マーク・キングウェル『退屈とインターフェース』を読む 第8回

「ステイホーム」でスマホから離れられなかった私たちが、ポスト・トゥルースについて考えるべきこと

⑧美徳なき時代

上岡伸雄
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新型コロナウイルスが猛威を振るう最中、「ステイホーム」の号令下にあって、いつもとはまったく異なる日々を自宅で過ごした読者も多いのではないだろうか。外出機会が制限される一方で、ウイルスを巡っての深刻なニュースが矢継ぎ早に飛び込んでくるとあっては、必然的にスマホやパソコンを手放すことの出来ない時間が飛躍的に増えただろう。それだけではない。リモート会議などのコミュニケーションから生活を支えるオンライン通販、映画や音楽の視聴といった余暇まで、在宅におけるすべての事柄がこうしたデバイスに支えられていたとさえ言える。

wavebreakmedia / PIXTA(ピクスタ)

 

2019年4月、カナダでは非常にポピュラーな哲学者であるMark Kingwellが「退屈」という概念を哲学的に考察することで、こうした事態を巡る問題に警鐘を鳴らす一冊『退屈とインターフェース』を上梓した。その中でも現下の状況に最も関わりの深い第二部を、ドン・デリーロやフィリップ・ロスなどの翻訳で名高いアメリカ文学研究者、上岡伸雄の翻訳連載で送る。


 

(第7回より続き)

 ポストモダニズムは伝統的に左翼と同一視されてきたので、我々は帝国主義的右翼による──あるいは、より最近では、ポピュリストで孤立主義者の右翼による──過激な乗っ取りにこれまで以上に心を配らなければならない。帝国が現実を作り出すという話を先に引用したが、こうした話は典型的なカール・ローヴ的空威張りであるとして退けたい気持ちを、人は抱くことだろう。そして実際、2008年の大統領選で共和党が負けたことで、多くの人々はブッシュ政権の帝国主義的「ミッション完了」という態度は過去の遺物であり、逸脱であるという望みを抱いたはずだ。しかし、私はここでローヴが深い洞察力を持っていたと認めざるを得ない。つまり彼の診断は、たとえアメリカの帝国主義的ミッションがない状態でも、正しいのだ。言い換えれば、ローヴは新しい千年紀が新しい基準の政治的言説と行動を作り出したと気づいていた。古い啓蒙主義の敬虔ぶった思考は歴史のゴミ箱に捨てられた──理性によって見抜くことのできる「現実」なるものがあり、それを見抜くことには行動を変える力があるという前提も含めて。それに取って代わったのが、我々がみなよく知るようになったポストモダン右翼の現実政策──権力は(ローヴの公式では「行動は」)それ自身の規則と(暫定的な)現実を作り出すという確信である。こうした要素はポピュリズムのサーカスとも言える、完璧に恥知らずな現在の共和党政権に変質し、恐怖、不信、混乱、そして言うまでもなく、退屈の入り混じった状態を作り上げた──容赦なく更新され続ける非道行為への退屈である。「現実に基づいたコミュニティ」の規範と方法にいまだ囚われた我々は、ただ手をこまねいて傍観するしかない。我々の鋭い精神という道具、証拠と論理という研ぎ澄まされた(のみ)は、手品のトリックにすぎない──そして、さらに悪いことに、吟味されぬまま実行に移されると、結果はただ目を眩ますことにしかならない。

IrinaPapo / PIXTA(ピクスタ)

 

 2010年のシティズンズ・ユナイテッド裁判の判決(訳注:本選挙の60日以内及び予備選挙の30日以内に選挙絡みのTVCMを放映することを禁止している法律は違憲であるという判断を下したアメリカ合衆国最高裁判所の判決)は、同じように陰惨な結果をもたらしている──いまの政治的現実であるツイッターの投稿やイブニングニュースでは、ほとんど問題にされていないが。裁判所の見解では、合衆国憲法修正第一条(訳注:信教、言論、集会、請願の自由を妨げることを禁止した条項)に基づいて、独立した企業による政治的キャンペーンへの出費を制限するのは──直接的な政治資金の寄付とは逆に──言論の自由に対する制限であって、違憲であるとした。この判決は政治参加の機会代価を量化する(そして引き上げる)ことで民主主義を妨げている──と同時に、民主的参加の考えを金銭に還元している。確かに、数十年にわたって、企業はアメリカの法律において市民としての権利の一部を与えられてきた。しかし、シティズンズ・ユナイテッドはそのような権利を拡張する以上のことをしている。金権政治の実体のない陰険な論理によって、それは選挙のプロセスを資金豊富な利害団体に効果的に譲り渡してしまった。その資本の合同はいまやすぐに影響力の合同に変わってしまうのである。

efetova / PIXTA(ピクスタ)

 

 最近の政治史のこうした結果は相互に関わっていないように見えるかもしれないが、多元主義、礼節、誠実さなどに関する標準的リベラルの観点では、それは関係があるだけでなく、緊急性が最も高い問題である。アラスデア・マッキンタイアはその1981年の著書、『美徳なき時代』で、実行可能な美徳の倫理を打ち立てるには、望ましい人格または行動の特徴を並べたリストだけでなく、もう二つの要素がどうしても必要であると主張している。第一に、人が演じるべき役割の感覚がなくてはならない。アリストテレスの言う思慮深い人、イギリスの文芸黄金時代の紳士、倹約家のニューイングランド人といった、徳のあるアイデンティティである。第二に、羅列された美徳を実行するのに適した背景となるコンテクストが必要だ。行動と人格の相互補強のサイクルを確かなものにする、一連の前提を共有すること。

kai / PIXTA(ピクスタ)

 

 多元主義や礼節に関するほとんどすべての哲学的議論は──美徳を明確に根拠とするかどうかはともかく──まさにそのようなコンテクストを前提とする。公的な理性、妥当な申し立てができる裁判、明瞭な発言を好む個々人の存在、などだ。しかし実のところ、その前提がフィクションとしてのみ維持されているコンテクストだったらどうなるだろう? 真の影響力や発言の概念さえも国民一人ひとりの手からこっそりと──といっても、それほどこっそりとではなく!──奪われ、金銭の形態を取って、実体のない機関の手に、権力の複合体の手にわたってしまっているとしたら?

 

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「ステイホーム」の号令下で、いつもとはまったく異なる日々を自宅で過ごした読者も多かったのではないだろうか。スマホやパソコンを手放すことの出来ない時間が飛躍的に増え、コミュニケーションから生活、余暇のすべてがこうしたデバイスに支えられていることを実感しただろう。カナダでポピュラーな哲学者・Mark Kingwellが「退屈」という概念を哲学的に考察することで、こうした事態を巡る問題に警鐘を鳴らした『退屈とインターフェース』から、現下の状況に関わりの深い第二部をアメリカ文学研究者、上岡伸雄の翻訳連載で送る。

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プロフィール

上岡伸雄

1958年生まれ。翻訳家、アメリカ文学研究者。学習院大学文学部英語英米文化学科教授。東京大学大学院修士課程修了。1998年アメリカ学会清水博賞受賞。フィリップ・ロス、ドン・デリーロなど現代アメリカを代表する作家の翻訳を手がけている。著書に『テロと文学 9.11後のアメリカと世界』、『ニューヨークを読む』、訳書に『リンカーンとさまよえる霊魂たち』、『ワインズバーグ、オハイオ』、共著に『世界が見たニッポンの政治』など。

 
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