高額療養費制度を利用している当事者が送る、この制度〈改悪〉の問題点と、それをゴリ押しする官僚・政治家のおかしさ、そして同じ国民の窮状に対して想像力が働かない日本人について考える連載第11回。
昨年(2024年)冬に政府が高額療養費制度の〈見直し〉案を提唱したのは、「国民医療費上昇の倍のスピードで高額療養費が増え続けているため、自己負担上限額の引き上げはやむを得ない」、という理由だった。政府はまた、「このまま国民医療費が増大し続ければ医療保険制度や国家財政を圧迫し、社会保険料もさらに増加の一途を辿って国民皆保険制度の維持が難しくなる」と長年にわたって主張し続けている。
この主張の正当性はともかくとしても、自分たちが支払う社会保険料負担が年々重くなっていることは、現役世代の間で広く共有されている実感だろう。7月の参議院選挙では、この重い社会保険料負担の軽減を大きな論点のひとつに取り上げる政党や陣営もあったのは周知のとおりだ。
では、この国民医療費の伸びや社会保険料の負担増という(政府の主張する)国家的・国民的課題に対応していくために、高額療養費制度の自己負担額引き上げはどうしても避けられないことなのだろうか。今回は一橋大学教授の高久玲音氏(医療経済学・応用ミクロ計量経済学)に、日本の医療制度や社会保障全体を視野に入れた多角的で広い視点から、高額療養費制度との関わりについて話を聞いた。
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「社会保険料の負担感が重く感じられる理由は、やはり、所得が低い人ほど保険料率が高くなるような仕組みになっているので、それが非常に大きいのではないかと思います」
そもそも、社会保険負担がそれなりに高い金額であったとしても、それをカバーできるだけの充分な収入があったり、あるいは支払った保険料に見合う以上のサービス(給付)を手厚く受けることができているのであれば、社会保険料に対してここまでの、「重い、苦しい」という重圧〈感〉は覚えないだろう。
「たとえば健康保険料の料率は、高所得の人が多い大企業の場合だと非常に低い場合があるようですが、大企業よりも給与の低いことが多い中小企業の加入する協会けんぽでは10%です。そのように、全体としてある種逆進的になっているため、所得の低い方たちの負担はさらに重く感じられているのではないでしょうか」

一般に大企業は自社グループや企業単一で独自の健保組合を設立しており、同業種企業が共同で設立している場合もある。2025年4月1日現在では、日本全国で1372組合が存在している(健康保険組合連合会「けんぽニュース」)。一方、中小企業従業員とその家族が加入する健康保険が、協会けんぽ(正式名称は全国健康保険協会という法人組織)だ。また、公務員や学校職員にはそれぞれの共済組合があり、企業に属さない自営業者などは、都道府県が保険者となる国民健康保険に加入している。これら各保険の加入者は、自分たち以外の保険がどのようなシステムになっているのか理解していない(そもそも理解する必要がない)のが通常だ。
このように、現役世代の人々が所属保険ごとに「分断」されているために、負担に格差がある現実が認識されていない、と高久教授は指摘する。
「皆が負担を感じているから全体的に減らそう、という話になりがちですが、現役世代の加入保険では比較的料率が低い健保組合をもう少し上げる方向で是正したり、一方で協会けんぽの保険料率はもう少し下げる、といった調整の余地はかなりあるでしょう。ただし、大企業の健保組合は保険料率を公表していない場合が非常に多いので、それを知るためには情報公開請求が必要になります。負担の話に皆がこれだけ関心を持っているにもかかわらず、適正な議論がなされないのは、このような情報のなさがひとつの要因になっているのではないかと思います。
国保の場合はさらに料率が高くなります。ウェブサイトで保険料を試算できる自治体もあるので試みに計算してみたことがあるのですが、夫と妻がともに100万円で子供がひとりという低所得の世帯を考えると、保険料はおおむね年間36万円で、夫婦それぞれの保険料率に直すと18%に上ります。協会けんぽの場合は、10%の料率を労使で折半するので、被保険者の自己負担は5%です。それと比べると、この国保の料率はほとんど払えるような金額ではない。もちろん減免措置がある場合もあるが、所得の低い方たちが集まる保険で負担感が非常に重い制度設計になっていることが、負担を受け入れられない、と多くの人が考える遠因になっているように思います」
