高額療養費制度による不利益を訴える国賠訴訟を
高額療養費制度は、国民皆保険制度の最後のセーフティネット、と言われている。また、この高額療養費制度を擁する日本の社会保険制度は〈世界に冠たる〉制度だと政府関係者や厚労省関係者は長らく自画自賛してきた。
ところが、そのような自称〈世界に冠たる〉制度のもとでも、自己負担が高額すぎるために多くの人が破滅的医療支出に瀕し、あるいは治療を断念せざるをえないほどの困窮状態に追い込まれている。そういった悲痛な事例は、政府〈見直し〉案に対する抗議活動の一環として、全国がん患者団体連合会などが1月に行った緊急アンケートの3600件を超す回答にも、多数寄せられていた。
その一方では、今回の記事冒頭で斎藤氏が述べているとおり、この問題が法曹界ではあまり認識されてこなかったのも一面の事実だ。しかし、たとえば当事者の誰かが訴訟を提起すれば、現行制度の不平等さに起因する不合理な困窮や健康や生命を脅かす状況に対する社会の認識が大きく変わる可能性がある、という。
「本来は、そのような動きがなければいけないのだろうと思います。こんなに高い自己負担額だと自分は治療を受けられない、かたや収入や保険の種類によっては受けられる人がいる、という不合理性を示す訴訟があると、社会の理解も違ってくるでしょう。今のところそのような具体的な依頼者さんに私はお目にかかったことはありませんが、実際にそういう状況に追い込まれている人はいるでしょうから、その人が裁判を起こせば社会を動かし、問題を解決していく力にもなると思います」
その場合は、おそらく国家賠償請求の裁判になるだろう、とも斎藤氏はいう。
「高額療養費として給付されるべきお金が少ないのでその差額を払え、という裁判も形式としてはあり得ると思いますが、その場合はどこが本来あるべき水準なのか示しにくいので、そうだとすると、制度に差別されて大変な状況にあるという理由で国家賠償の慰謝料を請求するほうがわかりやすいでしょう」
生存権や平等権に関する憲法違反の訴訟、ということでいえば、生活保護の朝日訴訟がよく知られている。これは憲法25条が保障する生存権について、朝日茂氏が1957年に生活保護の増額を求めて起こした裁判で、これを契機に生活保護の支給基準が「健康で文化的な最低限度の生活」を満たしているかどうかという社会保障の認識が世間的にも高まる契機になった。
だが、高額療養費や医療制度の不合理性については、生活保護における朝日訴訟のような水準点となる裁判例は、おそらく過去にも提起されたことがない。
「生活保護の場合は支援組織も強いので、こういうところに相談に行けばいい、議員さんに相談に行こう、というような形でつないでもらえるでしょうが、医療費の支払いでお金に困っている人が頼れるルートは、現状ではあまりないのかもしれません。
それでも、たとえば治療費に困っている人が相談に来たら、破産手続きもひとつの方法かもしれないけれども国家賠償という方法も考えられますよ、と提案することはできるかもしれません。国賠で療養費を賄うことは現実的に期待が難しいかもしれませんが、制度を変えるために一緒に頑張ってみませんか、と誘うことはありえるでしょう。ただし、高額療養費で医療費の支払いに困って相談に来る人がいることがあくまでも前提になりますけれども」
また、このような問題を裁判として世に訴えかけるのであれば、たったひとりで提起する場合でも社会を動かす力には充分になり得る、と斎藤氏は言う。
「集団訴訟でなくても全然構わないと思います。たとえば電通の若い社員が過労で亡くなった事件やNHKの過労死事件などもそうですが、問題をえぐり出すような事案であれば、原告はたった一人であっても世の中を動かす力になるでしょう。優生保護法の訴訟などでもわかるとおり、裁判というものは社会に大きく訴えかける力になり得ます。だから、高額療養費の平等権や生存権に関する違憲性の問題も、そこにつないでいくことがすごく大切なのだと思います」
プロフィール

西村章(にしむら あきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。