著者インタビュー

道徳教育を学校で行うべきでない理由

『ほんとうの道徳』著者・苫野一徳氏インタビュー

苫野一徳
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――本書では、「哲学対話」「学校・ルールをつくり合う道徳教育」「プロジェクトとしての道徳教育」という三つを柱として、新しい道徳教育のあり方を提唱しています。中でも印象的だったのは、対話を言いっぱなしにせず、「共通了解」を見出し合うものとするという発想でした。

苫野:話し合って「お互いに価値観や感受性が違う」ということを知るのが対話の第一歩です。これは他者尊重という市民社会のルールと結びつくものです。しかし、「みんなそれぞれ違う意見がありますね」で止まってしまってはダメなんです。

いろいろな価値観や感受性がある人も、対話によって互いにある程度までは「共通了解」をもつことができる、というのが対話の希望なのだと思います。競技ディベートのように勝敗を競う場合も、下手をすれば相手を論駁することが一番の目的になり、「共通了解」を得られないまま終わってしまう。結論ありきの対話も、結論が全く出ない対話も、勝ち負けにこだわる対話も、時には大事ですが、そればかりだと私たちは対話に希望を失ってしまうことになるでしょう。

私は対話への希望をこそ育てたいと思っています。その上でも勝敗を決める議論ではなく、「どちらもが納得できる、より高次なアイデアを出そう」という「超ディベート」(共通了解志向型対話)の方が、やっぱり楽しいですし、建設的な議論ができます。

さらに哲学対話の奥義とも言うべきものが、「本質観取」、つまり物事の本質を洞察し言葉にしていく対話です。実は、今度『愛』(講談社現代新書)という本を出すのですが、この本はまさに愛の本質、つまり「愛とは何か」を解明した一冊です。

『愛』(講談社現代新書) 2019年8月21日発売/860円+税

絶対に正しい本質なんて、もちろんありません。でも皆が「なるほど!」と納得するところまでを言葉にすることはできる。そして物事の本質がわかれば、それにまつわる様々な問題を解くことができます。例えば、「教育とは何か」という本質がわかれば、どういう教育をやればいいかもわかります。哲学的な対話とは、皆ができるだけ納得できる本質へたどり着くために行われるものであるべきで、道徳はその格好の題材になりうるとも思います。

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プロフィール

苫野一徳

哲学者・教育学者。熊本大学教育学部准教授。1980年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。2020年4月に開校予定の軽井沢風越学園では理事を務める。著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマ―新書)、『ほんとうの道徳』(トランスビュー)、『愛』(講談社現代新書)など多数。

 
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