この保険料負担の格差を抜本的に調整して
「後ろ向きのまま放置されている理由は、保険料負担の格差があまり国民に伝わっていないから、ということは非常に大きいと思います。受ける医療サービスは保険によって変わることがなく皆が同じなのに、なぜこんなに保険料率が違うのか、ということを誰も厚労省に説明を求めないので、厚労省もこのままでいいのだろうと思っている。だけど、誰も厚労省に説明を求めない理由の根源は、情報が公開されていないからです。世論がもう少し盛り上がる土壌が必要だし、これは国民の『知る権利』に該当する情報だとも思うので、行政的権限で開示を義務づけるくらいのことはしてもいいのではないでしょうか。国保については、保険料算定の計算方法も複雑で、あまりにも細かい地域単位で保険料率が大きく異なるために、誰も自分の負担がどれくらい他の人と比較して重いのか判断できないという点も大きいでしょう。」
このように、料率の異なる健康保険の種類がいくつも存在する現在の姿が、さまざまな弊害を生み出す原因にもなっている、と指摘する高久教授は、それらの保険をたとえば都道府県ごとに一本化すれば問題の多くが解決するだろう、と提案している。
「社会保険で大事なのは、給付と負担が見合っているかどうかを国民がチェックできることです。保険料で支払った分がこれだけあって(医療サービスの)給付として返ってきている分がこれだけある、ということが国民に理解できる形でなければ、いろんなことに納得を得て(制度改革や改善を)進めることができません。
保険がこれだけ分立している状況だと、たとえば夫婦共働きで加入している保険がそれぞれ違うと、子どもは妻の所得が上になると妻の保険に入り、夫が上になるとその保険に入る、というふうに保険の移動を何度も繰り返す例は珍しくありません。そのような非効率が目立って多くなっているように思いますが、都道府県ごとに保険が一本化されているとすれば、このような問題が生じることもありません。
昔よりも雇用が流動化している現代は、誰もが同じ企業にずっと勤めて同じ健康管理を受け続けるという時代ではないので、保険がこれだけ分立していることで様々な不都合が大きくなっていると思います。転職した場合でも(保険者を)移動する効率性が損なわれない保険のありかたを考えると、やはり地域単位である程度の大きな保険を一括して持っていたほうが、国民の手間も省けていい。今の日本の国民皆保険制度はいろんなパーツが組み合わさって成立しているような状態で、それをある識者は『寄せ木細工のような皆保険』と形容していますが、私はむしろ『魔改造を繰り返してきた皆保険』(笑)、といったほうが妥当ではないかと思います」
この保険制度の「魔改造」は、医療保険の最後のセーフティネットであるはずの高額療養費にも、制度のバグという形でさまざまなしわ寄せが及んでいる。そのバグのひとつが、当連載でこれまで何度も指摘してきた、保険者が変わると多数回該当がリセットされて高い支払い上限額に再設定されてしまう、という問題だ。だが、その問題も保険を都道府県ごとに統合することで解決するだろう、と高久教授は言う。
「転職で職場が変わっても、居住地が同じ都道府県なら多数回該当もリセットされないことになります。現在の国保だと保険者が都道府県なので、県境をまたぐ引っ越しをすると転職の場合と同じように多数回該当はリセットされてしまいますが、そのようなことが発生する原因は都道府県間の情報の受け渡しがうまくできていないからだと思われるので、国全体のデータベース的なもので管理をする、などの方法で解決可能な技術的問題でしょう。たとえばマイナンバーを利用するなどすれば、移動の履歴を把握することくらいは可能だろうし、むしろ可能でなければ困りますよね。
保険が変わると追跡できなくなってしまう事象は、我々が研究対象としていろんなデータを解析する際にもよく問題になります。魔改造を繰り返してきた保険制度を簡素に改めることは、国民の不公平感を減らすことにも役立つので、非常に重要だと思います」
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。