マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む 第8回

「ステイホーム」でスマホから離れられなかった私たちが、ポスト・トゥルースについて考えるべきこと

⑧美徳なき時代
上岡伸雄

 市民生活のこうした実際的な現実に目を向けなければ、我々はやっていけないように私には思われる。そして、我々が日常生活で退屈しのぎの装置に没入していることで、この現実が果てしなく再生されていくさまに目を向けなければ。ソーシャルメディアは健全な公的言説の代替としては不適切という以上に悪いものであり、激しい非難や長広舌、日々の出来事に対する暴力的反応を引き起こしたりする。我々個人のわずかばかりの意味を拡張するツールとして、あるいは無感動からの小休止として、我々が依存するようになるものが、結局のところコミュニティを空洞化させ、分離を促進するという、相殺する効果をもたらしてきたのである。したがって礼節の擁護者たちは、これまで支配的だった慎みに基づく希望的な主張を捨て、その代わり、体系的に歪められた言説の分析を含む議論の方向を模索しなければならないだろう。言説が体系的に歪められるなど、かつてはイデオロギーに偏った、あるいは狂気に偏ったときしか起こらないと思われていたのに──たとえば、そうハーバーマスは考えていたのだが。同時に、我々があまりによく知っているように、「礼節」という考え自体がまさに熱い議論を招く概念となっている。たとえば2018年の夏、ホワイトハウス報道官のサラ・ハッカビー・サンダース──はぐらかしと敵意で悪名高い、トランプ政権の応援団──がヴァージニア州のレストランで退席を求められたとき、それに対する非難の嵐と政治生活での礼節を求める声が湧き起こった。レストラン側の要請に無礼な部分が特にあったわけではない──サンダースとその一行はアペタイザーをすでに頼んでいたが、その料金は請求されなかった。しかし、当然ながら反発は素早く、口汚く、まさに礼節を欠いていた。そして、こういうことがえてしてそうなるように、礼節を求める声は活動家や支援者たちによって無礼に退けられた──礼節は政府の利害を微笑みで隠蔽するものであり、丁寧さは正義を否定する服従であるとして。

Rawpixel / PIXTA(ピクスタ)

 

 丁寧さと礼節はもちろん別個な概念だが、意見交換の温度がこれほど高くなると、議論するのは難しい。かつて規範とは、だいたいにおいて善意による合理的な言説だったのだが、おそらく我々の時代の悲しい結論は、規範からの逸脱とかつて考えられていたものが、いまでは新しい規範になったということだ──狂気にもしばしば似通った、根拠薄弱なイデオロギー的発話、理性で説得できない発話が規範となった。もしそういうことなら、あるいはそれが部分的にでも正しいのなら、議論の新しい針路が必要かもしれない──礼節がよいことであると示すよりも、無礼がなぜ自分のためにならないかを示すような、否定的に働く議論。この種の集団行動の問題を扱う議論は、より理想的な信念を持つ人々にとっては、疑いなくシニカルに見えるだろう。こうした議論は自己を封じ込めるリスクを冒し、勝利のために貴重な部分を明け渡す──たとえば、人文学教育の価値を擁護するために、それでロースクールの合格者を増やせると言ったり、四十歳のときに中の上くらいの収入を得られると説いたりするようになるである。

(第9回に続く)

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 第7回
マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む

「ステイホーム」の号令下で、いつもとはまったく異なる日々を自宅で過ごした読者も多かったのではないだろうか。スマホやパソコンを手放すことの出来ない時間が飛躍的に増え、コミュニケーションから生活、余暇のすべてがこうしたデバイスに支えられていることを実感しただろう。カナダでポピュラーな哲学者・Mark Kingwellが「退屈」という概念を哲学的に考察することで、こうした事態を巡る問題に警鐘を鳴らした『退屈とインターフェース』から、現下の状況に関わりの深い第二部をアメリカ文学研究者、上岡伸雄の翻訳連載で送る。

関連書籍

テロと文学 9.11後のアメリカと世界

プロフィール

上岡伸雄

1958年生まれ。翻訳家、アメリカ文学研究者。学習院大学文学部英語英米文化学科教授。東京大学大学院修士課程修了。1998年アメリカ学会清水博賞受賞。フィリップ・ロス、ドン・デリーロなど現代アメリカを代表する作家の翻訳を手がけている。著書に『テロと文学 9.11後のアメリカと世界』、『ニューヨークを読む』、訳書に『リンカーンとさまよえる霊魂たち』、『ワインズバーグ、オハイオ』、共著に『世界が見たニッポンの政治』など。

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