情熱のラーメン 第2回

ラーメンを教える学校「食の道場」【後編】

材料費のシビアな内訳、中国から来た男性の夢
神田憲行(かんだ・のりゆき)

上海からやってきた挑戦者

「食の道場」を卒業しても、いきなり開店にはまだ練習が足りないと感じる人もいる。そこで道場では敷地内に仮店舗を造り、卒業生のための仮設ラーメン店を営業させている。値段は1杯500円という決まり。安いから車で食べに来る人も多い。不味ければ客は面と向かって文句を言ってもいい。修業のラーメン店である。

 私が取材で訪れた2020年10月には、「麺匠天馬」と看板を掲げたお店がオープンしていた。店主の黄琦(こう・き)さんは上海出身の53歳。2018年に神戸から来て「食の道場」で学び、2019年12月からここを借りてこの店をやっている。

黄さんが敷地内で営業しているお店  撮影/神田憲行

 黄さんがラーメン店をやりたいと思うようになったのは、今から7、8年前。地元・神戸にある老舗のラーメン店でアルバイトをしたことがきっかけだった。

「日本のラーメンはスープや麺、タレなどいろいろなパーツを組み合わせて無限に可能性があって面白いと思いました。また同じラーメンでも作る人で味が違うところも興味深い」

 中国の方が日本のラーメンを学びに来るというのは面白いというか、不思議な感もある。そういうと黄さんは笑いながら手を振って、

「まあ、そうかも知れませんね。でもたとえば日本の醤油ラーメンは中国の醤油ラーメンにはない繊細さがあります。白湯(パイタン)ラーメンも中国のそれより濃度が高くて美味しい。私は中国のラーメンでなく日本のラーメンに魅力を感じたんですよ」

笑顔の黄琦さん 撮影/神田憲行

 そこで2018年に「食の道場」に入学してラーメン作りを学んだ。

「大変ハードでしたね。ラーメンはパーツを組み合わせることで無限に作れると言いましたが、ここではそのパーツを作るところから始めるので、よけい難しかった」

 卒業後はいったん上海に戻り物件を探すが、黄さんが想像していた以上に上海の飲食物件の賃料は高騰していた。諦めて神戸にまた帰り物件を探すが、なかなか理想のものに会えていない。諦めようとしなかったのか。

「それなんですが、最初にラーメン店を造りたいと7年くらい前に思って、それからずっと自分の頭の中からそれが離れないんですよ。どこか片隅に必ずある。これは自分は本当にラーメン店をやりたいんだなと思った。たとえ失敗しても、やらないと後悔すると思ったんです」

 道場とは卒業後も中国人生徒の通訳などの仕事を通じて行き来があり、その過程で秋本さんからここでの仮オープンを勧められた。店名の「天馬」とは自分が午年の生まれで、天を翔る元気なイメージから付けたという。

 作るラーメンは豚骨醤油のスープだ。自分が一番好きなラーメンという。豚骨スープは下処理などを終えたあと、仕上げでコトコトと5時間豚骨を煮る作業があり、手間がとてもかかる。

「大変ですが、生活がかかったラーメンですから」

 と黄さんはまた笑う。

黄さんが作ったラーメン。とんこつ醤油のスープに焦がしたネギが癖になる 撮影/神田憲行

「ここでお店をできることは本当に自分にプラスになっています。接客の勉強もできるし、新しいメニューを考えるときに秋本さんたちからアドバイスももらえる。大きなメリットですね」

 トッピングは海苔と炒めたネギ、チャーシュー2枚とメンマ。500円のラーメンらしい素朴な佇まいだ。でもこの売り上げの中から、黄さんは神戸に残してきた妻子に仕送りをしている。「生活はとても苦しいですが、夢がありますからね」。中国から日本にやってきた男性が50代で一からラーメンの修業をして、500円のラーメンの中から妻子に仕送りをしている。スープ一滴、麺一本、おろそかにできようか。丼の底のスープまで残さず飲み干した。

  当初、黄さんはここで2年間の修業を積むつもりだった。だが2020年12月、突然店を畳んで神戸に帰ることにした。「コロナの影響ですか」という私の問い合わせに、電話の向こうから「そうですね」とつぶやいた。

「でも私はラーメン店を造ることは諦めていませんよ。いまは残念ですが、必ず自分の店を持ちます」

 新型コロナウイルスは既存のラーメン店をなぎ倒すだけでなく、これから立ち上がろうする者の店も砕いた。だが、黄さんの夢を奪うことはできない。

 

ラーメンを教える学校「食の道場」 終わり

 

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第1回  
情熱のラーメン

 日本全国に1万 8000軒。新規開店と閉店の「新陳代謝」を猛スピードで繰り返す、熾烈な市場競争。それでも、自分の一杯を極めるマニア性と一攫千金も夢ではない山師的な魅力は、多くの人々を惹きつけてやまない。  なぜ彼らはレッドオーシャンに飛び込むのか。その先に待っている世界の魅力と過酷な現実とは? ラーメンに夢中になり、人生を賭けた人たちの姿を追う。

関連書籍

「謎」の進学校 麻布の教え

プロフィール

神田憲行(かんだ・のりゆき)

1963年、大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。大学卒業後、ジャーナリストの故・黒田清氏の事務所に所属。独立後、ノンフィクションライターとして現在に至る。主な著書に『ハノイの純情、サイゴンの夢』『「謎」の進学校 麻布の教え』、最新刊は将棋の森信雄一門をテーマにした『一門』(朝日新聞出版)。

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ラーメンを教える学校「食の道場」【後編】