一週間 ――原発避難の記録

2011年3月11日からの一週間、かれらは一体なにを経験したのか? 大熊町、富岡町、浪江町、双葉町の住民の視点から、福島第一原子力発電所のシビアアクシデントの際、本当に起きていたことを検証する。これは、被災者自身による「事故調」である!

 
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岩崎秀一さん(福島県富岡町小良ヶ浜)

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